第六話 【保険医】


 day.4/6 [第一言ノ葉学園:一年E組教室]


「や、矢冨君!」

「んー?」


 時間は放課後。教室にて、帰り支度している最中に俺へと声を掛ける者がいた。

 誰かと思って振り返ってみれば、昨日須黒に絡まれていた払田だった。


 ……こう見ると、言っちゃ悪いがいじめられてそうな雰囲気の少年だ。気弱で、背が低い。厄介ごとに巻き込まれそうな危うさを持っている。


 そんな払田は、どうやら俺に昨日の件について礼を言うために声を掛けたみたいだ。


「昨日は助けてくれてありがとう」

「いいよいいよ。まあ、大事にならなくてよかった」

「いや、お前の顔面は大事になってたけどな」


 誰が顔面大事野郎だ向井木。――ただ、今こそは傷は消えているが、頬骨は確実に折れていたんじゃないかな、アレ。口内も切ってしまい血の味がしたし、かなり強烈なパンチであったことは間違いない。腐っても成績上位者のワードマスター。そこは流石というしかないだろう。


 そういえば、俺の傷を治してくれたのは誰なんだろう。


「なあ、俺の傷治してくれた人ってだれか知ってるか?」


 あの時現場に居り、俺を運んでくれたであろう二人に俺はそう聞いた。この二人なら、俺が治された現場も知っているだろう。


「たしか、保健の先生だったっけ?」

「うん。そういってたはずだよ」


 保険医の先生か。ちょうどいいし、お礼を言いに行こうか。




 保健室に行く過程で、少しばかりこの学園のことを話そう。


 第一言ノ葉学園。全国に五校存在する言ノ葉高校の第一号となった学校であり、六十年以上の歴史を要する学校だ。


 もともとは、『言霊』と呼ばれる力の研究施設として作られた研究所があった。その後、研究が進んだ言霊の力を扱うために必要な教養を身に着けるために開かれた学塾が元となり、この学園が開校されたのだという。


 そして、言霊の力に目を付けた政治家の後押しもあり、国からの予算もあって巨大な敷地と莫大な資金をもって、日本国内有数の進学校として名をはせることとなる。


 内部には大学も設置されており、その敷地はあまりに広大だ。まあ、大学と高校では使用する敷地がわけられているために、何らかの行事でしか会わないけど。


 そんなわけで、広い敷地を持つこの学園。しかし、噂が広まるというものはいつだって音速だ。音が伝わる速度のことを音速というのだから、人のうわさだってそのぐらいの速さはあるんだな、と小学生のような感想を思いながら実感する。


 なにせ、妙に俺を見る視線が多い。きっと、昨日の件で俺が寮へと運ばれたとき、それを目撃していた生徒が多かったのだろう。そのせいか、保健室までの道のりでチクチクと視線が刺さる。


「一躍有名人だなー、ほれほれ」

「だからって、危ないことしちゃだめだからね!」


 今朝とは違い、腕をつかまない愛衣。そして、茶化すように手を叩きながら、時折学園の風景を激写している向井木の二人が、なぜかついてきていた。


 そんな二人と共に、俺は喋りながら移動する。


「そういや、昼休みに呼ばれてたけどなんの用件だったの?」

「昨日の謝罪と、ワードマスターへの勧誘。俺はどっちも断ったけどな」

「えぇ!? ワードマスターを断ったのか!」

「まだ、受け取れるような身分じゃねーんだよ、俺は。それに、下手にワードマスターに何てなってみろ、須黒が逆恨みで今度こそ俺を殺しに来るぞ」

「あー。冗談にとらえられないのが怖いなそれ」

「だけど、ジンがワードマスターになってたら、E組には二人もワードマスターがいることになったんだけどねー」


 そういえば。ワードマスターが六人なのは、六組のクラス分けにあわせてなのだろうか。資料というか、朝会の話では確かにそれぞれ別々のクラスに分かれていたはずだ。


「……うちのクラスのワードマスターってどんな人だっけ」

「女子生徒だよ。ほら、この子」


 俺がそんな疑問を放り投げてみると、親切な向井木は写真まで使って教えてくれる。


岸良きしら まゆふ。所持している言霊は【剣】。第四位ワードマスターで、かなり社交的な性格だね。男女の垣根なく声を掛けては、楽しげに話すことができる、いわば陽の化け物……」


 化け物は言い過ぎだろう。化け物は。ともかくとして、向井木が用意した写真も、向井木と岸良の二人でポーズを決めて撮ったであろうツーショット写真だ。相当仲が良くなければこういうものを撮ろうとすら思えない。今日一日で友好関係を築き、仲良さげに写真を撮る程に発展できる。それも、異性の垣根なくだ。


