第17話 我の居場所は

 あの真っ黒な暗闇の中で、誰かと話したのは初めてだった。



 闇に飲み込まれた者たちは、我の傀儡となって命令を聞くだけで、意思など持ちあわせていなかった。


 話せたことがあまりにも嬉しくて、たかぶる感情を抑えなれなかったのだ。あっけなく魔力が暴走してしまい、突然の強い衝撃に意識が遠のいた。


 あの時包まれた温もりは暖かかった。

 我を抱き上げてくれた、たくましい腕は……あの者なのだろうか?




     ***




「あ、目覚めたか? 大丈夫か? ベルゼブブが強かったから、思わず力入っちゃったんだよな。痛いところないか?」



 ……ここは、どこだ?


 ベッドの横には、先程まで対峙していた者がいた。

 ベルゼブブはもっそりと起き上がる。見慣れぬ場所に戸惑うが、身体に異常はないようだ。

 ベッドはフカフカだし、部屋もアイボリーとピンクでまとめられていて可愛らしい。状況からすると、我に危害を加えるつもりはないようだ。


 だが、我がここにいれば、傀儡が増えるだけだ。


「ごめんな、ちゃんと回復させたけど大丈夫か?」


「あぁ……大丈夫だ……我は帰る」


 一人で過ごす時間が長すぎて、話しかけられることに慣れていない。返事するのを忘れてしまう。


 闇の魔力が収まっているうちに、早く一人にならなければ。あの部屋でじっとしてれば、誰も傀儡にならないのだから。


「あ……あの、重ね重ね申し訳ないけど、城が半壊状態で戻れる状況じゃないんです……本当にすみません」


「……構わぬ、魔力で修繕できる。何より、我は一人でいなければならぬ」


 ベッドから降りて立ち上がろうとするも、何故か身体に力が入らず倒れそうになってしまった。

 慌てた様子で我を抱きとめた温もりに、覚えがあった。


「まだ動くのは無理みたいだから、このまま休んでろよ」


「…………おぬし、傀儡城でも我を助けたか?」


「ああ、俺の攻撃で気を失ったから、抱き上げて連れてきたんだけど……イヤだったら、ごめん」


 そう言いながらも、気を失った時と同じように抱き上げて、ベッドに優しく寝かせてくれた。


 なんだ、これは……? なぜ我にこのように優しくするのだ? このような者を闇に取り込みたくはないのだ!


「では、おぬしが傀儡城まで連れて行ってくれぬか?」


「なぁ、なんでそんなに傀儡城に帰りたいんだ?」


 なんだ、此奴こやつは我のこと知らぬのか? 傀儡城の主人、ベルゼブブだぞ?


「我は……闇の魔力で近くにいる者を、傀儡に変えてしまうのだ。だから、一人でいなければならぬ」


「あ、それなら心配ない、結界張ったし。その腕輪をつけてれば、下級の悪魔族くらいの魔力になるから」


「……………………なにを、言っている……のだ?」


 我の魔力を結界で封じたというのか? ……そういえば祓魔師エクソシストなどと申しておったか。


 左手首を見ると、見覚えのない鈍い金色の腕輪が付けられていた。紅い魔石が三つはめ込まれている。どこかで見たような装飾だが、好みの柄だった。


「最初は近くにあった盾で、結界を張ったんだけどな。生活するのに不便だから、アスモデウスに頼んで腕輪に形を変えてもらったんだ」


「……アスモデウス……ああ、あの毒使いの者か」


 たしか百年ほど前に、ほんの数日だけ我が城にいたことがあったな。訪ねてくるものなどおらぬから、記憶しておる。


「ベルゼブブに会ってくれって頼んだのも、アスモデウスだよ。だから俺は傀儡城に行ったんだ」


「ふん……余計なことを……だが、我は……城に……」


 あぁ、ダメだ……まぶたが重い。もう百年分は会話したのではないか? 少し、疲れたようだ———


「寝ちゃったか……しかし、ベルゼブブって意外と頑固なんだな」




     ***




 我はもう何百年も、あの傀儡城でたった一人、闇の中にいた。



 我の魔力は闇属性だった。あふれ出る魔力は強力で、むくろを操るのはもちろん、生きている者でも闇に取り込み傀儡にしてしまうのだ。


 初めて傀儡にしたのは両親だった。我は自分の魔力を止められなかった。

 発狂すればするほど、魔力の操作ができなくなった。それでも側にいてくれた姉も、一人は寂しいなと同情してくれた者も、みんなみんな我の傀儡になってしまった。



 もう誰も傀儡にしたくなくて、一人でいることを決めたのだ。西の果ての方にある城には、誰も近寄らないように傀儡を徘徊させた。誤って迷い込んだ者はすぐに追い返した。


 やがて何も感じなくなり、かと言って死ぬこともできない自分に嫌気がさしていた。



 アスモデウスが城を訪れたのは、そんな時だったか。傀儡にしてほしいと我に言ってきたのだ。変わったヤツだと思ったが、興味がなかったので放置していた。気づいたらいなくなっていた。


