第36話「幻」



「香李……ちゃん……」


 香李ちゃんのビコビコハンマーを必死に受け止める卓夫君。相手が女子中学生でありながら、あまりの強靭な力に押し込まれてしまう。今彼女の視界には、卓夫君ではなく悪しき敵の姿が映っている。卓夫君を敵だと思い込んでいるのだ。


「目を覚ませ! 俺だ! 卓夫だって!」


 卓夫君は普段の忍者口調ではなく、標準語で訴えた。しかし、香李ちゃんの腕は止まることなく力を入れ続けている。どうやらファシムに視界をコントロールされている間は、成す術がないようだ。


「卓夫君、香李ちゃん達を押さえてて! 今のうちに私達がファシムを……」

「夢さん、危ない!」

「え?」


 ザッ


「ああっ!」


 透井君の呼び掛けも虚しく、サイレントウルフが私の左手首に噛み付く。肉に鋭い牙が食い込む感触が生々しく、私は激痛に襲われる。そのまま地面に押し倒され、ヤケドシソードも手元から離れて転がり落ちる。


「こん……の……!」




 バァァァン!!!

 サイレントウルフは煙となって弾けた。やってしまった。咄嗟に右手をポケットに突っ込み、気まぐれ爆弾を取り出してサイレントウルフの口の中に突っ込んだのだ。中規模の爆発で体が吹き飛び、橙色の煙と化した。


「や、やっちゃった……」


 私は煙に包まれながら背筋を凍らせた。視界を奪われてしまっては、ファシムの思う壺だ。どこから奴が忍び寄り、喉元を掻き切ってくるか分からない。無駄に綺麗な橙色が恐怖を煽る。


「あっ……」


 背後に微かに気配を感じた。異常なまでの殺気を孕み、高速で迫ってくる何者かの気配だった。当然ながら正体がファシムであることは明白だ。しかし、気付いた時には、既に振り向いたら即死を迎える距離まで詰められていた。




 終わりなの? こんなところで……






「ブリージングアップ!!!」

「きゃっ!」


 ガキンッ!

 すぐ近くで透井君の声が聞こえたかと思いきや、私は彼の大きな体に押されて転倒した。その勢いで煙から転がり出ることができた。


「痛た……」

「ごめん……夢さん、怪我はない?」

「うん。こっちこそごめん」


 どうやら透井君が間一髪のところで剣を振り、ファシムの短刀から私を守ってくれたようだ。刀がぶつかり合った勢いで透井君が飛ばされ、私にぶつかって転倒したらしい。

 敵も当然だが、彼も凄まじい反射速度だ。技名っぽい言葉を口にしていたし、魔法で走力でも高めたのだろうか。


「気にしなくてもいい。俺だってさっきモンスターを切って煙をぶちまけてしまったところだ」

「う、うん……」


 すかさず自分のことを足手まといと感じている私を、言葉でフォローしてくれた。彼の言葉は本当に魔法がかかっているようで、私の罪悪感を細切れにしたように小さくしてくれる。

 体勢を整えたところで、目の前の脅威と向かい合わなくては。戦況は明らかに相手が有利だ。卓夫君達も攻撃してくる仲間を止めるのに精一杯。永遠には持たない。今すぐ打開策が必要なんだ。


「大丈夫。夢さんのことは俺が守る。夢さんは自分のできることをやればいい」


 透井君は少しずつ薄くなっていく煙を睨み付けながら言う。ご丁寧に私を広い背中に隠し、庇ってくれる。




 ズルいよ……いつもユキテル君みたいにカッコいいんだから。


「透井君……」


 たまには……私にも支えさせてよ……






 ガァァァ!!!


「うわぁっ!」


 乙女チックに感傷に浸っていたところを、唐突に襲ってくるサイレントウルフ。煙の中から急に現れてびっくりした。しかも5,6匹は飛びかかってきた。流石の透井君でも一度に全匹は相手ができない。


「嫌ぁぁぁぁ!!!」


 私は情けなく逃げ惑う。だってこのモンスターを攻撃したら、また煙になって弾けるんだもん。こいつらへの攻撃は無意味かつ逆効果だ。ほんと、どうすんのよ。どうやったら本体の敵に攻撃を当てられるっていうの?


 この幻、マジウザい!!!






 幻……?




「うわぁっ!?」


 今度はバルタロスが別方向から突進してきた。モンスターが幻であるということを思い出した時、何か引っかかるものを感じたんだけど、それどころではなかった。


「夢さん!」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ~!!!」


 透井君も迂闊にモンスターに攻撃ができないから、剣で身を守るのに精一杯だ。先程私を助けてくれたような余裕もすぐに消え去った。そして、私はひたすら逃げ惑う。


「消えろ消えろ消えろ消えろ!!! こんなの幻なんだから消えろってばぁぁぁぁぁぁぁぁ~!!!!!」


 私は耳を両手で塞ぎ、叫びながら走り回る。嫌な現実から目を背けるように、追いかけてくるモンスターの大群からがむしゃらに逃げる。








「……ん?」


 どうしたんだろう。急にモンスターの気配が消えた。恐る恐る背後を振り向くと、先程まで鎌首を上げていたモンスターの姿がどこにも見当たらなかった。


「あれ?」


 鋭い牙をちらつかせていたサイレントウルフも、乗用車のように突っ込んできたバルタロスも、どこにもいない。まるで消え失せてしまったようだった。仲間を攻撃する勇者達の喧騒は除くけど、急に訪れた静けさの方が逆に怖かった。


「どういうこと?」

「まさか……」


 何かを察した透井君が、静かに両目を閉じた。目の前にモンスターが佇んでいるというのに、何と危険なことか。


「あっ!」


 私は思わず声を上げた。透井君の目の前にいたモンスターが一瞬にして消え失せた。空中に溶けるように透けていき、姿が見えなくなった。透明になったのではない。本当に存在ごと消えてしまったのだ。




 もしかして……


「そういうことか!」


 透井君が突発的に走り出した。煙が完全に消え、ファシムの姿がよく見える。奴は再び水晶でモンスターの幻を生み出す。バルタロス、サイレントウルフ、ベネジクト……数多くのモンスターの大群が壁を作り、透井君を迎え撃つ。


 でも、きっと無意味だ。


「……」

「ぐっ……」


 やっぱり。すぐにモンスターの姿が消え、一匹もいなくなってしまった。透井君の視界にも、もちろん私の視界にも、モンスターの姿はない。私もファシムの魔法の原理がようやく判明した。


 そう、ファシムの生み出すモンスターは、所詮は幻。物理的に触れられるし、通常のモンスターのように攻撃はしてくるけど、あくまで幻なのだ。今まで視界に映ってはいた。でも、それは私達がそこにいると思い込んでいたからなのだ。


「見えた……お前の弱点が!」




 つまり、いないと思い込めばいなくなる!


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