三角帽子の幸せ

takemot

「これ、面白そう」


 本を読む私の口から、自然とそんな言葉が飛び出した。


 本のタイトルは、『裏魔法薬』。昨日、町の古本屋で偶然見つけたものだ。


 私はすでに十八歳。魔女になって二年ほどだが、魔法を扱ったり、魔法薬を作ったりする腕は、そこそこのものだと自負している。だからこそ、『裏魔法薬』という普通の人ならまず怖がって手に取らないであろう本に、自然と手が伸びたのだ。


「物を人間に変える魔法薬……ね。えっと……うん。手持ちの薬草で作れそう」


 私は、ワクワクしながら薬の作成に取り掛かった。


 包丁を使って、用意した薬草を次々と刻む。その全てを鍋に入れ、自分の魔力を込めた水を注ぐ。どうやら、普通の水では駄目らしい。あとは、火の強さを少しずつ調整しながら、コトコト煮つめていく。


「できた……かな。さて、何を人間に変えようか」


 そう呟いて、ぐるりと辺りを見回す。目に飛び込んできたのは、椅子に掛けられた黒い三角帽子。ついこの間、新しい三角帽子を購入したこともあって、使わなくなったものだ。これなら失敗したとしても問題ないだろう。


 三角帽子を床に置き、その上から魔法薬を三滴。時間を十秒空けて、もう五滴。


 その瞬間、周囲が光に包まれた。思わず、眩しくて目を閉じる。光が収まった頃、ゆっくりと目を開けると、目の前には一人の少女が立っていた。


 彼女は、真っ黒なローブを身にまとい、セミロングの茶髪をなびかせている。その姿は、普段の私そのもの。顔も、私と瓜二つ。しいて違いを挙げるとするならば、背が私よりも少しだけ低いことだろうか。


「あの……あなたは、私の帽子……なの?」


 私の質問に、彼女はコクリと頷いて答える。


「はい。私は、ご主人様の帽子でございます」


 私の背中がゾクゾクと震える。今まで生きてきて、誰かにご主人様などと呼ばれたことがなかったからだ。違和感を感じてしまって仕方がない。


「えっと……どうすればいいのかな」


 とりあえず、魔法薬は完成だ。だが、その後のことは何も考えていない。彼女をもとに戻せばいいのだろうか。それとも、あえてこのまま……。


「……ご主人様。失礼ではありますが、少し、後ろを向いていただけませんか?」


 オロオロする私に、彼女は突然そう告げた。


「へ? わ、分かった」


 言われるがまま、私は彼女に背を向ける。一体何を……。


 その時だった。


 グサッ!


 背中に鋭い痛み。思わず、私は床にうつ伏せで倒れこむ。顔を後ろに向けると、そこには、ニヤリと笑みを浮かべた彼女。その手に握られているのは、赤い血がベットリと付いた包丁。


「な……ん…………で?」


 口を動かすたびに、背中の痛みがひどくなる。だが、聞いてしまう。聞かずにはいられなかった。


 醜悪な笑みを崩さず、彼女は私の質問に答える。


「ご主人様がいけないんですよ。私の代わりに新しい帽子をお買いになるなんて。……私はご主人様が大好きでした。ご主人様が初めて私を使ってくださった時は、涙が出るくらいうれしかったのです。それからもずっと、私は、ご主人様に使われる幸せを嚙みしめておりました。晴れの日も、雨の日も、風の日も、雪の日も。本当に、本当に、幸せでした。ご主人様が私を使ってくださる。ご主人様の所有物として、これ以上の喜びはございません。それなのに……それなのに……それなのに…………」


 彼女の顔は笑っているのに、目は笑っていない。その手は、プルプルと震えていた。


「もう私をお使いになってくださらない。それが分かった時、私がどんなに悲しんだか。どんなに苦しんだか。…………さあ、ご主人様、一緒に参りましょう。私も後からすぐに参ります。誰も手の届かない場所へ。そこでは、また私を使ってくださいね。そうでないと…………。あは……あはは……あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」


 薄れゆく意識の中で、彼女の笑い声だけが私の耳に響いていた。

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