第24話 帰るべき場所

 功は運転している野口に確かめるように問いかけた。

「あれって何してるんでしょうね」

「どうも見ても工事じゃなくて、警察が検問しているみたいだな」

 功と野口がのんきに話している後ろで山本事務局長は凝固していた。

 警察官に道端に誘導されたところで、野口が運転席のサイドウインドを手動で開ける。

「こんばんは、特別警戒の検問です免許証を拝見します」

 検問と言えどもあまり高圧的に接すると住民から批判を受けるため、警察官は極めて愛想よく応対していたが車内の臭いをかぐと態度を変えた。

「うっ酒臭い、もしかして飲酒運転じゃないだろうね」

 野口は善良な市民から一転して被疑者扱いとなったようだ。

「飲んでいるのはこの二人。俺は運転手だから飲んでないよ」

 説明する野口に、警察官はちょっと待ってと言い残してワンボックスのパトカーの方へと歩いていく、戻ってくるときにはなにやら手に持っていた。

「はい、これに思いっきり息を吹き込んで。」

 それはアルコールの検知器で野口が言われたとおりに息を吹き込むと、警察官が検知器を取り上げて数値を読み取った。

「飲んでないみたいですね。行ってください。夜間は路面の凍結にも注意してくださいね」

 何事もなく放免されてまほろば市に向かう途中で山本事務局長が口を開いた。

「ありがとう野口、おかげで助かったよ」

「わしよりも浜田さんに礼を言ったほうがいいな。彼は検問しているのを知っていて止めたんだぜ」

「俺は別に飲酒運転するつもりはなかったよ。でも心遣いは覚えておく。今回の分は借りにしておこう」

 山本事務局長の心の中には自分だけルールで貸借レートがあるらしく、浜田市への借ポイントが跳ね上がったようだ。

 わだつみ町のインターチェンジから高速道路に乗ってもまほろば市への道のりは結構長く、山本事務局長はいびきをかいて寝始めた。

「山本事務局長も苦労が絶えないね。今日もJAや役場を回って真紀ちゃんのことでいろいろ確認していたみたいだよ」

「そうだったんですか、僕は今日健康診断受けたんで昼間のことを良く知らなかったんですよ」

「前の西村君の時も、研修費を返還しないで済むように各方面に根回しをしたみたいだ。彼はすごく気配りしているんだが、さっきみたいな調子で人当たりが良くないから損をしているな」

「たしかにぶっきらぼうで取っつきににくいイメージがありますね」

「そうだろ。根はすごくいい奴だから大事にしてやってくれよ」

 功は後部座席で寝ている山本事務局長の方を見たが、口を開けて寝ている彼の顔は少し疲れて見えた。

 夜のまほろば県の高速道路は街灯も走行車両も少なく街灯もまばらだ。まほろば市の北側のトンネルが多いエリアを抜けると野口が運転する車は高速道路を降りてまほろば大学の医学部付属病院にたどり着いていた。

 時刻は八時少し前。駐車場に車を止めたところで、山本事務局長が目を覚ました。

「病室の番号はこれだ。とりあえず行ってみろよ」

 山本事務局長は手帳に挟んであったメモ用紙を功に手渡す。

「今気がついたんですけど、もう面会時間終わってるんじゃないですか。中に入れるのかな」

「大丈夫だよ病院は施錠とかしないから忍び込める。俺たちはここで待ってるから行ってこい」

 功は車に乗っている間に酔いも覚めて気分が臆していたのだが、今更帰るわけにもいかなかった。

 助手席側のドアを開けて外に出ようとすると、野口が親指を立てて言った。

「グッドラック」

 功は目で返事をしてから車を後にした。

 外来用の広い駐車場を横切ってから病棟への入口を捜すが、どこから入ったらいいかわからない。

 忍び込もうとするからには職員に聞くわけにも行かないが、駐車場には守衛がいて、巡回中の守衛が功がいる辺りに歩いてこようとしている。

 面会時間外に入り込もうとしている功は何だか悪いことでもしているようにこそこそと隠れ思いきり挙動不審だ。

 しかし、空いていないだろうと思いながら外来用入り口に回ってみると、さすがに自動ドアは施錠されていたが、脇にあるドアから難なく入ることができた。

 次は病室を探さなければならない。

 功はここまで来るとこそこそしているとかえって怪しまれると思い、外来用のロビーで病棟の配置を確認してから何食わぬ顔をして歩いて行くことにした。

 入院病棟では夕食が終わった後らしく、食器をトレイごと回収してカートに集めている職員や夜勤のためにナースステーションに詰めている看護師とすれ違うが、格別怪しまれることもなかった。

