第49話・許嫁、推する

「ね」

 いつもより少しだけ、ぎこちない空気が流れる夕食後のソファ。

 二人並んでココアを飲みながら何気なく眺めていた特番バラエティ番組がCMに入ったタイミングで、凛菜さんは短く私に問いかけました。

「なんでしょう?」

 この真剣な雰囲気……やはり、甘楽さんとの練習に水を差してしまったことをお怒りなのでしょうか……。ですが……あんな密着具合……看過できるわけがありません……!

「朝からずっと気になってたんだけど」

 朝? ということは全然違う話題、ですね。しかし何かあったでしょうか、凛菜さんに疑問を抱かれるようなやりとりなんて。

「これ、」

「ひゃんっ!」

「どういうこと?」

 私のルームウェアを浅く捲ると、凛菜さんは人差し指と親指を私の脇腹にあてがい、ふにふにともてあそび始めました。なんですかコレ。どういう趣旨なんですか!?

「おかしいよね。なんで毎日同じもの食べてるのに、ウエストにこんな差が出るの?」

 その眼差しにふざけている様子はなく、だからこそ私も茶化すことができずに、くすぐったさと恥ずかしさを堪えて返します。

「それは……体質や代謝などの……個人差としか……」

「生まれ持った才能ってこと? 氷浦は神から何物与えられれば気が済むの?」

「そんな……大層なことでは……」

「おしおき!」

「んはっ!」

 今まで大人しく、どこか慈しみすら感じていた凛菜さんの指先は突然凶暴化し、私の両脇腹に襲いかかりました。少し熱い十本の指が上に下に右に下に縦横無尽に這い回り、ぐにぐにと皮膚が沈む度に意図しない声が零れてしまいます。

「り、凛菜さんっ」

ひがみともいう!」

「ちょ、ちょっと待ってください、私、くすぐり、弱くて……」

「ふぅ~ん、意外な弱点ですなぁ~」

 ひらひらとはためく白旗を愉快そうにスルーすると、逃れようとしてうつ伏せに倒れた私の背中に乗るようなカタチで攻撃を続行する凛菜さん。

「凛菜さん、怒っているのですか? その、練習をお邪魔してすみませんでした、ですが……私だって「怒ってないよ~? 全然。生徒会の皆さんとは仲良くしなきゃダメだもんね~?」

 なんのことですか!? あれ? これ私何か勘違いしていますか!?

「あッ……」

「っ……」

「「…………」」

 動きに激しさが増した凛菜さんの手のひらが、予期していなかった部分に掠り、思わず大きな声が出てしまいました。すぐさま口を閉ざすも、なんだか変な空気に。

「……ごめん」

「……いえ」

 体は仰向けになりつつも、なぜだか凛菜さんの顔を直視することができません。なんだか、お互いの吐息の音が大きく聞こえます。反対にテレビの音はやけに遠く聞こえて……。

 ……あっ、これ、このパターン知ってます。荒い呼吸。上気した頬。火照った体。くすぐり合いっこから……そういう……。

「「っ!」」

 あと一秒もあれば触れ合っていたはずの唇は、凛菜さんのスマホから鳴り響いた着信音に阻まれてしまいました。

 もう! そっちのお決まりパターンまで踏襲しなくていいんですよ!

 でもこんなに良い雰囲気なんですし……当然スルーですよね、凛菜さ「ちょ、ごめん」ってえぇ!? そんな早く応答しちゃうことあります!? 葛藤すらなしですか!?

 画面を確認するや否や、ソファから飛び跳ねて通話を始めつつ自室へ駆け込んで行ってしまった凛菜さん。

「…………」

 ……いやね、わかりますよ私だって。ここまで露骨だと怪しいという気持ちだって薄れるというものです。でも、でもですよ、逆の逆ということもあります。私だって……私だってこんなことしたくない……!

『はい……本当ですか? あの、はい、大丈夫です。でもなるべく早く見せていただけると……』

 ココアのおかわりをいれるために立ち上がったんですよ~と、素知らぬ素振りで私も立ち上がり、凛菜さんのお部屋のドアにそれとな~く、耳を当たるか当たらないかくらいの距離に設置。中から聞こえてくる声は、どうやら社交モードのご様子です。

『はい。それではよろしくお願いします』

「っ」

「……」

 電話は予想よりもずっと早く終わり、凛菜さんがお部屋から出てくる気配を察知。すぐさまソファに戻ったものの、不自然な動作は視界に入ってしまったらしく……

「……聞き耳立ててた?」

 凛菜さんの口から小さく零れた問いは、ほぼ確信に満ちていて冷たい気配を纏っています。

「ひーうーらーさんっ?」

「……な、なんのことでしょう?」

 呼吸を整えつつ精一杯にはぐらかしてみるも、もちろんそんなものが通用するとは思っていません。

 私だって気になっているんですからね、気にならないわけがないんですからね。そんな意思表示をするだけのつもりでした。

「ごめんね」

 ともすれば叱責を受けるかもしれません。そうなったらすぐに謝る心の準備は出来ていたのですが――

「私だって同じことされたら不安になるって、わかってる」

 ――凛菜さんは、背を向ける私を優しく抱き、包み込んでくださいました。

「だけど、信じて。もう少しだけ……我慢、してほしいの」

 出来ないと言ったら……どうしますか? そんな意地悪を言いたくなって。だけど。これ以上は言葉のやり取りが億劫になるくらい、凛菜さんの体温が、熱くて。強がりがどんどん、溶かされてしまって。

「できます。けれどそのかわり、こうして毎晩……抱きしめてくださいますか?」

「うん。約束する」

 言いながら、私のうなじに擦り付けられる凛菜さんの頬。お腹の奥底から幸せな熱が込み上がってきて、だんだん頭がボーッとしてきます。

「……さっきの続き、する?」

「しない。って、言うと思いますか?」

「……なんか、目が怖いんだけど……」

 声を震わせる凛菜さんを押し倒しながら攻守交代。

 ソファの上で仰向けに寝転がった凛菜さんに跨がり、今度は私が、彼女のルームウェアを捲り上げます。

「……なんか……ゆっくりこういうことされるの……恥ずかしい……」

「では、今日はいつもより……うんと時間をかけましょうね」

 赤面を両腕で隠す凛菜さんのポーズは、上から眺める私にとってはあまり無防備で。

 リモコンでテレビの電源を落とし、はだけた衣類から覗く白い肌を指先でなぞって、確信しました。

「すみません……前言、撤回です」

 ゆっくりなんか、していられるわけがありません。

 一瞬で遥か彼方へと追いやられた理性に情けなさを感じつつも、諦めと許しが同時に湧いてきます。凛菜さんの体温と嬌声によって混迷を極めた本能は、どうせ制御することなんて不可能なのですから。

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