第2話「手紙」高田″ニコラス″鈍次

(Scene1) 墓参り




<高台にある眼下に海が広がる寺の境内。蝉の鳴き声、時折鴉の鳴き声が混じる。夏の日の夕暮れ前。息を切らしながら階段を登る実年夫婦。>






夫「・・・はあ、はあ・・・こんなにきつかったっけ?階段」




妻「もう若くないって、事じゃない? さあ、あと一息よ」






ナレ夫:言いながら妻は、私の腰をポンと叩き、足取りも軽く私を追い越していく。




    階段の途中でわたしは歩を休め、振り返ると群青の青。眼下に港が広がる高台。そこに、わたしの父が眠る墓がある。




  今年は、丁度お盆前に生まれ故郷の近くに出張となり、そのままお盆休みをとって墓参りに行こう、そう決めていた。




昨日仕事が終わり、今朝妻が合流して、久しぶりの墓参りだ。




さあてもう一息。視線を頭上に移すと、妻の姿はもうずいぶんと小さくなっている。わたしは、額の汗を拭いながら再び階段を昇り始めた。






(Scene2) リビング




<結婚30周年を迎える夫婦。なにか記念になるものをと話し合いを行っている>






ナレ夫:わたしたち夫婦は結婚して30年になる。二人の娘も無事に嫁ぎ、あとは二人で余生を楽しもう。そんな会話から、せっかくだから記念に何かしたいよね、という話になった。






妻「うん。なんだか長いようであっという間だったわね。30年て。」




夫「そうだな・・旅行でも行くか? これまで二人きりでのんびりなんてしたことなかっ




たし・・」




妻「うん。それもいいわね。でも・・」




夫「でも?」




妻「あんまり贅沢もしたくないのよね。これからの人生、子供達にも迷惑かけたくないし・・




  あなただってまだ働けるとはいっても、お給料は下がる一方でしょ? これからのこ




  と考えたら、少しでも蓄えておかなきゃって」




夫「それもよくわかるよ。でもさ、せっかくの節目だからね。一度くらい贅沢したって、罰は当たらないんじゃないかな・・」




妻「ねえ。こういうのはどうかしら・・」




夫「ん?」




妻「これまで一番お世話になった人に手紙を書くの。30年間を振り返ってね。なかなか普段から感謝の気持ちって伝えられないものじゃない? だからいい機会だと思うの」




夫「そうか・・・うん、それはいいかもしれないね。お金もかからないし・・」




妻「もう・・お金だけの問題じゃないけどさ(笑)」






ナレ夫:わたしたち二人は、古いアルバムを引っ張り出し、それを眺めては笑いあった。






夫「こうしてみると・・世話になった人はほんとにたくさんいるなあ・・」




妻「そうよね・・一番お世話になった、って、一人に絞るのは難しいわあ・・」






ナレ夫:わたしたち二人を引き合わせた友人、ぎくしゃくした時期にそっと援助してくれた会社の同僚、そしてなにより宝物ともいえる二人の子供たち・・沢山の名前があがって、本当にお世話になったよなあ、と言いながらも、どれも一番というには決め手に欠ける。






妻「あ! そうだわ!」




夫「ん? 誰かいた?」




妻「お父さんよ。あなたのお父さん」




夫「え? 親父? いやたしかに世話になったかもしれないけど、もうこの世にはいないからねえ。手紙を出すにせよ、どこに出していいものやら・・」




妻「いいじゃない。気持ちの問題なんだから。」






(Scene3)    30年前の回想




<結婚したい旨を、妻の両親に報告。初の両家の顔合わせの席。妻の父は大反対である>






ナレ妻:30年前。わたしの父は二人の結婚に大反対であった。ちょうど主人が独立して、翻訳家としての仕事を始めたばかりの事である。たしかに生活が安定しているとは言えない。けれど、わたしのおなかの中には小さな命が宿っていた。なかなか煮え切らなかった私たちは、結婚することを決め、私の実家で、初めて両家の顔合わせを行うことになった。




