第8話 異変
シェオルが最初に言った通り、
「人の世の北の方の国では、冬の間ずっと太陽が見えない極夜があるとか。それに近いようなことなのでしょうね」
「そんな場所もあるんですね……知らなかった……」
死んだティルダは疲れや空腹も感じないから、この場所で時間の経過を測るのはとても難しい。ただ、一日くらいは起きて動き回ったからそろそろ夜なのだろう、と。彼女の勝手な感覚で判断して例の部屋に戻って寝る──コキュートスに堕ちてから数日(?)も経つと、そんな生活のリズムが確立していた。
「人の国の移り変わりは激しいのでしょうが、空や大地にはさしたる変化はないでしょう。だから今もそうだろうと思うのですが」
「シェオルさんはここに来て長いのですか? その間ずっと、地上には行っていないのですか?」
氷に包まれた城のあちこちを探索して、今のコキュートスにはティルダ以外に動ける──凍っていない──罪人がいないのはもう確かめてしまった。だからティルダの話し相手は狼のシェオルだけ。城の主人であるジュデッカについては、あの冷たく鋭い目で睨まれるのは怖いから、ティルダは自然とあの玉座の間を避けるようになってしまっている。
「コキュートスができてからというもの、常に我が主の傍にいますね」
「ここができた時というのもあるのですね……」
凍って動かなくなった
「それはもう。この世にある万物と同じように」
気が遠くなるような長い時の流れを語っているというのに、シェオルの表情はそこらの犬と変わらない。ティルダの手で毛を梳かれるのが気持ちよくてたまらないというような、うっとりとした表情だ。
ひたすら霜を踏んで氷を掻き分けて、そして何も動くものがいないのを確かめる探索を続けては、心が疲れてしまうから。だから今日(?)は、ティルダは部屋を出ないでシェオルの白い毛皮にこびりついた霜を落とすことに専念している。長椅子に座って、足元に寝そべった大きな狼の、頭から尻尾まで櫛で梳いていくのだ。
「ずっとここにいるから、こんなに芯まで凍ってしまったの……?」
一日(?)かけて丁寧に手入れしたことで、シェオルの毛皮は一段と輝きを増している。コキュートスにあっては温かいなんて感覚はないのだけど、根元から梳いた毛は一本一本がふんわりとして、艶やかさも滑らかさも絹のよう。いつまでも触っていたい柔らかさに仕上がっている。……つまり、シェオルが自分で身震いしたり毛づくろいしただけでは間に合わないくらい、密集した毛の内側にまで氷が入り込んでいたということだ。
手入れの成果を確かめるように、長くふさふさとした尻尾を目の前で振りながら、シェオルは首を傾げた。
「近頃は主が手を焼くような罪人はいませんで。だから私も置物のように丸まるばかりだったのですね。あの通り、主も動かないものですから」
「ふたりでお喋りしたりもしないのですか?」
「うるさい、黙れと言われたこともありますね」
「まあ……」
(だから言われた通りに黙って……そして、あんなに凍ってしまった?)
ジュデッカの玉座の足元に
「……あの、私……本当にここにいて良いのでしょうか。シェオルさんにいていただいて、良いのでしょうか」
「コキュートスに堕ちた以上は、勝手に余所に行かれるほうが困るでしょうね。それに、不審な罪人には監視が必要だと我が主も仰るはず」
「ええ……」
シェオルは伸びをしながら立ち上がると長椅子に上がり、手を止めたティルダに寄り添った。氷というよりは積もったばかりの淡雪のような感触になった毛皮が包んでくれるのは、心が温かい。ジュデッカの鎖は相変わらずティルダの首と手足に絡んだまま、常に冷気で彼女を脅かしてくるけれど、凍り付くことがないのはシェオルがいてくれるからだと思う。それに、何より──
「でも、あの。ジュデッカ……様は、
シェオルの毛に指を埋めると、ふんわりとした感触に胸が蕩けそうになる。でも、その幸せな柔らかさもティルダの不安を和らげてはくれない。彼女の視線の先では、美しい花が
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます