2, 歓迎
語りそうで何も語らない彼はやはり変だ。いつもなら快活な笑顔を見せ周囲を気遣う良い奴なのに。
今日はどうやら違うらしい。こちらが本性とでもいうのだろうか、こんなにも恐怖を覚えたことはない。
怖い。ひたすらに、怖い。
「颯一……何か言って」
掴まれた腕がじんわりと痛み出す。先ほどより力を込められた腕は、もうそろそろ跡が残るようになるだろう。重い口をやっと開けた彼はこう告げた。
「……帰るぞ」
「はい……?」
素っ頓狂な声を出してしまった。そんなことお構いなしに彼は教室を出るように促してくる。
「ちょっ……せめて鞄くらいは持たせて」
アルトと言えば高いしテノールと言えば低すぎる。女性とは思えないほどドスの効いた声が出た。我ながらなんて便利な声帯してるんだと感心する。
本当はそんな余裕すらないのだが。
「……あぁ、すまん」
とは言いつつも掴む手は頑なに離そうとしない。なんだこいつ、いつか刺す。なんて小さな殺意が芽生えたが逆らっても良いことはない。大人しく自由な片手でリュックを掴む。そして器用に片腕にかける。
うむ。自画自賛しても良いだろう。手際が良い。がしかし、こんな余裕を持っている暇はない。先ほどから何も状況は変わっていない。
鞄を持ったことを確認した彼は先ほどより強く私を引っ張った。もう少し丁重に扱え。
「だから嫌われんだよ」
「あ? なんか言ったか?」
「イエナニモ」
とんだ地獄耳である。勘弁してほしい。
教室を出たと同時にばったり教師と会う。なんで今更、遅いなと思いつつ叱責を浴びる。
「お前ら何してんだ」
「早退するんすよ。警察から連絡来たんで」
そう言って颯一は着信履歴を見せた。ほんの数分前に本当に着信があったようだ。先生は何かを察したかのように一言呟いた。
「妹さんのことか?」
うっす、と頷いた後私の方を指さして「こいつは兄貴のことで。ついでに連れてきてくれって言われたんで」と言った。おいおい、それなら私にもそう説明してくれ。初めからしてくれ。
私が嫌な汗を服に染み込ませなくて済んだんじゃないか。
……ん? 兄貴? 兄貴とさっちゃんになんの関係が……
ってあれ? さっちゃんって誰だ……?
複雑な表情をチラリと見ると颯一は庇うように私の前に立った。
「てなわけで、早退するんで。担任に言っといてくれよ」
「わかった。気をつけてな」
教師が来た道と向き合ってまた去っていくのを見届け、私たちは帰路についた。
随分歩いたと感じたが高校の最寄駅にまでしか着いていない。いつもより足取りが重い所為なのだろうか。
「……で、帰るって言ったけど警察署ってわけじゃないんでしょ。どこにいくわけ」
「……
「何処だよそれ。……わかった、何も考えず着いていく」
普段とは反対車線の電車に乗り込む。ギリギリ通勤ラッシュは終わっているためか車両丸ごと空いている。いやというほど人はいない。少々不気味である。横に並んで席に座り、はぁ、とため息を吐く。
どうして朝からこんなに歩いて肉体的疲労感を味わなければならないのか。全ての元凶はすぐ隣で欠伸をしている。呑気なやつだ。
「そういやお前、“志岐沙菜穂”って分かるか」
眠そうな目を擦りながら前ぶりもなく彼は聞く。
「……お前の姉妹じゃないの。私とは関わりがないけど、兄貴ともう一人の被害者、でしょ」
見たこともないはずだし話したこともないのに、脳裏には「お姉ちゃん!」と無邪気に笑う齢十二の少女、“さっちゃん”が浮かぶ。どうしてこんなにも懐かしくて、悲しいのだろうか。心が抉られる思いを持たなければならないのだろうか。
次第に視界がぼやけてきた。ぽた、ぽた、と雫が落ちる音がする。雨にしてはやけに近いなと思ったら自分の涙だった。
颯一の顔は今もよく見えない。が、彼は静かにハンカチで私の涙を拭ってくれた。
「知ってるんだな。まぁそうだよな、知らなきゃおかしいもんな」
と呟いた。私には真意が分からない。それでもやはり悲しそうということだけは痛いほど分かる。
空気を変えたくて私は焦り気味に問う。
「そういや、終点に着くより長いこと電車に乗ってない?六分で着くはずだよね」
「まぁ時期に着くさ、とか言っているうちにな」
急ブレーキをかけるが如く、電車は止まった。はずが慣性は働いていないように思える。
ポーン、と聞きなれない電子音が鳴り響きドアが開く。終着点は何処なのだろうか。
不安を募らせながら先に降りる颯一の服の裾をきゅっと握り、ホームへと降り立つ。
ジジ……ッと音を立て、今にも消えそうな電子降板を見る。
“ 湊地区 ”
この国の何処かにあるとされている立ち入り禁止
でも実際私はここにいる。
目が開く。足がすくむ。冷や汗が出る。の恐怖のあまり驚き三コンボが出る。そんな様子を見て彼は一変する。
「ようこそ、不死の街、湊地区へ」
彼は不敵に笑う。死の淵へと案内するかの如く。
私の中でごくり、と音が、漲る音がした。
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