第15話 基礎講座



「武器生成を早々に習得するつもりならば、その武器の威力を貴様の身を持って知るのが一番だ」

 さっきと変わらない平坦な物言いだが、少女の足元の影が、気のせいか濃く深くなって行くように見えた。

 シャラがすっと腰を落とす。


「・・・冗談だろ?」

 昨夜その武器で、三人のヴァンパイアがあっという間に消えているのを、ジェフリーは目の当たりにしている。


「優秀であられるジェフリー殿に、初歩から教えようとした私が浅慮せんりょであった」

 切れ長の眼は朱色になって、ジェフリーを見据える。

 足元にあった影が、なぜか少女の背後にも見える・・・気がした。


「え・・・もしかして、怒ってる?」

 じりじりと後退しながら、ジェフリーが聞く。

 シャラが無表情の口元を、少しだけ引き上げる。

「怒ってなどいないさ」

「そ、それなら・・・」

「呆れているんだ、このド阿呆めが!」

 シャラの眼が、更に明るく朱く光った。


「うわぁっ!」

 ジェフリーは一目散に走り出す。

「待ちやがれクソガキ!」

 それをシャラが、武器を構えて追いかける。

 だからジェフリーも、更に勢いをつけて走る。


「楽しそうだねぇ」

 東屋のスウェイが、ふたりの追いかけっこを眺めながら、微笑んだ。

「・・・けど、ちょっと速すぎるかな」

 スウェイの淡い金色の髪が、風に揺れた。


 屋敷の庭はかなり広かったが、それでも無限であるわけでは無く、がむしゃらに走っているジェフリーの目の前に、屋敷の壁が迫る。

 壁を避けて曲がろうとするが、

「えっ?・・・うわ、わっ!」

 身体が大きく振られて曲がりきれずに、身体の側面が壁に当たる。

 当たった勢いで弾かれたジェフリーの身体は、庭の植栽しょくさいに突っ込んでようやく止まった。


 バキバキと、小枝が手にも顔にも突き刺さる。

 痛い訳では無いが感触はあるので、気分が良いものでは無い。

 突っ込んだ木から何とか身体を引き剥がすと、荒い息を吐きながら、ジェフリーは地べたに腰を着いた。


 ふと見ると、木に咲いていた赤い花が地面にも落ちている。

 あれ、この花・・・と、思った時、

「ご主人様が大切にされている椿を折るとは、不届きなクソガキだな」

 と、シャラが冷やかな眼でこちらを見下ろしていた。


 何かを言い返してやりたいと思うのだが、息が弾んでそれどころでは無い。

 いや待てよ、ヴァンパイアになったら呼吸が必要にならないとか言ってなかったか?

 どういう事だよ、と、ジェフリーはシャラを見る。


 視線の意味を察したシャラは、ふう、と、ひとつため息をつくと口を開いた。

「我らとて呼吸しない訳では無い。そうやって体力の限界となれば、息も荒くなる。だがそれだけの事で、呼吸しないからと言ってすぐに消滅したりはしない。恐らく半月くらいは呼吸しなくても問題無いはずだ」

「それも『より人らしく云々うんぬん』というやつか?」

「恐らくな」

 シャラの返答を聞いているうち、ジェフリーの息も落ち着いてくる。


「それにしても、どうして曲がりきれなかったんだ?」

 ジェフリーは激突した壁を見ながら言った。

「貴様が想定する以上の速さが出てしまったのだろう。成り立ての頃にはよくある事だ。昨夜とて身体の制御が効かなくて、屋根から落ちていたじゃないか」

 冷静に言うシャラに、

「・・・だから見てたんだったら何で助けないんだよ」

 口を曲げてジェフリーが反論すると、

「あれくらいでどうにかなるような者なら、どうせこの先長くは無い。本当に危うい時には助太刀すけだちした。文句を垂れるなんぞ100年早いわ、クソガキが」

 スッパリと切り返される。

 それは紛れも無い事実なので、ジェフリーは渋い顔で口を閉じるしかない。


 何となくバツが悪くて、

「あ、俺、喉渇いたから水飲んで来る」

 そう言って立ち上がったジェフリーの腕を、何かが引き止めた。

 見れば手首に、朱色に光る鎖が巻き付いている。

 昨夜、欠格者を拘束した、あのシャラの鎖だ。


「うわぁ!」

 驚いたジェフリーは悲鳴を上げる。

 だが・・・

「・・・あれっ?」

 鎖が巻き付いている部分から、温かい何かが流れ込んで来るのを感じた。

 喉の渇きも収まって行く。

 走った疲れも癒えて行く。

 鎖の端は、シャラの手の中へと繋がっていた。


 あかい眼を輝かせた少女は、おもむろに語りだす。

「その鎖で、私の血を貴様へ流し込んだ。それは武器でもあるが、こうして血を分け与えるものにもなる。盟約者めいやくしゃとなるためには、己の盟主の血か、同じ盟主を持つ盟友の血が必要になる。紋章が現れるまではこうして血を与えるのだ。そうしなければ・・・欠格者となる」

