第23話 軽四輪の三人男

 真紀が癌の告知を受けた翌日、功が研修ハウスの作業を終えて臼木農林業公社の事務所に入っていくと、山本事務局長が硬い表情でて電話の応対をしていた。

 受話器を置いた山本事務局長はため息をついて傍らの理香に言う。

「農協からリースハウスの話は白紙に戻したいと言ってきた。万一治療が長引いた場合にリース料が回収できなくなると困るということらしい」

「春までには治療が終わって退院しているかもしれないのに」

 不満そうな理香に山本事務局長が続ける。

「その話もしたよ、先方も癌が完治したことが確認出来たら来年度分の予算で対応すると話していた。経営不振でリース料の支払いが滞っている農家もあるらしいから、農協にしてみたら余分なリスクは減らしたいんだろう」

 山本事務局長も内心では農協の冷たい対応が頭に来ているはずだが、自分を抑えて理解を示しているようだ。

 功が入り口で立っていると、山本事務局長が気づいて声をかけた。

「功ちゃん戻ってたのか。真紀のリースハウースの話、聞こえたと思うけど、まだ役場や県とも話をするからおまえは心配しなくていいからな」

 そう言われても気休めにしか聞こえないが、功はうなずいて事務所に入り、研修日誌をつけ始めた。

 研修日誌は功が助成を受けている補助金の証拠書類の一つになるため、大事な作業だ。

 功が一日の研修内容を日誌に記入し終えた頃にそ、真紀と少し年かさの女性が事務所を訪れた。

「山本事務局長、昨日はごめんなさい。帰ってからおばさんにすごく怒られたの。これから病院に行きます。」

 真紀の言葉に被せるように同行した女性も山本事務局長に告げる。

「山本君ごめんね、この子癌と効いただけでパニックを起こしていたみたいなのよ。私が 勤めている病院の先生に聞いても、早期に手術を受けたら転移の可能性も少ないっていうし、この子の場合生検しないと癌と確定したわけでもないのよ。とりあえず紹介してもらったまほろば大学の医学部付属病院に連れて行こうと思うの」

 真紀に同行したのは、真紀のおばさんである加奈子さんだった。

 彼女は町の病院で看護師さんをしている。

「よかった。加奈さんが付き添ってくれるなら安心だな。休みまで取って対応してくれて何だか気の毒みたいだけど」

「かわいい姪っ子のためだから当然でしょ。普段休みなんて取れないから帰りにショッピングモールで買い物でもすれば一石二鳥よ」

 功は書き終わった作業日誌を片付けて話に加わろうと近寄った。

 話の途中で功に気づいた真紀は、ゆっくりと功に話し始めた。

「功ちゃん私のおナスとニラのハウスの世話をお願いします。ここにいつ戻ってこられるかわからないから何だか申し訳ないんだけど」

 功はもう戻ってこないような真紀の口調に抗うようにいつも通りに話す。

「すぐに戻ってこられるよ。野菜の世話はおやすいご用だから心配しないで」

 功は本当のところは真紀の病状やこれからの彼女の身の振り方など聞きたいことも話したいことも山程あったのだが、日頃口数が少ないことが災いして上手く思いを言葉にする事が出来ない。

「野菜の世話も、事業の手続きも後でいいから、今は治療に専念してよ。良くなって帰ってくるのを待っているから」

 山本事務局長の言葉に真紀は無言でお辞儀をするが、加奈子さんは診察の予約時間があるからと真紀を促して車に乗せようとする。 

 真紀は何か言いたそうに口を開きかけて振り返り、その視線はすがるように功を見つめていたが、結局真紀はそれ以上功と言葉を交わすことなく去っていった。

 二人が行ってしまうと、事務所の中はしんと静まってしまった。

「何だか元気なかったな」

「癌の疑いがあると言われて、平気でいられる人もいないわよ。おじいさんが癌で無くなっているらしいからなおさらね。」

 山本事務局長と理香が小声でやりとりしているが、功は彼女とカヌー遊びに行ったときの無邪気な表情や、農地を借りて就農するか決めあぐねていた頃の真剣な顔を思い出していた。

 翌日、功は予定通り健康診断に行っき、健康診断は午前中にほとんどのメニューが修了した。

 担当医師の説明では、功は文句なしの健康体ということだ。

 真紀の時と同じで昼頃には帰ることができたが、事務所に戻ってみると山本事務局長は浮かぬ顔をしている。

「なあ功ちゃん俺がおごるから、今夜喜輔で一杯飲まないか。」

 功はこれまでにも山本事務局長と飲む機会はあったが、農林業公社の行事が絡むのがほとんどで、個人的に誘われるのは珍しかった。

「いいですよ」

 そう答えた功も、今夜宿舎に帰っても寝られないような気がしていたのだ。

 夕方功が車を出してわだつみの町に向かうことになった。

 無論、帰りは代行を頼むつもりだ。

 喜輔のカウンターに座っても、功も山本事務局長も話が弾むような雰囲気にはほど遠かった。

 不機嫌そうな男二人連れが、黙り込んだままで酒を飲んでいるのを見かねたのか、マスターが声をかける。

「今日は珍しい組み合わせで来てくれたけど、一体どうしたんだい。普段だったら、真紀ちゃんとか理香ちゃんも引き連れてくるのに」

 せっかくマスターが気を遣ってくれたのに、功と山本事務局長はグラスを持ったまま上目遣いに睨んでしまったようだ。

 マスターは触らぬ神にたたり無しと思ったのか、厨房の奥に引っ込むと料理の仕込みを始めた。

 マスターもいなくなったところで、山本事務局長はおもむろに口を開いた。

「なあ功ちゃん真紀のことだけど、昨日の様子を見てどう思った」

 実は功もそのことが気になっていたのだ、

「ぼくの見た感じでは、平静を保っていているけど借りてきた猫みたいで、どこか変な感じでしたね」

「やっぱりおまえもそう思うだろ、どこがどう違うのか言いにくいんだけど、ものすごく違和感があったんだよ。普段の真紀だったら絶対こんな反応しないのにという感じが最後まで抜けなかったというのかな」