 かなり人懐っこい友好的な人物像が、この写真から伝わってくる。


「それで、俺が岸良に話しかけられなかったのはなぜなのだろう」

「あー、昼休みにお前いなかったからな。仕方ない仕方ない」

「いい子だったよ! 今度遊ぶ約束もしちゃった!」


 うーん、人望というかなんというか。第一印象が須黒と違い過ぎて――――いやまあ、あいつは例外か。


 まあ、いつかは俺もかかわることになるだろう。須黒のようなやつではないことが分かっただけ安心だな。


「……そういや、保健室ってここらへんだよな」

「そうだな。あそこの教室みたいだぞ」

「レッツゴー!」


 そうして話している間に、俺たち一行は保健室前へと到着した。本当は俺の野暮用なのに、二人がついてきてくれたおかげで迷わずに来ることができたな。


「さて、入るか」


 俺は先頭に立って保健室へと入ろうと扉を開けた。


 ――そして、半裸の女生徒に突き飛ばされてしりもちをついてしまう。


「あ、あ、ご、ごめんなさい! ――――ひぃ!!!!」


 彼女は俺へと謝るという誠意を一瞬見せたが、次の瞬間背後を振り向き、そこにいただろう何かに怯えて走り去っていってしまった。


 何だったのだろう、今の。そんなことを思ている暇もなく、イベントは畳みかけてくる。


「待って! まだ僕は君の言霊をじっくりと観察していないんだ! だから待ってくれ!!」


 そして、保健室からは明らかに日本人ではない金髪のイケメンが登場した。いったい、彼と彼女の間に何があったのだろう。そんな、少しばかり危なっかしい雰囲気に、俺は後ずさりをする。


 愛衣と向井木の二人も、突然のことに何が何だかわからないといった混乱が見て取れる。俺たち三人が、そんな突然すぎるイベントに絶句していると、保健室を飛び出していった女生徒の背中を見つめていたイケメンが俺へと振り返った。


 そして、こういった。


「君……矢冨ジン君だよね! の! とりあえず、ちょっと脱いでくれないかな!?」


 おいおい、俺はそういう趣味は持ってないぞ。




 激しい悪寒と背中を駆けまわる怖気からこの身の危険を感じた俺は、その場から逃げ出そうとした。だが、イケメンの謎に強い膂力によって保健室へと連れ込まれてしまう。

 そこに、少しばかり恥ずかしいものを見るかのように顔を赤く染めた愛衣と、面白い光景が取れそうだと楽しげに笑う向井木も共に入室してくる。

 そして、俺は保健室にあるベッドの傍らにおもむろに座らされた。

 これからいったい何が始まるというのだ。


「さて、自己紹介をさせてもらうよ。僕は、クリス・玄内げんない・エルールルだ。この学園で保険医をしている。さて、君にはこれから脱いでもらう矢冨ジン君!」


 自己紹介と共に流れるようなセクハラ。愛衣がキャーと言いながら目を覆っているのが横目に見えるが、それどころじゃない。


 こいつ、何が目的だ? 流石に貞操を狙われるならば全力で『言霊』を使うこともやむなしで逃げるのだが。


 ただ、エルールル先生の次の言葉のおかげで、俺が全力疾走をする必要はなくなった。


「君の言霊については、野極先生からすでに聞いている。だから、まずは触診なんかで体に異常がないかを調べさせてほしい。」


 ……ちゃんと、保険医らしい仕事のためだったようだ。ならば、と俺は上着を脱いだ。ちょっと息遣いが怪しいが、そこは気にしないでおこう。


 触診や聴診器を使った診断を行うエルールル先生。その最中に、向井木が素朴な疑問を投げかけた。


「どうして、ジンの言霊とジンの体調が関係してるんですか?」


 それは、俺も気になっていたことだ。言霊とは、いわば言葉の力。言霊の行使に特定の言葉――――向井木が能力を使う時に【木】と唱える必要がある――――を使わなければ、能力を発動できない。ならば、重要なのは言葉であって、俺の言霊が何もないのに体調が関係するのだろうか?


「断言はできない。だから、これは何が原因かを調べるために、しらみつぶしに調べているだけだ。ただ、言霊は精神や体調によって変化する。もちろん、そんな微々たるようなモノじゃ簡単には変わらないけどね」

「変化する? っていうのあれですか、言霊の文字が変わったりするってことですか?」

「厳密にいうと、文字が増えるんだ。言霊を使いこなしたうえで、何らかの精神的な成長をする。研究では、それが条件になって、言霊の文字数が増えると言われている。その能力は、より鋭利になり、より強力になる」

「でも、体調とは関係ないですよね、それ」

「こっちはね。だけど、装具が変化した例があるんだよ。昔、籠手の装具を持った言霊使いが、事故で腕を失ってしまった。その時、装具が籠手から義手に変化したんだよ。そんなことがあってから、言霊はその人間のパーソナルの影響を受けて、その形を変えていくという推論ができたんだ。だから、君の装具に言霊が刻まれていないのも、何らかの体調が原因かと思って調べているんだ」


 そんな事情があったんだな。ただ、どうやら俺の言霊が刻まれていない理由は、体調とは関係ないらしい。

 診断の結果は、特筆するような傷病のない健康的な体だそうだ。


「それに、治した傷も後遺症がないみたいでよかったよ。とりあえず、野極先生にはこの結果は伝えておくね」

「ああ、昨日はありがとうございました。おかげで、痛みに苦しむようなことはありませんでした」

「いいのいいの。生徒の健康を補助するのが、僕たち保険医の仕事だから。――――ところで、下も脱いでくれない?」

「あ、帰らせてもらいますね」


 そこまでの会話で俺は身の危険を感じ、礼を言って早々に保健室から離脱するのだった。


 ちょっと興奮気味の愛衣が、謎に俺のことをちらちらとみていたのが恥ずかしかったと、最悪の記憶を残して今日の放課後は終了するのだった。


「まって! 君みたいに言霊が刻まれなかった生徒は今までにいないんだ! せめて体の隅々までを!!」


 なんか後ろから聞こえてくるけど気にしない気にしない。

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