父は烈火のごとく主人を怒鳴りつけた。






妻父「何考えてるんだお前は! 稼ぎも安定してないくせによくも娘を幸せにするだなんてほざきよって! おい、どうやって幸せにするつもりなんだよ、言ってみろこの野郎」




夫「いや・・その・・」




妻父「ほらみろ。なんにも言えねえじゃねえか! お前ごときになあ、娘を幸せにできるなんてどだい無理な話なんだよ。それにな、生まれてくる子供。どうやって育てていく?稼ぎもねえのに、よく結婚させてくださいなんて言えたもんだな、おい!」




妻母「あなた。言いすぎですよ。少しは二人の気持も・・」




妻父「お前は黙ってなさい! 気持だけじゃね、子どもなんて育てられるわけがない。世の中そんな甘くはないんだ!」






ナレ妻:重苦しい沈黙がその場を支配していた。父の言うことが正論だったからだ。誰も父に逆らえない、そんなときに・・






夫父「あのお。ちょっとよろしいでしょうか」






ナレ妻:おとうさんのおっとりした声が沈黙を破った。






夫父「お父さんのおっしゃることはごもっともだと思います。確かに二人はまだ若いですし、未熟です。先のことを考えたら、そりゃもう不安だらけですよ。けどね。わたしはこう思うんです。幸せって、どちらかが与える物なんじゃなくて、二人で作っていくもんなんじゃないでしょうかね。確かに息子はまだ収入が不安定です。経済的な面でご迷惑をかけることもあるかもしれません。でもね。わたしはこの子の親です。だからいくらでも迷惑かけてくれてかまわないって思うんです。それが、親ってもんじゃないでしょうかね。だからお父さん、ここは私を信用して頂いて二人の結婚、認めてもらえは頂けませんか。このとおりです」






ナレ妻:そう言っておとうさんは父の前で深々と土下座をした。土下座というものは屈辱的なものかと思っていたが、その姿は実に神々しくすべてを包み込むやさしさに満ちていた。






妻母「おやめください。どうぞ頭をお上げになって・・」




夫父「いいえ、やめません。二人の事を認めて下さるまでは・・」






ナレ妻:夫はおとうさんに追随するように慌てて土下座をした。そしてわたしにも同じようにするよう促した。けれどわたしはそうしなかった。






妻(若い頃)「冗談じゃない! 世間は甘くない? そんなことなんか百も承知よ! 幸せの形なんてさ、人それぞれじゃない…それなのに…お父さん酷すぎるわ、言葉が。いいわよもう許してくださいなんて言わない。私が幸せにしてやるんだから! 誰にも文句言わせないくらい、この人を幸せにしてやるんだから!」






ナレ妻:自分でも思いもしなかった言葉が、口から零れていた。母は黙って泣いていた。わたしもまた、感極まって嗚咽を漏らしていた






妻父「……勝手にしろ」






ナレ妻:母とわたしは抱き合ってただ泣いた。おとうさんはそんな二人を見ながら






夫父「〇〇さん。息子をよろしくお願いいたします。こんな男ですけど、腹括ったら投げ出すことはしない奴に育てたつもりです。もし〇〇さんを不幸せにする事があったら、それこそ僕が許しません。いつでも、なんでも頼ってくださいね」




妻(若い頃)「…はい…こちらこそ…よろしくお願いします…」






ナレ妻:わたし達は、みんな人目をはばからず泣いた。その後結婚に反対していた父も、孫の顔を見た途端に掌を返したように好々爺ぶりを発揮し、夫の仕事も起動に乗ると、映画の字幕スーパーに夫の名前が出る度に、これ娘婿なんですよ、と自慢するようになった。






