第43話 夏休みの始まり


 一学期の終業式が終わり、ついに夏休みが始まった。

 それは同時に両親が一週間の新婚旅行へ行く日でもあり、俺と天音が二人っきりで生活をする日の始まりでもある。


 旅行カバンを持った葉子さんが玄関先で俺達に声を掛ける。


「じゃあ、二人とも。私達は行くけど、何かあったらすぐに連絡してね」

「はい。葉子さん……、父さんのことを頼みます」

「うふふ、任せて」


 これから父さん達はスイス旅行を楽しむことになっている。

 飛行機の移動が大変だと思うけど、いつか俺も行ってみたい。


 二人を見送った後、俺と天音はリビングに戻った。

 すると天音がぎこちない口調で場をごまかすように話を切り出す。


「今日から二人っきりの生活なんだね。緊張するかも……」

「普通通りにやろうよ。身構えると、失敗してしまうよ」

「そ……、それもそうね」


 ついさっきまで普通だったのに、やけに緊張しているみたいだ。

 でも、わからなくはない。


 両親が旅行に出かけてまだ十分も経っていないけど、妙に家の中が寂しいような気がする。いつもと雰囲気が違うのだ。


 同時に天音と二人っきりの生活が始まったのだと実感が湧いてきた。


 も……、もちろん。だからと言って変なことはしないぞ。

 いくら付き合っているとはいえ、誠実に天音と接するようにするっていうのは俺の信念だ。


 でも……、誠実な恋人の関係なら……、それはつまり……。

 いやいや! ダメだ!

 でも~。う~ん。そこはアレなわけで……。


 あー!! もう!

 俺は何を考えてるんだ!!

 変な妄想は禁止! 禁止だー!!


「と……とりあえず、特に何もやることを決めてないし、部屋でゴロゴロするか」


 妙な気分を消すために、俺は無理やり言葉を口にする。

 なんでゴロゴロすることを宣言しているのか……とツッコミをされるかと思ったが、天音は意外なことを言い出した。


「じゃあさ、散歩に行かない?」

「散歩?」

「平日の午前中に散歩って、なんだか得した気分しない?」


 散歩か……。

 確かに言われて見ると、平日の午前中に散歩をすることなんてないよな。


 普通は学校に行っているし、テスト休みの時は遊びに行ったりはしても、散歩をすることなんてない。


 そう考えると、朝の散歩ってなんだか楽しそうだな。


「じゃあ、行くか」

「うん」

「どこか行きたいところとかある?」

「う~ん。神社とかどう? お母さん達の安全祈願もしたいし」

「いいね。そうしよう」


 こうして俺と天音は近くの神社まで散歩に出かけることにした。


 お互いに支度をして、玄関のカギを締め、外へ出る。

 夏の日差しが気になる季節のため、天音はつばの広い帽子を被っていた。

 清楚系コーデの服装と相性がよく、天音にとても似合っている。


 俺が見ていることに気づいて、天音が首を傾げた。


「なに?」

「いや、……えーっと。かわいいなと思って」

「……ばかぁ」


 そして俺は手を差し出した。

 手を繋いで散歩をしようという意味なのは言うまでもない。


「え……、いいの?」

「今さら何を遠慮してるんだよ」

「そ、そうよね」


 俺の手を掴んだ天音は「へへへ……」と嬉しそうに小さく笑う。

 この純粋無垢な笑顔を見るたびに、俺は幸せでたまらない気持ちになってしまう。


 ……と、ここで天音が別の話題を振ってきた。


「忘れてたけどさ。小学生になるかならないかの時に、こうして手を繋いで歩いたことがあったよね」

「え~っと、いつだっけ?」

「たぶん夏だったと思うけど……」


 う~ん。そんなことあったかな……。

 えーっと、あっ! もしかして!


「あ、あった! アレだろ? 夏祭りの時」

「そうそう! それそれ!」

「あの時、天音がくじ引きでアタリが出なくて泣いてたんだよな」

「もう。なんでそんなことまで思い出すのよ」

「ははは。ごめん」


 すると天音は昔を思い出して、優しい表情になった。


「確か春彦がすぐにアタリを引いて、私にくれたんだよね」

「まぁ、くじが当たるかどうかなんて偶然だけどね」

「でも私は嬉しかったな。あの頃はもう、春彦は同い年だけどお兄ちゃんみたいなイメージがあったんだよね。まさか本当にお兄ちゃんになるとは思わなかったけど」


 そう言えばあの頃の天音はずっと俺に甘えているようなところがあった。

 今はクール系という印象が強いけど、時折見せる子供のように甘える表情やしぐさは、あの頃の天音のままだ。


「あのさ……。今だけ『お兄ちゃん』って呼んでいい?」

「ええ!? いきなり!? なんか恥ずかしいな」

「いいでしょ」

「まぁ、いいけど……」


 めっちゃ恥ずかしいんだけど……。


「お兄ちゃん」

「……ッ!」

「お兄ちゃん、照れてる。可愛い」

「からかってるだろ……」

「ふふふ。楽しんでるの」

「悪質だ……」


 くぅ……。まさか『お兄ちゃん』の一言がここまで攻撃力を持っているとは。

 ちくしょう!! かわいいな!!


「ねぇねぇ」

「どうしたんだ?」

「お兄ちゃん、大好き」


 なんだよ……。ずっと理性を保とうとしているのに、そんなことを言われたら、気持ちを抑えきれないだろ……・


 そして俺は小さくつぶやく。


「俺も、大好きだ……」

「え? なに?」

「えーっと……。こ、今年の夏まつりは二人で一緒に行こうな」

「うん」



■――あとがき――■


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投稿は、毎朝の7時15分頃です。

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