トシローさんと、お母さん。

 トシローさんを連れて家の中に入ると、リビングからお母さんが飛び出してきた。


「美鈴、あんたその猫、どうするつもり?」


 お母さんにそう言われて、はっとなる。

 そういえばお母さん、動物は絶対飼わないって言ってた気が……。


 幼稚園の頃にも、こうやって捨て猫を連れて帰ってきたことがあった。

 だけどお母さんにだめだって言われちゃった。

 説得しようと頑張ったけど、結局飼わせてもらえなかったな……。


 あの時の子猫、元気にしているだろうか。

 あの後、元の段ボール箱に返しに行ったんだけど。すごく後悔したんだよね。

 次の日、見に行ってみたらもう段ボール箱には誰もいなかったけれど。

 ちゃんといい人にもらわれたか、事故にあってないか心配だった。

 今の今まで、すっかり忘れてたけど、思い出したら気になる。


『ミスズのお母さんは、猫が嫌いなのだ……』


 しょぼんとするトシローさん。


「動物は飼わないって前にも言ったでしょ」


 お母さんが腰に手をあてて言う。


『ミスズのお母さん、動物自体が嫌いなのだ、どうしたらいいのだ……?』

「いや、どうしようもないですよ……」


 こればかりは、好き嫌いの話だからどうしようもないです。


「どうしようもないってどういうことよ!?」


 お母さん、すごい剣幕だ。あれ……。


『あ、ちなみにワガハイの言葉は、ミスズにしか聞こえていないのだ。話せる猫は、犯罪に巻き込まれやすいのだ』


 思い出したように言うトシローさん。

 私とトシローさんの会話は、お母さんには私の独り言にしか聞こえないんだ。


 トシローさんはぽんっ、と手を打つ。


『そうなのだ! ワガハイに考えがあるのだ!』


 そう言って、お母さんと私の間に割って入る。

 トシローさんはお母さんを見上げた。その目は、うるうる、キラキラ。


「……」


 お母さんは黙った。だけどしばらくして。


「そんな顔しても、だめなものはだめです」


 やっぱりだめですか、そうですか。

 きっぱり言ったお母さんの口調。これはもう、どうしようもありません。


 次にトシローさんは、床にごろんと寝転がった。

 おまけにごろごろ、のども鳴らしてみせる。だけどお母さんの表情は変わらない。


『なかなか手ごわいのだ……』


 トシローさんは、大きなため息を一つ。

 そうなんです、お母さんは手ごわい人なんです。

 だから幼稚園児だった私は、どうしようもなくてあきらめたんだ。


『むむぅ。でも、あきらめないのだ。ワガハイには、魔法があるのだ!』


 トシローさんはそう言って、私の方に背中を向ける。

 ああ、自分が身に着けているリボンを見せつけたいのかな。


 リボンの真ん中についている石が、光っている。


『猫を飼うのだ! 猫がいると日常生活が楽しくなるのだ!』


 そんなサイミンジュツ的なもの、聞くとは思えないんだけど……。

 私が首をかしげていると、トシローが私を見上げた。


『ミスズ、お前も言葉に出すのだ。魔法が使える者とその弟子が力を合わせないと、魔法は使えないのだ』


 なにそれ初めて聞きました。


「猫を飼うのです。猫がいると日常生活が楽しくなるのです」


 本当にこんなことを言うだけで、何か変わるのでしょうか……。

 そんなことを思いつつ、トシローさんと一緒に同じ内容のことを言う。

 すると……。


 トシローさんの身に着けているリボンの石が、まばゆい光を放った。


「あら何? このかわいい猫。迷い猫?」


 光が収まったとき、トシローは意外な場所にいた。

 意外な場所。……――それは、お母さんの腕の中。

 腕の中!?

 思わず、お母さんを二度見する。


 いつもペットショップは絶対のぞかないお母さん。

 散歩中の犬がいたら、すごい勢いで逃げていくお母さん。

 そんなお母さんが今、ごく当たり前のような顔で、猫を抱いている。


 これはいったい……――!?

 

『ミスズ、ミスズ。うまくいったのだ。これでワガハイもこの家の家猫なのだ!』


 トシローさん、家猫という言葉はご存じなんですね……。若干呆れる。


「う、うん。その猫、拾ってくださいって書かれた段ボールに入っててね……」

『そんな段ボールにはワガハイ、入っていないのだ』


 むっとするトシローさん。それはそうだ。これは、トシローさんのことじゃない。

 これは私が幼稚園児の時に拾ってきた、子猫のことだもん。


「それはかわいそうね。こんなかわいい猫だもの、うちで飼っちゃいましょうか」


 お母さんの言葉に、私はぎょっとする。

 今お母さん、なんて言った……?

 『猫を飼ってもいい』って言ったよね? 空耳……?


「え、飼ってもいいの……?」


 私は思わず聞き返す。すると、お母さんがきょとんとした顔をする。


「だってかわいそうじゃない。こんな雨の中、元の場所に返してくるなんて」


 それを聞いて私は絶句する。あの時、子猫を拾ってきた日も、大雨だったから。

 ……うん、これは今までのお母さんでは考えられない言葉だ。

 

 これで、はっきりと分かった。トシローさんは本当に魔法が使えるのだろう。


 トシローさんを抱いて、リビングへと戻っていったお母さん。

 その背中を、私は無言で見つめていた。

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