「・・・ああ」

 ジェフリーは小さく納得の声を上げた。


 「見捨てられたクチか」・・・と、昨夜の欠格者は言っていた。

 あの男たちは仲間に見捨てられたのか、それとも自ら離反りはんしたのか・・・。

 愛情の薄い両親の元に生まれたジェフリーは、つい男たちの事情を考えてしまう。


 自分には、親代わりに育ててくれた爺やのパットナムが居た。

 兄妹のように過ごした従兄妹いとこのアメルも、家族の温もりを教えてくれた叔母夫婦も居た。

 それは幸せだったけれど、それでも見返ってくれない両親を思うと悲しかった。

 だから・・・。


 パァッと手首の鎖が、朱色の光の粒となって消えた。

 気が付けば、渇きはすっかり収まって身体も軽くなっている。

「喉の渇きは水では癒えない。貴様はもう人では無いのだから」

 シャラに言われて、ジェフリーは手首をさすった。

「心配はいらない。紋章が現れるようになれば、渇きも落ち着く」


 紋章・・・。

 ジェフリーは足元に落ちている、赤い花を見た。

「あ、これだ」

 言って、シャラを見る。

 いつもと変わらず、蝋引ろうびきした絹糸のような黒髪を、頭のてっぺんでかせ糸のように結っている。

 そこに差している、銀のかんざしの先にある銀細工の花。

「あ、これもだ」

 ジェフリーが指を差す。

 シャラは前髪に隠れた細い眉を軽く寄せて、手にしていた長柄の武器を握り直した。


「わっ、待った。違うんだ」

 ジェフリーはあわてて手を振った。

「この赤い花、椿って言ったか?その髪飾りにも付いてる。・・・あんたの紋章もこの花だよな?それと、尾羽が切り込んだような小鳥」

 自分がさっき突っ込んだ木を指す。

 シャラは、その切れ長の眼を少しだけ見開いた。


「・・・よく見ている」

 小さい声で呟いたシャラは、地面に向けて自分の紋章を現した。

「この花は夏椿なつつばき。白い花で、今咲いている赤い椿とは、同じ名を持つが違う花なのだ。・・・このお庭にもあるが、今は葉も散っている」

 シャラが指差した方には、紅葉した葉が数枚残すのみの、灰色がかった木があった。

 春まだ浅いこの時季に、濃い緑の葉を茂らせて赤い花を咲かせている冬椿とは、全く別のおもむきだ。


「この鳥は?」

 シャラの紋章に目を戻したジェフリーが言った。

「これはつばくらめ・・・この辺りでも似た鳥を見かけるが、これとは少し違うようだな」

 その説明に、ジェフリーは視線を黒髪の少女へと移す。

 シャラは顔を上げ、黒曜石の瞳でそれを受けとめる。


「この花もこの鳥も、ここよりはるか東方の地のものだ。・・・そして、これも」

 少女が携える長柄の武器は、ジェフリーの背よりも高い。

 先端にある湾曲した刃物が、陽の光を弾いていた。

薙刀なぎなたと言うものだ」

 言って、シャラはその平坦な表情を少しだけ緩める。


「紋章については、自らが生み出す訳では無いから、現れ出たものを受け入れて行くしかない。だが、武器に関しては、自らが思い描くものを造り出せるようになる。だがそれは、盟約者めいやくしゃとして、ある程度の力をつけてからでなければ、できる技ではない。紋章が現れなければ、どうにもならない事だ」

「・・・だから欠格者たちは、武器が無かったのか」

 ジェフリーの言葉にシャラが頷く。

「その通りだ」

 それを聞いて、ジェフリーは大いに力を抜いた。


「なぁんだ、じゃあ今からりきむ事無いじゃないか。スウェイが言ったように、何もしないでゆっくりしてりゃぁ・・・わっ!」

 自分めがけて飛んでくる朱色の光の弾を、あわててける。

 昨夜、欠格者たちが飛ばしていた弾と同じものだ。

 それは音を立てて、噴水の石造りの縁にめり込み、小さくシャラの紋章を浮かばせて消えた。


 おそるおそる振り返ると、こちらへ手のひらを向けているシャラの姿があった。

 表情は変わらずに平坦で感情をうかがい知れないが、足元の影は少女の身体を映したにしては、大きく広い。


「鎖も弾も、紋章の出現に関係無く、今すぐに覚えられる技だ。これすらできなければ丸腰も同然。昨夜のように欠格者に出くわしたなら、あっさりと狩られてしまうぞ」

 抑揚無く言いながら、シャラは薙刀を両手で持ち直す。

「まったくもって分かりの悪いクソガキだな。その頭の中は空なのではないか?ちょっと確かめさせろ」

「えっ!確かめるって?」

「無論、叩き割って確かめるのだ」

 キラリと、薙刀の刃先が光った。


「冗談じゃない!」

「もちろんだとも、冗談では無いさ」

 シャラの口元が少しだけ引きあがる。

 それを見たジェフリーは、くるりと背中を向けると、一目散に逃げ出した。

 薙刀を構えたシャラが、追いかける。


「・・・ああ、良い速さになったねぇ」

 走り回るジェフリーを見て、スウェイは満足そうに頷く。

 陽は高くなり、そろそろ昼になる事を告げていた。


To be continued.

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