第1話 引きこもり少女に愛の手を
もう春と呼ぶには暖かく、まだ夏と呼ぶには少し早い、そんな季節。
下校する子どもたちに混じって一組の男女が歩いている。
「こども委員♪ こども委員♪ 今日から俺もこども委員~♪」
明るい声で鼻歌交じりに歌うのは少年と青年の境目くらいの男の子。
黒い短髪のツンツンヘアーにくりっとした大きな瞳、屈託のない笑顔を浮かべている。
制服姿から判断するに、隣町の高校に通っているのだろう。
「何その歌。何がそんなに嬉しいんだか」
その横を歩くのは彼と同じくらいの背丈で、彼よりも少し年上と思われる女性。
栗色のロングヘアに整った顔立ち、美人だが黙っていると怒っているようにも見える鋭い目付き。
こちらは完全に私服で、白シャツにジーンズ、薄手のベージュのカーディガンと今どきの若者らしいラフな格好をしている。
「だって
「アンタが早く到着しすぎたせいでこっちも講義が終わったら全力でダッシュさせられたんだから。集合時間より30分も前に着いてんじゃないっての」
「……その割には集合時間ギリギリじゃなかった?」
「アタシの全力は牛並みなのよ。覚えておきなさい、ター坊」
ター坊と呼ばれた少年は「相変わらずだなぁ」という表情を浮かべた。
「ところでアンタ、今日向かう家の子についてちゃんと資料読んだんでしょうね?」
「……資料?」
「はぁ!? ちゃんとメールで送られてきてたでしょうが!」
少年の首根っこを捕まえてぐいと詰め寄る。
ただでさえ鋭い目つきがさらに険しくなる。
「ええっと、その……姉御が助手を募集してるっていう情報だけ見て応募したんで」
「信じらんない。あのねぇ、この活動は相手との信頼関係がいちばん重要なの。だから相手のことをよく知って、刺激したり失言しないように最新の注意を心がけなきゃいけないの」
「おお、姉御が大人みたいな立派なこと言ってる」
「みたいな、じゃなくて大人よ。もう今年で二十歳なんだから」
ふふん、と自慢気に胸を張る。
表情を崩した彼女は少女らしさの残る笑顔を浮かべた。
資料を眺めながら再確認する。
「名前は
「へー、年季入ってますね」
「……本人はもちろん親御さんにも、そんな言い方したらぶっ飛ばすよ」
「わ、わかってますって。いや、元引きこもりの身から言わせてもらうと、二年でも結構大変だったのに五年って。なかなかですよ」
「引きこもってた側が偉そうに語るなっての」
ただでさえ細い目がさらに細くなる。
そして無言のまま、彼女は口に手を当て何やら考える仕草を取る。
「……ひょっとしなくても、こども委員としての心得なんて読んでは」
「ないです!」
「自信満々に言うな。ああもう、最低限のことだけ教えるから」
そして依頼主の家に着くまでの間、みっちりと講義が行われた。
到着したのはごく普通の戸建てだった。
インターホンを鳴らすと四十代前半くらいの女性が応じる。
「こんにちは。『こども委員』より派遣された
某ハンバーガーショップ並の余所行きスマイルを浮かべる。
声も先程までとはまるで違い、隣の彼は思わず固まってしまう。
「で、こっちが」
「……はっ! えっと、
「まあ、お待ちしていました。朱空
深く頭を下げる。
泣きぼくろが特徴的な幸薄顔だな、とイタルは思った。
「えっ、あのっ、不束者ですがこちらこそよろしくお願いします」
彼には大人に頭を下げられる経験など無く、突然のことに混乱してしまう。
「バカ。……コホン。中で詳しくお話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか」
もちろんと二人を中へ招き入れる。
立ちふるまいは普通だが、頻繁にため息をつく姿はあまり年齢に似つかわしくない。
苦労している様子が見受けられる。
通された客間には個別のソファが二つずつ並べられている。
座って待っていると、メジロがお茶を用意する。
向かい合うように腰掛け、本格的に話し合いを始める。
「最初はただ学校には行かないというだけの不登校でした。でも次第に部屋から出てくる回数も減り、今では一日に一度出てくるかどうか。食事も取らない日も増えて、とにかく不安なんです。あの子はちゃんとした大人になれるのかなって。このままじゃ、周りの人になんて言われるか……」
話している時もどこか遠くを見つめており、どこか他人事のように話している。
そんな印象を受けた。
「それって、ちゃんとお子さんのことを考えた上での言葉ですか?」
「えっ?」
タケシの問いに虚を突かれたような顔になる。