 こんな警備状況で大丈夫なのかと心配になるぐらいだった。

 目的の病室にどうにかたどり着き、病室の入り口のネームプレートで真紀の名前を確認した功は意を決して病室に入り込んだ。

 真紀のベッドにはカーテンがかかっているため、功は声をかけようかと迷った。

「あんたそのベットの子に会いに来たんでしょ。今散歩に出たところだから屋上に行ってみなさい」

 功は背後から声をかけられて飛び上がるほど驚いた。

 面会時間外に忍び込んで何となく後ろめたく思っていたからなのだが、声をかけてきたのは通路を挟んで反対側のベットの老婦人だった。

 彼女はは笑顔を浮かべて廊下を指さしており、功は礼を言うと、屋上に向かった。

 階段を上ってから、普段あまり使っていそうにないドアを開けて屋上に出る。

 屋上は広いスペースになっており、転落防止の手すりが続いているのが見える。

 薄暗い中を手すりに沿って遠くまで目をこらすと、白い人影が見えた。

 そちらに向かって歩いて行きながら、功は短く口笛を吹いた。

 功が思うところの万国共通で犬を呼び寄せる符号で真紀に犬寄せの術と呼ばれた短い旋律だ。

 口笛を聞くとその人影は、はっとしたように身動きしてこちらに振り返りそれが真紀だと判った。

「功ちゃん?。なんでこんな所にいるの」

「話したいことがあって、ここまで来たんだ」

 功は平静を装って真紀の隣に立ち、手すりに手を乗せた。

「一体何の話。それに私は犬じゃないし」

 彼女は犬よせの術の件を憶えていたのようで、功の脳裏に去年の夏に一緒に草刈りをしたときに見た風になびく稲穂が浮かんだ。

「唐突だと思うけどさ。僕と結婚して一緒に農業をして暮らそうよ。」

 功は焦っていたせいか、何の前振りもしないで本題を切り出してしまった。

 真紀は病院内のコンビニで売っている紙コップのコーヒーを飲んでいたが、驚いてむせている。

「いきなり何を言い出すのよあんたは、そんな大事なことはもっと段階を踏んでから言うものでしょ」

「冗談で言ってるんじゃない。そうすれば、真紀ちゃんの体調が悪くても僕がフォローすることができるから、リースハウスの事業も続けられる。一緒に臼木で暮そうよ」

 真紀は笑顔を浮かべたが、それは何だか弱々しかった。

「私はもう頑張るのに疲れたんだわ。死んだ人は戻ってこないとか、新しく生活を始めないといけないとかみんないろんな理屈を付けては私に頑張れ、頑張れって言うから一生懸命頑張ってきたけど、甲状腺に癌ができているかもしれないって言われて、張りつめていた何かが切れてしまったような気がするの。手術したら治ると言われて納得はしているんだけど、治療が終わってもまた違う場所に癌ができるかもしれないし、もう今までみたいに元気な振りをして働いていく自信がない」

 功や山本事務局長が感じた違和感の正体は彼女の心が折れたことをそれとなく感じ取っていたのに違いない。

「駐車場に野口君と山本事務局長も来ているんだ。山本事務局長は最後に事務所に来たときの真紀ちゃんの様子がおかしかったと心配していたし、野口君も酔っぱらっていたぼくらの代わりにここまで運転してくれたんだよ。みんなが君が元気になって帰ってくるのを待ち望んでいるんだ。頑張れないならその辺にいてくれるだけでも良いから戻ってきてくれよ」