 魔力が尽きて朽ち果てるまで、あとどれくらいの時を、一人で過ごさねばならないのだろうか。寿命が何百年もある悪魔族の我には途方もなかった。



 だから、もういっそ殺して欲しかったのに。

 闇に囚われない者に歓喜して、さらに深い闇に引きず込んでしまうバケモノなど、殺して欲しかった。

 殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して————



 ————イヤな夢を見ていた。冷や汗が額を伝う。

 部屋はすでに夜の闇が広がっていた。




「あら……起こしてしまったかしら?」


 声の方に視線を向けると、ローブをまとった三つ編みの悪魔族がいた。ああ、此奴こやつは覚えておる。


「……アスモデウスか」


「ふふ、覚えていてくれたのねぇ」


「来客など……ほとんどないのでな」


 心のうちを悟られるのがイヤで、余裕などないくせに平気なふりをしてしまう。


「少し診させてもらうわね」


 アスモデウスの冷たい指先が、額や手首に触れていくのが心地よかった。

 だが、闇の力が漏れ出ていないところを見ると、本当に結界によって抑えられているようだ。

 そのような事が出来るなど思いもよらなかった。


「ねぇ、ベルゼブブ。あなたもレオン様と契約しない?」


「レオン……? あの祓魔師エクソシストのことか? 『あなたも』ということは……おぬしは契約したのか?」


「ええ、もう一ヶ月も前のことよ。私はレオン様に会って人生が変わったわ」


 たしかに今のアスモデウスの瞳は、穏やかで慈愛に満ちていた。前に会った時とは別人のようだ。

 だが、我の人生などそう簡単には変わるまい。


「我には、意味がない」


「そうかしら? もう人生変わったと思うわよ?」


「何故そのように言い切れる?」


「だって、その腕輪があれば、もう一人でいる必要ないでしょう?」



 アスモデウスの話していることは、理解できている。

 腕輪があれば、結界が魔力を抑えてくれる。それならば、周りのものを傀儡にすることはない。


 我が城に帰り一人で過ごす目的は、傀儡を増やさないためだ。腕輪をつけることで、その目的は達成されている。

 もう————たった一人で過ごさなくてもよいのか?



