第18話 破滅の時


「それで? どういう状況なのかな?」



 黒とマリンブルーでまとめられたノエルの執務室は、冷気も相まって荘厳な雰囲気をかもしだしている。

 この季節ではあり得ないほど室温が下がっているのは、ノエルの氷属性の聖神力がもれでて、冷気が漂うせいだ。


 シュナイクは、呆然として動けなかったところを、補佐官のニコラスに連れてこられていた。

 アルブスの総帥であるノエルは、穏やかな微笑みを浮かべながら、氷のような視線を向けている。初めてノエルのドス黒い怒りをむけられて、蛇に睨まれた蛙のように動けないでいた。


「たかだか三ヶ月ほど僕がいない間に、何故こんなに祓魔師エクソシストのレベルが落ちてるのかな?」


「そっ……それは……、私にもよく……」


「レオンは何してるの? レオンならあんな雑魚ども瞬殺でしょ?」


 ビクリとシュナイクの肩が震える。決して触れてほしくない話題だった。だが、ノエルの視線が早く答えろと急かしてくる。


「………………。国……放……しま……した」


「何? 声が小さくて聞き取れないよ」


「悪魔に取り憑かれていたので、こっ……国外追放しました!」


 言い終えて、ヒュッと息を吸う。隊服を着ていて寒くないはずなのに、身体がガダガタと震えてくる。


「……へぇ、そうなんだ」


 ノエルは穏やかな微笑みを崩さないまま、「フィル」と声を上げた。フィルレス隊長が持ってきた書類をシュナイクに突きつける。


「これね、僕がいない間に君がやってきたをまとめたんだよね。ちょっと見てくれる?」


 その書類は裁判記録からはじまっていた。誰がなにを発言したのか、詳しく記載されている。次の資料には裁判室の爆発後の処理の件が、誰が指示したのかもふくめて記載されていた。


 シュナイクが証拠を捏造したことや、嘘の証言についても、すべて本物の証拠とともに反論されている。

 そのあとには、悪魔族が襲撃したさいの指揮の取り方について記載されていた。複数の隊員の証言もある。


 もはや言い逃れできる状況ではなかった。


 あの時執務室で話した内容まで、報告されている……なぜだ? なぜニコラスに指示した際の一言一句まで、報告されているのだ!?


 斜め後ろにいるニコラスをバッと振り返った。ニコラスは涼しい顔で微動だにしていない。それを見ていたノエルが、ニコラスに話しかける。


「あぁ、ニコラスは本当にご苦労様。皆が嫌がる仕事を引き受けてくれて、ありがとう。明日からは通常業務に戻ってくれる?」


「いえ、全てはノエル様のためですから。これからもノエル様への変わらぬ忠誠を誓います」


 シュナイクはいつものニコラスとは、別人のような素振りに衝撃を受けた。嬉しさを隠さず、満面の笑顔でノエルを見つめている。私にはそのような顔など見せたことはない。

 ニコラスがなのか、一目瞭然だった。

 私は……なんという相手を、敵に回したのだ。


「シュナイク」


 ただ名前を呼ばれただけだ。でも、それだけで息がしづらくなり、背中を冷たい汗が伝う。いつもはその笑顔の下に隠している、悪魔族なんかよりも恐ろしい素顔が垣間みえた。


「もしかして、レオンを追放して、僕がいない間にアルブスを乗っ取ろうとしたのかな? それがこの僕にバレないとでも思ったの?」


 室温がさらにぐんと下がった。息ができない。なのに、あまりの冷気に肺が凍るようだ。寒さとは別に奥歯がガチガチとなって止められない。


「シュナイク・バーリエ、処分を言い渡す」


 ノエルの凛とした声が、執務室に静かに響く。シュナイクは口の中がカラカラなのに、ゴクリと喉を鳴らした。


「只今をもって一番隊副隊長から降格、及びアルブスから除隊処分とする。また、総帥に対する暗殺未遂、総帥代理時の不適切な陣頭指揮による損害は計り知れない」


 そうだ、これが私のやって来たことなのだ。なぜ、あんなにも自信を持って、自分ならできると思っていたのか、今ではまったくわからない。




「よって永久国外追放とする」




(レオンと同じ苦しみを、いや、更なる苦痛を味わえばいいのに……)


「君はここまでだね。残念だよ」


 いつかレオンに投げかけた言葉が己に返ってくる。ただ、こうべを垂れて、聞き入れるしかできない。

 その時、心の奥底から、湧き上がる声があった。


『ああ! 何だよ……ここで終わりなのか!』


 そこへ、ノエルがなんでもないことのように、最後の爆弾を落としてきた。


「そうだ、これは知らない人も多いんだけど……レオンは僕の双子の兄なんだ。本当に兄がお世話になったね」


「……へ? 双子……? だって名字が違う……のに?」


「あぁ、僕は養子だし、二卵性だから見た目は似てないけどね」


 驚きすぎて、シュナイクはポカンとしている。祓魔師エクソシストはいれかわりが激しい。ノエルとレオンが双子の特級祓魔師エクソシストであることや、レオンの面倒くさがりな性格を知っているのは隊長や副隊長の一部だけだった。


「だからレオンが僕を裏切って、悪魔族に寝返るなんてありえないんだ。そもそもレオンが、悪魔族に取り憑かれるわけないでしょう。君の計画は最初から破綻していたんだよ」


 一番敵に回してはいけない人物たちだった。そう気づいたのは、全てが終わった後だ。後悔しても時間は元に戻らない。そしてやってしまったことの責任は、取らなくてはならないのだ。