「そう言えば酒臭いわね」

 話の腰を折られて功は一気にトーンダウンする。

「甲状腺癌だったら早期に手術を受けたらそんなに怖い癌じゃないって聞いたことがある。そんなに悲観的にならなくてもいいと思うよ」

「ここの先生が大丈夫ですよっていろいろ説明してくれたから、気休めで言ったのではないことはわかった」

 真紀は、持っていた紙コップをペコッと握りつぶした。

「医者は違うと言うんだけど私が癌になったのは原発事故で放出された放射性物質の影響かもしれない。事故の直後に私たちが避難した双葉町には、そのときの風向きの関係で高い濃度の放射性物質が降り注いでいたの。長い期間が過ぎたら私の体にどんな影響が出てくるかまだわからないけれど、そのことはわかっているかしら?」

 予期していない方向に話を振られて功は口をつぐんでしまう。

「去年、野口君と釣りに行った翌日に、釣った魚を一緒に食べようって誘われて、おうちを訪問したの。でも野口君のお母さんは私のことを放射能を浴びているからうちの嫁にはできないと露骨にダメ出ししていたわ。そのあげくに癌の疑いがあると言われて平気でいられるほど私も強くない。治療を受けたら家族がいる郡山に引き上げることも考えている。だいたい功ちゃんは自分の人生が掛かった大事なことなのに山本事務局長たちと飲んだ勢いで深く考えもしないで私に会いに来たのでしょう?そんなことで大丈夫なの?」

 真紀は手すりをつかんで外を見ている。医学部付属病院は郊外にある。彼女が見つめる方向には、街灯一つ無い暗闇が広がっていた。

 功は自分の行動をすべて見透かされている気がして気が億したが、彼女の右手をつかんで無理矢理自分の方を向かせた。

「逃げないでくれ。ぼくは何があっても絶対に真紀ちゃんを離さないで幸せにする。林のおばあちゃんも土地を任せてくれただろう。一緒に臼木で暮らそう」

「功ちゃん。手が痛い」

 功は力が入りすぎていたことに気づき真紀の手を慌てて離した。

「ごめん」

 功は心の中でもうダメだと思った。

 彼女は功のすることなどお見通しの上、功の行動はむやみに強引なだけで説得にもなっていない。

 しかし、彼女の次の言葉は予想していた冷たい拒絶ではなかった。

「ありがとう、功ちゃん」

 彼女はまっすぐに功の目を見て言った。

「そう言ってくれるなら私も臼木に戻りたい。でも、いろいろな話を進めるのは私が手術を受けて、回復するのがはっきりしてからにして。もし経過が良くなかったりしたときに功ちゃんに迷惑をかけたくないから」

 彼女の言葉を二、三回反芻してどうにか功はその意味が理解できた。

「それは、ぼくの申し出を受けてくれるという意味だよね」

 間の抜けた功の問いかけに、彼女は少しはにかんだ様子でうなずいた。

 真紀は普段はしゃいでいてもどこか険のある目元をしてたが、遠くの街頭の薄暗い光の下で彼女がが穏やかな表情を浮かべている気がする。

「本当は追いかけてきてくれたのが凄く嬉しかった」

 俯いた真紀の手は功のジャケットの袖をギュッとつかんでいた。

 駐車場の車に戻ってみると、山本山本事務局長と野口君がそれぞれワンカップを手にし、するめや柿の種を広げて宴会を始めていた。

「ちょっと、野口さん何であんたまで酒を飲んでいるんだよ」

 功はあきれて野口を責めるが飲んでしまったものは取り返しが付かない。

「まあそう言うなよ、あまり帰りが遅いんでコンビニで食料調達しようとしたんだけど、野口が飲まずにはいられなくなったんだよ。その気持ちはわかるだろ。それより真紀の返事はどうだったんだ」

