第28話「過酷な現実」



 夢達は生き残った勇者達と共に、町の修復や死者の埋葬を手伝う。流石に自分達は死体に触れる度胸はないため、瓦礫の運搬作業を担当した。しかし、瓦礫に潰された死体などには否が応でも鉢合わせしてしまう。


「……」


 香李はアラトモニアの槍に串刺しにされた、少女の死体を発見した。焼け焦げた家屋の出入口付近に、石ころのように転がっていた。モンスターが蹴飛ばしたのだろうか。


「お姉……ちゃん……お姉ちゃん!!!」


 妹が姉の死体へと駆け寄り、胸に穴の開いた体を揺さぶる。呼び掛けても返事がないことは、こんな小さな年頃の少女でも理解できる。しかし、理屈で現実を受け止められるほど、彼女の心は成熟してはいなかった。


「お姉ちゃん……起きて……起きてよ……死んじゃ嫌だよ……お姉ちゃんってば……」


 妹の滝のような涙が、血まみれの姉の体へポタポタと落ちていく。激しい戦闘の中で血は乾ききっており、涙で洗われることはなかった。まるで妹の声がもう届かない現実を、残酷に示しているように。


「……」


 香李は妹の悲痛な叫びを、ただ聞くことしかできなかった。失われた命が戻らないことは、この世界でも同じだった。妹に投げ掛ける言葉も見つからず、己の無力さを呪った。


「香李ちゃん……」


 そして、罪悪感と劣等感で押し潰されそうな香李の背中を、卓夫は背後から眺めていた。

 普段なら自慢のユーモアで慰められるはずが、今は話しかける気力すら沸かない。もし自分がもっと力を持っていたら元気付けられていたのだろうかと、頭を垂れながら想像した。




「アルマス、少し休んだら?」

「平気だよ」


 ドロシーが瓦礫を運ぶアルマスの腕を止める。彼は今回の戦闘に大きく貢献した。相当の疲労が溜まっていることを懸念し、ドロシーは彼に休むよう提案した。


「でも、奥義使ったんでしょ。かなり消耗してるはずよ。無理はしないで」


 アルマスは一旦ドロシーに瓦礫を預ける。奥義とは、優れた勇者だけが使える最も威力の高い魔法のことである。普段の戦闘で使う必殺技も強力だが、奥義は威力が桁違いであり、戦闘では大いに役立つ。

 しかし、莫大な魔力を消費するため、通常一度の戦闘で1,2回程しか使えない。鍛練を重ねることで、多く使えるようになる。


「ありがとう。ドロシーは本当にいつも優しいね」

「あなたほとじゃないわ」


 ドロシーはアルマスに微笑みかける。彼のたくましい背中を、初めて仲摩になった時から常に見てきた。困っている人のために無理を承知で動き、純粋な正義を貫く。そんな彼の真っ直ぐな姿勢に、ドロシーは密かに惚れていた。


「ふふっ、二人っていつ見ても夫婦みたいね」

「なっ、ダリア! からかわないでよ!///」


 アルマスが離れたタイミングを見計らい、ダリアがドロシーをからかう。普段はいたずら心のようなものを見せないダリアだからこそ、唐突の発言にドロシーは思わず頬を赤く染める。


「呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ。私達の到着が遅れたせいで、こんなに多くの使者を出してしまったんだから」

「……」

「ローダン?」


 ドロシーは話している最中に、ふと思い悩んだ表情を浮かべてたたずむローダンに気付く。


「どうしたの? 大丈夫?」

「あっ、いや、何でもない……大丈夫だ……」


 ドロシーの声かけに気付いたローダンは、咄嗟に笑ってごまかす。彼の視線の先には、アルマスがいた。






「夢さん、どうした?」


 一方、瓦礫の運搬作業をしていた透井は、足を止めて一点を見つめる夢に気付いた。彼女もまた思い悩んだ表情を浮かべ、動きが止まっている。


「……」


 夢の視線の先には、腹を噛み千切られ、内臓が露出した死体が転がっていた。致命傷から察するに、サイレントウルフに噛み殺されたのだろう。よく見ると、最初にこの町に来た際に話しかけた勇者の老人だった。

