ある夏の公園で聞いた話

アシッド・レイン(酸性雨)

その壱

それは、とても日差しが暑い真夏のことだった。

ここ最近の異常なまでの強い日差しと高い湿度に日本中が、いや世界中がうだるような日々が続いている。

新聞では、世界中の異常な暑さと水不足がニュースになり、熱中症で亡くなる人も出ている始末だ。

そして、そのうだるような暑さにへきへきして、僕は公園の日陰のベンチでのんびりと一息入れていた。

ここはお気に入りの場所で、噴水のおかげだろうか…時折流れ込む少しひんやりとした風が気持ちよかった。

このままぼーっとしていたいな。

そう僕が思った時だった。

向こうから一人の男が歩いてきて、ベンチに座った。

もちろん、僕の座っているベンチの端の方にだ。

年の頃は三十後半だろうか。

よれよれのスーツとネクタイ、資料でも入っているのだろうか、少し厚めの革の鞄といった格好からどうやらサラリーマンのようだった。

ああ、なんとなくだがよくドラマなんかで出てくる生きているのに疲れきってしまった感じのサラリーマンといったらぴったりだろう。

疲れきった表情で、額の汗をハンドタオルでふうふう言いながら拭いている。

そして男は、僕を見てニコリと笑った。

「いやぁ、暑いですなぁ……」

普通だったらこんな見知らぬ男には話どころか挨拶もしないはずなのに、ここ最近は知り合いに無視されたりすることが多かった為かついつい挨拶を返してしまう。

「ええ。本当に暑いですね」

そんなありきたりの挨拶からだったが、男は実に話がうまかった。

話術に秀でていると思っていいだろう。

営業なんかで鍛えられているのだろうか。

気がつけば、僕と男はいろんな事を話しこんでいた。

天気のこと、仕事の事、プライベートな事……。

そして三十分も話しただろうか。

ふと公園の方を見ると、ゆらゆらと陽炎が立っている。

「いやぁ、こんなに暑いと日陰でもかなり暑いですな」

「ええ。まったくです」

そう言った後、何か思いついたのだろう。

男が口を開いた。

「そうだ。暑い時は、やはり怖い話でもすれば涼しくなるんじゃありませんか?」

その提案に、僕は笑いつつ頷く。

もっとも、こんな日差しが刺す昼の日陰で怖い話を話したとして涼しくなるのだろうか?

間違いなく、涼しくはならないだろう。

だが、涼しくなる事を期待しているわけではなく、僕はこの人との会話が楽しかったから、たまには怖い話を聞いてもいいかなと魔が刺しただけだった。

そして、男は額に流れる汗をハンドタオルでふき取りつつ笑うと口を開いた。

「これは、私の友人の話なんですよ…」

そういう出だしで始まったが、どうも友人ではなく、本人の体験した話のようだとふとその口調から僕は感じた。

よくあるじゃないか。

本人の相談とかを、友人の例えで話してみたりとか……。

だから、僕はなんとなくだけどそう感じたのだ。

そして気がつくと、僕は話に引き込まれるように夢中になって聞いてしまっていた。


「参ったな……」

そう呟きながら男は車を走らせていた。

初めての土地での出張で、周りはもう暗くなり始めている。

薄暗い中、車の光が路面を照らしていたが、右側がよく見えない。

昨日から何か右目の調子が悪い感じがしていたのだが、まさか、こんなところで急に悪化するとは思わなかった。

時間は、十八時を回ろうとしている。

これからますます回りは暗くなって見難くなり、その上、右目まで見難くなってしまったら事故を起してしまうかもしれない。

ましてや、初めての土地で、迷ってしまう恐れさえある。

「参ったなぁ…。こんな事ならカーナビ付きのやつにしておくんだった…」

運悪くカーナビ付きの社用車は全て出払っており、今乗っている車しか使えなかった。

「くそっ……。やばいぞ……これ……」

何度も、何度も右目を擦ったり、目薬をしてみたりしたものの、回復する感じはしない。

段々と当たりは暗くなっていく。

気がつくと、家の明かりもぽっんぽっんとあるくらいだ。

緊急病院は近くにないだろうか。

スマートフォンで近場を探すが、一時間以上走ったかなり先になる。

やはりそこまで行かなければならないか……。

そう諦めたときだった。

一瞬だが、走っている途中で視界の端に看板が入る。

『世阿野眼科』

『よあの』と読むのだろうか…。

珍しい名前の病院だった。

しかし、渡りに船とはこのことだろう。

看板のライトは消えていたものの、まだ病院に明かりはある。

慌てて車を戻して、駐車場に停めると病院の玄関に向った。

結構古い年期の入った建物のようだ。

白いはずの壁は、少し灰色染みていた感じだし、看板だって少しペンキが霞んでいる。

しかし、このまま右目が見えにくいまま、一時間以上先の緊急病院に無事に着く自信はなかった。

だから、男は躊躇なく、玄関の呼び鈴を押した。

古臭い感じのブザー音が微かに聞こえる。

どうやら奥の方で鳴っているようだった。

反応がない。

再度、ブザーを押す。

すると「はーいっ」という女性の声と一緒にこっちに誰か向ってくる音がする。

よかった。

誰かいたよ……。

ほっと息を吐き出し、待っていると、年の頃は三十後半といった感じの髪を結い上げた女性がこっちに小走りでやってきた。

古いデザインながらも白衣を着ており、どうやらここの先生のようだった。

「す、すみませんっ。時間外なのはわかっています。失礼なのもわかっています。ですが助けて欲しいのです」

男はそう言って頭を下げる。

女性は驚いたような顔をした後、玄関を開けた。

「どうしたんですか?」

そう聞かれ、男は右目がいきなり見えにくくなってしまった事。

最初は緊急病院に行こうとしていたが、暗くなり、車の運転がかなり危ない事を話した。

「どうにかなりませんか?」

そういう男に、女性は、少し考え込んだ後、じっと男の顔を覗き込む。

いや、顔を覗いているのではない。

多分、右目をみているのだろう。

そして、微笑むと口を開いた。

「時間外ですけど、困っているのを放置は出来ません。こちらに入ってください。見てみましょう」

そう言って病院内に案内される。

そして、男は言われるまま、病院に入っていった……。


「今のところ、全然怖くないですね……」

僕は思わずそう言った。

すると男は笑いつつ答える。

「どんな話にも、状況説明とかあるじゃないですか。まだまだこれからですよ」

「確かにそうですよね。しかし……話し方上手ですね」

そこまで言った後、僕は思っていた事を言う。

「もしかして、貴方の実体験ですか?」

僕の問いに、男は苦笑をしたが、はっきりと答えなかった。

つまりはそういうことなのだ。

そして、その場を誤魔化すかのように、男は続きを話し始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る