「そもそもちゃんとした大人ってなんですか。子どもには子どもなりの考えがあるんです。大人がそれを押し付けるだなんて身がっ、……もごもごっ」
「あはは、スイマセン。……いいからアンタは黙ってろ」
熱弁を振るう彼の口を押さえ、ヘッドロックをかけて黙らせる。
「ギ、ギブギブ、ギ……ガクッ」
「落ちたな」
「落ちました」
「落ちてねーじゃん」
「ちょ、タンマ。姉御ガチで殺しにかかってんじゃん!」
などと言いつつ、イタルに構ってもらえて内心喜んでいた。
メジロの視線を感じ、じゃれ付く猫相手のようにイタルはタケシをぐいと引き離す。
「と、とりあえずヒバリちゃんとお話させてもらってもいいですか」
改めてイタルが発案する。
「はい。娘の部屋は階段を上がった先にあります。ただ、普段は内側から鍵がかかっているので外から呼びかけることしか出来ませんが……」
「ええ、それで結構です」
ちらりと家全体を見回してみるが、特別裕福でも貧困でもない一般的な家庭のようだ。
鳥や動物の剥製が置いてあるわけでもなし。
ちょっとした絵画が飾っている程度。
清掃も行き届いており、ゴミが散乱して荒れている様子もない。
彼らが来るから掃除するのは当たり前では、と思うかもしれないが、本当にひどい家庭では来客があってもお構いなしなのだ。
イタルはそういう家庭があることを知っている。
そして気付かれぬように目だけで周囲を見ている彼女に対し、好奇心たっぷりに祭りの屋台でも眺めるかのごとく首を動かすタケシを無言で小突く。
三度目でようやく察した。
扉はレバー式の押し下げて開けるタイプのドアノブで、開閉状態が外から見てわかるようになっている。
しっかりと「閉」の文字が表示されていた。
コンコン、とドアを叩き呼びかける。
「こんにちはー。アタシはアナタのお母さんの知り合いで虎流っていうのー。良かったらー、おねーさんとお話してくれないかなー」
ゆっくりと、優しく小さな子供に話しかけるように声を出す。
耳をそばだてるが相手からの返事はない。
それどころか、物音一つ聞こえてこない。
「もしかして、寝てる……?」
「お二人が来る少し前に呼びかけたところ返事があったので起きているかと」
「うーん。いきなり知らない人に呼ばれても怖いか」
それならと母親に再度呼びかけてもらう。
しかし結果は同じだった。
「……警戒されてるなぁ」
三十分ほど粘るが状況は変わらない。
仕方がないので一度降りて対策を考えることにした。
ピンポーン。
階段を降りる最中にインターホンが鳴る。
メジロは玄関に、二人は客間に戻る。
「飾られてた絵、見ました?」
「廊下にあったやつ? 有名なのか」
「んー、有名ってか俺の尊敬する絵描きのタッチに似てる作品なんですよね。まさに俺好み。めちゃくちゃ良くなかったですか!?」
「いや、別に」
興奮気味なタケシと興味のないイタル。
その温度差がなんとも対照的だ。
「ええー……姉御は芸術に対する理解力が乏しすぎますって」
「いや、フツーでしょ。ふーん、その様子だとター坊、ひょっとしてまだ続けているんだ?」
イタルが言ったところで、何やら廊下が騒がしいことに気付く。
トラブルだろうかと扉から外の様子を覗いてみる――と。
「ちょ、ちょっと、こ、困ります」
「大丈夫デス。見事に解決してみせましょう」
ヒバリの静止を振り切って一人の女性が廊下を歩いていく。
サラサラの金髪にガラス玉のような碧眼、紺のワンピースに白いエプロン姿。
いわゆるメイド服。
キビキビと動く様はいかにもデキる給仕という雰囲気を醸し出している。
だが、それがなんだか返って不釣り合いと言うか、一般家庭に紛れ込んでいると違和感がある。
一人だけドラマの世界から飛び出してきたような場違い感。
見惚れてしまうような美人ではあるのだが、どちらかというと西洋人形やCGといった非現実感の方が強い。
「え……アンタ誰」
不審人物を見る目で声をかける。
二人に気付いてピタリと動きを止め、首だけ向き直る。
「『どんな問題児でも完全更生!』がモットー。
「ロボットミーって……ここ最近じゃ一番勢いのある児童更生組織じゃん」
目を丸くしながらイタルが呟く。
「ふーん、有名なんだ」
感心するタケシ。
先程の絵のやり取りと立場が逆転しているのが面白い。
「そんな更生員とやらが何でここに? メジロさん。もしかして、他にも依頼を?」
もしやと思いメジロの方を見るが、彼女は首を振って否定する。
「いきなり『娘はまだ更生できていないか』と聞かれて、はいと答えたらそのまま中に……」