「それで、君の国外追放の件だけど。転移魔法なんて生ぬるいから、僕が直々に連れて行ってあげる」


「………………え?」


 頬杖をついてフフフと笑うノエルからは、黒いものしか感じなかった。フィルはやれやれと深いため息をつく。

 シュナイクの足元は霜が降りて、床は凍り始めていた。




     ***




「ノエル様、シュナイク・バーリエは封神の手枷をつけて、独房に投獄しました。処分が実行されるまでは、私が世話をします。タイタラスとバーンズについては、封神の腕輪をつけ除隊処分として処理いたしました」


「わかった、ありがとう。ニコラス、最後にひとつだけ聞いてもいいかな?」


 シュナイクの処分を公開し、今回の騒動の後処理をしていたノエルは、手を止めてニコラスに視線を向けた。


「はい、何でしょうか?」


 ノエルには腑に落ちない事があった。人事においては、決定する前に充分に調査もして、問題のない人物を起用していたはずだ。けれど今回、シュナイクの騒動が起きてしまった。

 調査が不十分だったのか? 自分に人を見る目がなかったのか? 他に、何か理由があるのか……?


「シュナイクは、最初からあんな人物だったかな?」


「そうですね……私が補佐官についたのは三年前ですが、その頃は尊敬できる人物だったように思います」


「そう……何か彼の中で、大きな出来事があったのか……?」


 何かあっただろうか? シュナイクの実家や身辺で悲しい出来事や、大きな事故などがなかったか、記憶をさらってみる。


 ニコラスもシュナイクと悪魔族との戦闘をメインに、様々な仕事をして来たのだ。あの時は大丈夫だった、あの時点ではまともだったなど、ひとつひとつ思い返していた。


「あ……」


 ニコラスが何かを思い出したようだ。


「何かあった?」


 それが原因かわかりませんがと前置きした上で、ニコラスは続ける。


「ある時、隊員を庇って大きな怪我を負った事がありました。なぜか回復魔術の効きが悪くて、しばらく出動できなかった記憶があります」


「あぁ……あれは二年くらい前だったよね? フィルもいろいろ試したけどダメだと、相談を受けた覚えがある」


「その後からです。言動がおかしいと感じるようになったのは」


 それならば、その時にシュナイクの身に何かおきた可能性があるのか? これは調査が必要だ……しかも内密に。


「ちょっと出てくる。ニコラスは今日はもう上がっていいよ。ゆっくり休んでくれ」


「はい、ノエル様、ありがとうございます」




 ノエルは執務室を出ると、聖堂へと向かった。今回の襲撃の負傷者が多数いて、フィルレスもそこで三番隊の指揮を取っているはずだ。

 聖堂に入ると、三ヶ月ぶりの総帥の姿に目を潤ませるものもいたが、すぐに目の前の負傷者に意識を戻していった。

 フィルが指導してるだけあって、みんなプロ意識が高い。


「フィル。今大丈夫?」


「何? 執務室で仕事じゃないの? まぁ、ちょうど手が空いたから大丈夫だけど」


 フィルレスの口と態度の悪さは、ノエル相手でも変わらなかった。いつものことなので、ノエルは気にした風もなく話を続ける。

 実際、公的な場所では態度を改めるし、こんな態度になった理由もわかってるので問題はない。


「うん、ちょっとフィルの話が聞きたくて。二年前の治療のことなんだ」


「それなら、僕の執務室でもいい? 二年前なら診察の記録もあるから」


 フィルレスは副隊長のジュリアに指示を出して、ノエルとともに執務室へむかう。

 三番隊の隊長の執務室は、いつも陽だまりのように暖かい。ライトベージュの執務机とグリーンの配色が心を和ませる。

 部屋に入ると、ノエルはすぐに防音の結界を張った。


 フィルレスは壁に備え付けられているキャビネットの鍵を開けながら、ノエルを振り返る。


「それで、誰の治療の話?」


「シュナイクだ。二年前に治療が効きにくかったと、フィルが相談に来た件だよ」


「はぁ!? あんなヤツどうでもいいだろ!? 何で今更——」


 言いかけて、フィルレスは口をつぐむ。総帥ノエルが直々に調査に来ているのだ。シュナイクということは、今回の騒動に関係する、何か重要なことが知りたいのかもしれない。

 指名順に並べられている記録から、シュナイクの分を取り出した。


「察してくれて助かるよ。まだ口外できないんだ」


「……わかったよ。二年前ね……これだ」


 診察や治療の記録に目を通していく。二年前にオリビアという隊員をたすけた際、右半身を大きく負傷したと記録されていた。

 たしかに治癒魔術がほとんど効いておらず、回復までにかなりの時間がかかっている。これは、異常だ。


「他に似たような症状があった者は?」


「特殊な例なら、ここにまとめてあるよ」


 レアケースのみ集めた記録を、二年前よりさらに遡って調べてゆく。そこに、ついさっき見た名前が出てきた。詳しく見てみると、怪我ではないが回復魔術でも治らず、しばらく休暇を取っていたとある。


「オリビア・シャルトーか……彼女は確か西塔の担当だね」


「オリビア……あぁ、この記録か。吐き気と頭痛がひどくて、回復魔術が効かなかったんだ」


 手がかりが見つかった。彼女に話を聞けば、さらに何かわかるかもしれない。


「フィル、時間をとらせて悪かったね」


「それは構わないから、全てわかったらちゃんと説明して。回復できないままでいるのは、僕のプライドが許さないんだよ!」


 ギリギリと握り拳をつくるフィルを執務室に残して、ノエルは空へと羽ばたいた。


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