 山本事務局長が問いかけ、野口が傍らで息を飲むようにして聞き耳を立てているのがわかる

「とりあえずOKしてくれたけど、具体的な話は治療の経過を見てからになりそうです」

「そうか、断られたわけじゃないんだな。どうやらうまくうまくいきそうじゃん、帰ったら農協に事情を話して事業内容の変更を認めてもらうのに忙しくなりそうだな」

 勢い込む山本事務局長の横で野口は犬の遠吠えのような声を上げる。

 功は野口の気持ちがわからないでもなかったが、有り体に言ってやかましい。

 しかし、功は野口には何も言わずに山本事務局長と相談を始めた。

「明日の朝までには帰らないとまずいですよ。管理をする人間が全員ここで酔っぱらっていたら誰がビニールハウスの換気をするんですか」

 ビニールハウスで野菜を作っているのは、手間のかかるペットを飼っているようなものだ。

 締め切った状態で日が当たり始めると内部の気温はどんどんあがる。

 温度センサー付の換気扇や自動開閉装置も装備されているが、一時しのぎにしかならないため、

 休日などは近所の農家に作業を頼むこともあったがその近所の農家が他ならぬ野口なのだ。

 山本事務局長もさすがに考え込んでいたが、何か考えついたようだ

「この時間ならわだつみ町方面に向かうJRの特急がまだある。タクシーで草薙駅かまほろば駅にいってそこからJRの特急に乗って帰ろう。」

 県庁所在地のまほろば市といえども公共交通機関は貧弱で路線バスとかは九時頃にはおおむね最終便が出てしまっている。例外的にJRの特急は比較的遅くまで動いているのだ。

「ぼくの車はどうなるんですか」

「おまえはどうせまた真紀に会いに来るだろう。そのときに回収すればいい」

 功は渋々山本事務局長の案をのんだ。

 野口は、もうどうでもいいような様子だったが、功達三人は医学部キャンパスの中でたまたま客待ちをしていたタクシーを捕まえて、草薙駅まで行き、わだつみ町方面行きの特急に乗ることができた。

 数日後、功は休みをもらって、真紀に会うためにまほろば市まで出かけた。

 大学の付属病院というのは町から離れた郊外にあり、JRのまほろば駅から路線バスを乗り継いで医学部付属病院まで行こうとした功は、アクセスの悪さにげんなりした。

 病室で再会した真紀は首に巻いた包帯が痛々しかった。

「手術はうまくいったの。甲状腺の癌は綺麗に切除できたそうよ」

「よかった」

 ベットに起きあがって、説明してくれる彼女は顔色もいい。

 点滴のチューブや、心電図のケーブルにつながれ、ぐったりと横たわる彼女を想像していた功はなんだかほっとした。

「元気そうで安心したよ」

 功は心から安堵していたが、真紀は鋭い目で功に問いかけた。

「この間のことだけど、私にプロポーズしたのは、リースハウスが続けられるからという無粋な理由で結婚するように聞こえたんだけど、もう少し気の利いた言葉を盛り込めなかったのかしら。二つと無き美貌に惹かれたとか、抜群のプロポーションにメロメロですとか」

「それはもちろん美人で性格も良いし」

「何でそんな取って付けたようなせりふなのかな」

「いや、だから、」

 なにか言わなければと焦っている功の口を彼女の唇が柔らかくふさいだ。

 だしぬけの彼女のキスは不意を突かれた功を圧倒して舌を絡めてくる。

 功が彼女の感触に我を忘れそうになった時に真紀は不意に身を離した。

「今日のところは、それくらいで勘弁してあげるわ」

 茫然としている功をよそに彼女は話を再開した。

「入院はほんの少しの間でいいみたいだし、紹介状をもらったからわだつみ町から通える病院で後の経過を見てもらえるそうよ。功ちゃんが言っていたように、わだつみ町に帰ってしばらくの間のんびり静養することにしようかしら」

「リースハウスは僕が準備するからゆっくりしてくれていいよ。工事も始まったから、すぐに骨組み部分が完成するらしいよ。」

「ちゃんと施工してるか確認しておいてよ、これから長い間使うんだから。」

 口では小うるさいことをいいながら、彼女は穏やかに微笑んだ。寄る辺がなかった功と真紀に帰るべき場所ができたのだ。

 病室の窓からは近くを流れる川の土手やその向こうに見える田んぼに菜の花が咲いているのが見えた。

 功が初めてまほろば県を訪れてから一年が過ぎようとしていた。

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