よよよ、と静かに泣き崩れる。
「メジロさん、セールスにものすごく弱そう……」
呟くタケシの頭に無言で拳が振り下ろされる。
「改めて、朱空メジロ様デスね。以前アンケートにお答えしていただいたと思います。その際に『モニターになってもいい』というチェック欄に印を付けていただいたかと」
「あ……そういえば娘が引きこもり始めの時にワラにもすがる思いで書いたような。何の音沙汰もないので忘れてました」
「そりゃ仕方ないっすね」
緊張感のない様子で納得するタケシに対し、イタルは怪訝な表情で女性を見る。
正直、子どもを更生させるのが上手とは思えないのだ。
今の会話中も表情筋一つ動かさない、仮面のような顔をしている。
「さァ、見事に解決してせましょう」
言って彼女は階段を登っていく。
そのまま引きこもりの少女の待つ部屋の前に立つ。
ガガッ。
扉を壊しかねない勢いでドアノブを掴む。
「ちょっとアンタ。無理やりこじ開けようとするなっての!」
「ふむ、施錠されているのデスね」
一度手を離し、ポキポキと指を鳴らすような仕草をして、再びドアノブを握る。
「全日本解錠検定一級の実力を見せてご覧にいれましょう」
「なんだそれ!?」
タケシのツッコミを無視して彼女は大きく深呼吸する。
「ふッ」
ガガガガガッッッ!
まるで工事現場のドリルのようにドアノブを振動させる。
地震でも起きたかのように家全体が揺れている。
そして。
――カチッ。
「開きました」
「「「えっ」」」
あまりに突拍子のない出来事に、周りの三人も言葉を失う。
「えっ」
それは部屋の内側でも同じだったようだ。
ガチャッ。
ゆっくりと扉が開かれる。
仮面を付けたような顔のメイドが音もなく中へ進み行く。
引きこもりでなくとも恐ろしい光景だろう。
タケシが部屋の中を覗いてみる。
中は整理整頓がなされている、いたって普通の子供部屋だった。
勉強机があって本棚があって、壁に何も貼られていないのが少し殺風景に思える程度で、後はベッドの上で震えるパジャマ姿の少女が一人。
「あの子が――ヒバリちゃん」
「なんか、普通の女の子っていうか、引き……思ってたのと違うっていうか」
引きこもっていた割には、と口に出しそうになり、必死に違う言葉を絞り出す。
何のことはない。
どこにでもいるような、普通の十一歳の少女なのだ。
引きこもっているからと言って特別太っていたり痩せていたりというわけではなく、極端に成長が遅いということもない。
目の前の少女は十一歳だと言われればそうだとしか思えない。
とても六、七歳は見えない、というのは当然のこと。
いくら引きこもっていようが、彼女が仮に精神的には六歳のままだったとしても、肉体は成長を止めたりしない。
「ふむ。なにはともアレ、まずは外に出てみましょう」
彼女をお姫様抱っこのように持ち上げ、そのままカーテンのかかった窓際に歩いていく。
サッとカーテンを開ける。
まだ夕日には少し早い外の光が部屋の中に差し込む。
そして。
「ふッ」
ガラスをぶち破って――なんてことは流石にしなかったが、窓を開けてそのまま外へと飛び出していった。
「なっ!?」
「はぁ! 怪盗じゃないんだから!?」
イタルが窓に駆け寄り、外の様子を見る。
何事もなかったように着地しているメイド。
「メイド服がパラシュート的な役割でも果たしているんですかね」
「アンタは冷静に判断してる場合かっ。急いで下に行くよ!」
一方外では。
「ひっ……あっ、あっ……」
突然のことに頭が混乱して、言葉を失う。
抱きかかえたまま、その様子を不思議そうに見つめる。
「顔の紅潮、体温の上昇を感知しました。おかしいデスね、気温はそこまで高くありませんが」
「おいっ、このバカ!」
イタルがようやく追いつく。
「いきなり部屋の外に連れ出すやつがあるかよ!」
タケシが大声で怒鳴る。
「……う、ううっ、うわーーーーーーんんんっっっ!!!」
彼の声に驚いたのか、ヒバリが小さくうめき声を上げたかと思うと、感情が爆発したように一気に泣き出してしまう。
「げっ」
「ああもう、これ以上事態をややこしくするんじゃない。いい、アンタら一旦家の中に入りなさい!」
イタルの鶴の一声。
これには流石にタケシもメイドの彼女もしゅんと項垂れる。
かくして。
引きこもりの少女との邂逅は最悪の幕開けとなった。
「……あ、もしかして裸足だったのがいけなかったのデスか?」
「いいから黙ってな」
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