「ほん……とうに? もう一人でいなくても、よいの……か?」


「そうよ。だから、あなたもここに居たらいいのよ」


「レオン……といったか。今……話はできるだろうか?」


「ふふふ、もちろんよ。呼んでくるわ」


 アスモデウスはふんわりと笑うと、レオンの執務室へ向かった。




     ***




「お待たせ、ベルゼブブ。話ってなに?」


 とても軽いノリでレオンはやってきた。ベルゼブブは自分の気持ちとの温度差を感じてしまう。でも、それよりも話したいという想いの方が強かった。


「その……おぬしは闇の力が、私の魔力が怖くないのか?」


「は? 何言ってんの? そもそもベルゼブブの魔力効かないし。俺、祓魔師エクソシストだし。本職だからなんでもないけど?」


「本当に腕輪をつけていれば、強い魔力は漏れ出さないのか?」


 ひとつひとつ、慎重に言葉にしていく。自分に言い聞かせるように。心に染み込ませるように。

 ふっと微笑んでレオンは答える。


「うん、そこまでヤワな結界じゃないから。安心していいよ。メンテナンスもするから」


 そして、一番聞きたい質問をぶつける。何百年も諦めていた、希望が叶うかもしれないのだ。



「これを付けていれば……他の者とも交流できるのか?」


「大丈夫だよ」


 鼻の奥がツンとする。視界がぼやけてよく見えない。



「何かあっても俺が抑えてやるから。ここに居ろよ」



 ベルゼブブは、ボロボロとこぼれ落ちる涙を拭きもせずにレオンを見つめていた。




 ずっとずっとひたすらに孤独だった。

 これから先も変わらない時間があるだけだと思っていた。

 でも、レオンが終わらせてくれた。あの深い深い闇の底から救い出してくれた。




「レオン、我と契約してくれぬか?」


「うん、俺からも頼もうと思ってた。対価は何がいい?」


「もう、たくさんのものをもらっておるが……これからも我をここに、レオンの側に居させてくれ」


「ええー……対価、本当にそんなんでいいのか?」


 対価になってないじゃんというツッコミを、レオンはかろうじて飲み込んだ。あんまりにも嬉しそうなベルゼブブに、何も言えなくなってしまった。



「それでは、これからは主人殿あるじどのと呼ばせてもらおう。よろしく頼む」


「よろしくな、ベルゼブブ」


 こうしてベルゼブブとも契約を済ませて、ルージュ・デザライトの全悪魔族は完全にレオンの下僕となったのだった。

 そのことに、当の本人はまだ気づいていない。




「おお、そうであった」


 本気で忘れていたと、ベルゼブブはパワードリンクを飲み終えてから、ある契約書をポンっと空中に取り出した。


「だいぶ前からヴェルメリオに攻め込むように、命令を出しておいた傀儡がおってな。魔力を多く分け与えて、オートで行動するようにしておったのだ」


「何そのエゲツない命令。それに俺、そいつら絶対にはらってるよな?」


「そうじゃの、主人殿にはいつもコテンパンにやられておったわ」


 笑いながらもベルゼブブは契約書に手を加えている。何かを消して、何かを追加しているようだ。


「で、それがどうしたんだよ?」


「その国は主人殿の故郷なのであろう? 命令を取り下げようと思ってな。今度はこの城を守るように書き換えたのだ」


「え、そうなの? それはありがとう! ベルゼブブ」


「よいのだ、主人殿を喜ばせるのは下僕の仕事だからな」


 レオンの笑顔にベルゼブブは心から喜びを感じていた。自分を救ってくれた主人に、喜んでもらえるのが嬉しくてたまらない。

 そして、その勢いに乗ってもう一つの事実をレオンに突きつける。



「もうひとつ提案があるのだが、よいか?」


「何?」


 レオンはニコニコしたまま、ベルゼブブの提案を聞いてみることにした。


「主人殿、我ら悪魔族の大魔王になってくれぬか? というか、すでに実質的な大魔王なのだが、大魔王様と呼ぶことを許してくれぬか?」


「はぁぁぁ!? 大魔王って!? 実質的な大魔王ってなにっ!?」


「ふむ、我と契約したことにより悪魔族の掌握が完了したのだ。よって、主人殿は悪魔族のトップであることに、間違いはない」



「………………なんですと?」



 ベルゼブブはたった今主人になったばかりのレオンを、さらに進化させるつもりでいた。超実力主義の悪魔族の世界では、強いものが支配するのは当然だった。


 実力No.1のベルゼブブとNo.2のアスモデウスを下僕にしたのだ。レオン以外に誰がトップだというのか。


「大魔王はイヤなのか?」


「うーん、本職は祓魔師エクソシストなんだけど……そういえば、もうクビになったから今無職なんだよなぁ」


「ならば、大魔王に転職するがよい。祓魔師エクソシストは副業として続ければよいではないか」


 フフフ……このベルゼブブを甘くみるでないぞ、主人殿よ。これでも何百年も生きておるのだ。

 一人で時間を持て余していたから、書物という書物は読みあさったし、掃除もしまくったし、傀儡を通して世界のあらゆる事柄を観てきたのだ。

 ————もう一押しだな。


「それにな、大魔王様はすこぶる待遇がよいのだ」


「待遇って……給料とか、休みとか?」


「もちろんじゃ。給料は国王並みだし、休みは役目さえ果たせばいつ取ってもよい。それに、住まいも食事も衣類も全て無償で提供するぞ」


 ククク……その表情かお、もう落ちたな。主人殿もまだまだ若僧よのう。

 


「やります! 大魔王やらせてくださいっ!!」



 その場で悪魔族の代表としてベルゼブブと大魔王としての契約を交わした。

 この事は契約の対象者として、すべての悪魔族に一瞬で周知される。レオンはルージュ・デザライトの大魔王として、君臨することになった。



 翌日、ベルゼブブはベリアルやアスモデウス、グレシルたち城で働く者たちから、褒め称えられていた。




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