 自分達が飛び込んでいた戦場は、熟練の勇者といえど呆気なく殺されてしまうほど凄惨だったのだと、今になって気付かされる。


「……!」


 夢は抱えていた瓦礫を落とし、突然町の出入口の門へと駆け出した。町の外はモンスター避けの魔法の効果外だ。モンスターは全部倒したが、再び危険が及ぶかもしれない。


「夢さん!」


 透井は彼女の後を追いかけた。




「ハァ……ハァ……」


 透井が追い付くと、夢は草木の影で四つん這いになっていた。透井は恐る恐る近付く。夢の様子は明らかに異様だった。


「うっ……ぐっ……」


 生々しい音と共に、夢が嘔吐する。地面に吐瀉物が落ち、夢は弱々しく頭を垂れる。彼女がここまで体調と精神を悪くした要因が、透井には安易に想像できた。もはや死体を見たからという単純な要因だけではない。この世界そのものが残酷だった。


「夢さん」

「透……井……君……ごめ……ん……ごめん……」

「いいよ」


 透井は夢の背中を優しく撫でる。自分達は今までこの世界は漫画だからと見くびり、呑気に楽しんでいた。しかし、大勢の死人を前にして初めて気付いた。ここは漫画の世界でありながら、現実でもあるのだと。

 凶悪なモンスターは大量に生息し、容赦なく人は殺される。物語のように都合良く助からない。一瞬の油断により、命は唐突に消え失せる。


「みんな……同じだったのかな……」

「あぁ、アルマス達も最初は今の俺達のように、きっと辛い気持ちを抱えて、苦しんでた。何度も耐えて、乗り越えて強くなったんだ」


 夢の瞳から涙が溢れ出た。透井の目には、まるで涙が出たがっているようにも見えた。夢は死体を見たのは初めてではない。親戚が亡くなったことで葬儀に出席し、棺の中で眠っている人々を何度か見てきた。

 しかし、今回の事例は訳が違う。無惨に殺された人間の脱け殻は、いくら漫画で残虐的な場面を見慣れた少女といえど、見るに耐えない。いざ現実として対面すると、心を深く抉られる。


「……じゃあ、強くならなきゃ」


 夢は両腕で顔を強引に拭った。止まらないまま、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を透井に向けた。恥ずかしいという気持ちすら超越していた。


「私もみんなみたいに強くなって……イワーノフの野望を食い止める……」

「夢さん……」


 下手すれば自分も命を落としていたかもしれない。そうならずに済んだのは、他の勇者に守られていたからか、はたまた運が良かっただけか。どちらにせよ、自分が弱いことには変わりなかった。それが夢には許せなかった。


「もっと特訓して、みんなの力になりたい……一緒に敵と戦うって、アルマス達と約束したから……」

「……そうか」


 夢の抱える罪悪感と悔しさを、透井は雪のように純白な心で受け止めた。だが、本音を言えば、夢にこれ以上オトギワールドに行ってほしくはなかった。

 今回のような命が脅かされる戦闘が、今後も何度も続くことだろう。その度に夢が無惨に殺される想像をしたくない。それほど、透井にとって夢の存在は大切だった。


「一緒にやろう。俺も全力で戦うよ」

「うん、ありがとう……」


 しかし、同時に夢の望みを否定する気持ちも起こらなかった。彼女は凄惨な現実に心を痛め、人々に二度と悲しい思いをさせまいと、アルマス達に協力することを諦めていなかった。

 それは、何者にも真似できない彼女の優しさだった。誰よりもシュバルツ王国大戦記を愛しているからこそ、リアルな漫画の世界の残酷な展開を前にしても、心を振り絞って立ち上がった。


 心配になる弱さと同時に、尊敬すべき強さを持っていた。


「さぁ、戻ろう」

「そうね……」

「あと、少し休ませてもらうように言おう。しんどいだろ?」

「ありがとう……」


 夢の手を引き、透井は町へと連れていく。彼女の二次元の世界に対する愛は最強だ。しかし、どうしても隠しきれない弱さを心に秘めている。弱い一面を補ってやる必要がある。


“俺が夢さんを守るんだ……”


 その役目は自分が担うと、透井は再度強く決心した。夢はこれからもっと強くなれる。好きなことになるととてつもない力を発揮する彼女を、透井はそばでずっと見てきた。


 しかし、彼女一人の強さには限界がある。そこで、男である自分が支えてやる必要がある。今にも崩れてしまいそうな彼女を、強くあり弱くもある彼女を、透井は守ってやりたいと望んだ。


“夢さん、俺は……君が……”


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