(Scene4) リビング






ナレ妻:そんな大好きだったおとうさんが3年前に病気でなくなった。




死ぬ間際まで苦しかっただろうに、最後までわたし達二人の事を気にかけてくれていた。




おとうさん…わたし幸せになりましたよ。あの時、おとうさんが頭を下げて




幸せというのは一緒に作っていくもの、そう言ってくれたこと、その一言が




わたしの支えになりました。本当にありがとうございました。






そう書いて私達2人は、手紙に封をして、天国のおとうさんへと宛名を書いた手紙を投函した。




宛先は、おとうさんが眠っているお墓のあるお寺。届くとか届かないとかは、どうでも良かった。けれど、投函した時に清々しい気持ちになった。それだけで良かった。






(Scene5) 住職との会話






夫ナレ: 汗が額から流れ落ちる。ようやく妻に追いついた。




妻は…なんだか様子がおかしい…






夫「どうした? 具合でも悪いのか?」




妻「…あれ…見て…」




夫「…あれ…って…ええっ?」






夫ナレ:私達は言葉を失っていた。私達が書いた手紙が、墓前に綺麗に置かれていたのだ。雨に濡れないように、しっかりとビニール袋に入れられ、風に飛ばされないように四隅を釘のようなもので押さえられ…




間違いない。これは私達が書いた手紙だ。




私は手紙をそっと手に取り、寺務所に向かった。






夫「すみません! すみません!」




(間)




住職「はい、はい。お務めご苦労さまです」




夫ナレ:住職はゆっくりとした足取りで近づき、私達の前に膝をついた。






妻「あの…この手紙…私達が…」




住職「ああ、このお手紙の差し出し人の方ですね。お待ちしておりました」




夫ナレ:住職は相好(そうごう)を崩し、私達に語り始めた。






住職「その日は酷く雨が降っておりました。郵便配達の方がまいりまして、いつもでしたらポストに入れていくだけなんですが、わざわざこちらまでいらっしゃいましてね、こう訪ねられたんです。『この手紙の方のお墓はどこですか?』って。はい、そのお手紙を持って、です。そして言うんです。『この手紙、私がお墓まで届けたいのですが』




って。ええ、調べましてね、私も一緒に墓前にお供えさせて頂きました。濡れないようにと、何重にもビニール袋を重ねまして、お墓に手を合わせて帰られました」






妻「その郵便配達の方のお名前とか住所とかおわかりになりませんか? 出来れば直接お礼がしたいです」




住職「それがですね。その後その方が配達に来ることはありません。お辞めになったのかどうか、事情は分かりませんがね。ただ…




…不思議なんですがね、毎日のようにお参りにはいらしてたようです。毎日お墓の前は綺麗になってまして、その手紙が入れられている袋も、定期的に新しくなってますからね。私は何もしていないのですが…」






妻「あなた…」




夫「うん…」






住職「お父さまは、随分と徳を積まれた方のようですね。お亡くなりになってからも、これだけ人の心を動かす。きっと天国でも幸せにお暮らしになられてると思いますよ」






妻「おとうさん…」




夫ナレ:妻は私の手を強く握りしめ、声を震わせて言った。






(Scene6) 墓前






妻ナレ:おとうさん。なかなか来られなくてごめんね。忘れたことは一度も無かったけど、おとうさんも寂しかったんだよね。




ほんとにごめんなさい。でも、おとうさん。わたし達、幸せになったよ。いろんなこと、辛いこともあったけど、でも今わたし、自信持って言える。わたしは、とても幸せです。おとうさん、ありがとう。






夫ナレ:わたし達は一言も言葉も交わさず、ただ黙って墓前で手を合わせた。






妻「来られて良かった。おとうさん。これからは、もっとマメに来るからね」






夫ナレ:妻がそう言ったとき、ふと一陣の風が頬を撫でた。そしてその風に跨るように、手紙はヒラヒラと天に舞い上がり、空の彼方へと消えた。




(間)




遠くで、郵便配達のバイクの音が響いた。空は、どこまでも青く、高く…








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