第10話 魔王の玉座の間にて
今現在、彼が監視すべき罪人はただひとり。元聖女とかいう儚げな少女だけなのだが──
(あの小娘が……俺の牢獄で勝手な真似を……!)
ジュデッカが強く拳を握ると、手の中の鎖がじゃらりと不穏な音を立てた。
鎖は、城の一室で目をつむる少女をジュデッカに見せている。
城の本来の住人は彼と白狼のシェオルだけだから、ほんの一時さまようだけの罪人どもが出入りするのは別に構わない。彼の
問題は、少女と狼が眠る長椅子を取り巻いて咲く花々だった。
(なぜこのコキュートスで花が咲くことがある!?)
憤怒や強欲、色欲に憤怒──もろもろの悪を犯した罪人は、それぞれの罪に応じて九層の地獄のいずれかに堕ちる。最下層のコキュートスは特に許されざる大罪を犯した罪人のための最果ての流刑地だ。魂さえも凍らせる寒さそれ自体が檻となり、永劫の責め苦となって罪人を苛み続ける不毛の凍土。神にその番人の役を命じられて以来、ジュデッカが支配する破られたことのない牢獄。……その、はずなのに。コキュートスのごくごく小さな一角とはいえ、神のおわす楽園のような様子になっているのを見て、彼としては頭を抱えずにはいられない。
最初の一輪を、花に罪はないからといって見逃したのを、ジュデッカは後悔し始めていた。日を追うごとに少女の周囲には新たな蕾が結び、花が咲いて真白い氷の世界に色を添え、根が張ったところの雪を溶かしている。目に見える部分だけではないし、少女が気付いている部分だけでもない。根は城中に巡り、あちこちで芽を覗かせている。ジュデッカがいる、玉座の間でさえも。
「…………」
目の前に蕾を結んだ一本の茎に手を伸ばし──でも、ジュデッカはそれを折り取ることができない。花に罪はなく、彼の職分は罪人の監視と管理のみ。少女とシェオルの訴えにも理があるのを認めてしまうから、コキュートスの番人としての誇りが彼を縛る。
それに、少女が咲かせている──彼女の仕業だと認めるのも腹立たしいが──のは、まさしく楽園に咲く花だ。彼女自身は、人の世界のどこかに咲く花だと思っているのかもしれないが。ささやかに頼りなげに揺れる蕾も、気が遠くなるような遥かな昔に、彼も住まっていた常春の園、その主である至高の方を彼に思い出させてしまう。彼の手で触れるには尊すぎると思う。だから、触れて冒してはならないと思う。溜息と共に、ジュデッカは手を引っ込めた。花を抜き取る代わりに、鎖を手繰って罪人の魂の在り処を感じる務めに戻る。
「この分では、何人か動き出す奴らもいるだろうな……」
花が氷を溶かした分、コキュートスが誇る酷寒もいくらか
(別に、退屈しのぎにはなるだろうさ)
人間がどれほど足掻いたところでコキュートスからは逃げられない。多少の
だから──ティルダとか言う小娘の存在は、気に懸かりはするし目障りでもあるけれど、放っておいて良い。罪人同士の争いに巻き込まれて傷つくかもしれないが、既に死した魂は時間さえかければ元の姿に戻る。そしてまた囚われ続ける。何も、憂うべきことはない。
ジュデッカがそう結論したのとほぼ同時に、玉座の間に涼やかな女の声が響いた。
「まあ、相も変わらず辛気臭い顔をしていること」
人の世ではとうに滅びた国の衣装の上に、ジュデッカの鎖を装飾のように優雅に纏い、舞踏を思わせる足取りで玉座に歩み寄る女は、美しかった。
複雑な形に結い上げた黒髪は、霜がはびこってなお艶やかさを窺わせ、血の通わないはずの唇も赤く、長し目に彼を見る目も濡れたように輝いている。とはいえ、この女の素性を知るジュデッカが、何ら心を動かすことはないけれど。見た目がどれほど秀でていても、しょせんは罪を犯してコキュートスに堕ちた魂に過ぎないのだ。
「
彼に色香が通じないのはさんざん試して思い知っているだろうに、玉燕──傾国の女は艶然と唇を笑ませた。美貌ひとつを頼りに王たちを争わせ国を荒廃させた女だから、意識せずとも媚びるような態度になるのかもしれない。
ジュデッカの凍てつくような眼差しと声にはいっさい怯まず、玉座まで無造作に登ると、玉燕は彼にしなだれかかった。
「
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