 自分たちが同じ違和感を共有していたのがわかった途端に功と山本事務局長は口数が多くなった。

 間違い探しクイズのようにあれが違ったこれが違うと昨日の様子を思い出しながら羅列し始めたのだ。

「たとえば普段の彼女ならおナスとニラの世話をお願いしますとか絶対言わないと思うんですよね」

「そうそう、普段のあいつだったら、私がいない間に変な管理をして枯らしたらただじゃ置かないわよっていうのが普通だよな。しかもこんな風に右手を振り上げたりして」

 山本事務局長が彼女の仕草をまねしてみせるのがよく似ていた。

 そのとき、功と山本事務局長の後ろから聞き慣れた声がした。

「おまえら、男二人で仲良く飲みに来て何を盛り上がっているんだよ。真紀ちゃんが大変なことになっているんだろ。」

 声の主は野口だった。

 山本事務局長の隣に座った野口は、真紀の病状を教えろと迫るが山本事務局長は個人情報だからと教えようとしないので、とうとう野口君が怒り出した。

「水臭いなあ。俺は研修の世話も焼いて面倒を見ているのに、どうして俺だけ仲間はずれにするんだよ。あんたがそんなに冷たいやつだとは思わなかったぜ。」

 山本事務局長ももともと機嫌がよくないので売り言葉に買い言葉でからみはじめる。

「うるせえなあ、おまえの母親が真紀に酷いことを言ってずいぶん傷つけたんだろ。いつまでもつきまとっていると嫌われるだけだぜ、もう少し引き際をわきまえろ」

 山本事務局長の言葉はきつく、功はおそるおそる野口の様子をうかがったが、彼は空気が抜けたように勢いを無くしてうなだれてる。

「山本事務局長ちょっと言いすぎですよ」

 功が山本事務局長のシャツの袖を引っ張ると、さすがに言い過ぎたと思ったのか山本事務局長も口をつぐむ、

 野口の落ち込み具合に気の毒になったのか、山本事務局長は真紀が甲状腺癌の疑いがあると言われて今日から医学部付属病院に入院していると教えた。

「それで、病状はどうなんだよ。直るのか」

 めげずに聞いてくる野口を見て、功は自分に足りないもの見たよう気がする。

 山本事務局長は大きなため息をついてから言う。

「病状がわからないから困っているんだよ。実は真紀のリースハウスがもう入札が終わって、工事を始める運びになっているが、農協の本所の連中が真紀の体調が悪くて営農を継続することができないなら、事業そのものを中止にすると言うんだ」

「本当なのか?俺は功ちゃんや真紀ちゃんが居着いてくれたら、俺が生きている間くらいは臼木でも農業を続けられると思っていたのに」

 功は野口がのほほんとした顔をしながらそんなことを考えていたんだなと思い、改めて彼の顔を見るが、山本事務局長が混ぜ返した。

「なんだよ、おれは臼木の集落の頭数に入ってないのかよ」

「あんたはずいぶん年上だし、立場上集落を守るために働くのが当たり前だ」

 野口やり返したが、功は酔いが回りはじめていたので、思わず山本事務局長に言った。

「山本事務局長、そのリースハウスの話、僕が真紀ちゃんと結婚する予定だったら、彼女が病気療養中でも、僕が営農するから問題ないわけでしょ」

 野口ぎょっとして功を見たが。室長は落ち着き払って答えた。

「功ちゃんも一年間の研修が終わるところだから補助事業の制度的にはその通りだが、功ちゃんと真紀ってそういう仲ではないだろ」

 山本事務局長はあっさりと功の意見を切って捨てるが、功は引き下がらなかった。

「それなら、今から本人に会って確かめるから医大病院まで乗り込んでみるか」

 山本事務局長は下手をすると酔っているのに車で出かけかねない勢いだ。

「ちょっとまてよお前ら」

 声をかけたのは、山本事務局長の知り合いでわだつみ町の警察署に勤務している浜田という人で、山本事務局長の同級生らしかった

「よもや飲酒運転で出かけるつもりではないよな。もしも酔ったまま車を運転しようとしたらその場で現行犯逮捕するからそう思えよ」

「じゃまをするな。このオタクで奥手の功ちゃんがめずらしく気合いの入ったことを言っているんだ。水を差さないでくれ」

 山本事務局長は浜田に逆らうが、野口が間に入った。

「俺は今来たばかりでまだ飲んでいないから、俺が運転する。それなら問題ないだろう」

 浜田も良いだろうと肩をすくめてみせる。酔いも吹っ飛んだ功はあわてて喜助のマスターに代金を払うと山本事務局長を外に引っ張り出した。

「ありがとう野口さん助かったよ」

 功は山本事務局長を半ば担ぐようにして歩きながら礼を言う。

「いいんだよ。今日はあまり飲む気分でもなかったし。それよりもさっきの話だが、まほろば大学の医学部付属病院まで行くのか?。本当にその気があるならおれが運転してやるよ」

 野口の言葉を聞いて、山本事務局長がもうろうとした状態でつぶやく。

「おう、たのむぜ野口」

 結局、功達三人は、まほろば市の医大付属病院を目指して車を走らせることになった。

 功からキーを預かった野口が運転し、軽四輪の箱バンが走り出して二分もたたないうちに一行の前方で警察官が検問をしているのが目に入った。

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