第23話・許嫁、省みる

「……」

「……」

 新学期の初日、さっそく生徒会の打ち合わせがあったらしい氷浦は、私よりも二時間ほど遅れて帰宅した。

 そしてその瞬間から今の今まで――お風呂から上がってご飯を食べ終えコーヒーを飲みながらテレビをぼんやり眺めている今の今まで――彼女は一言も発さない。

「えっと……私、もう寝るね」

「凛菜さん」

 あまりの気まずさに耐えられず(時刻はまだ九時前なので)バレバレの嘘とともに立ち上がると、私の袖を掴んだ氷浦は遂に、その慎ましくも威厳に満ちた――そしてしっかり不機嫌な――声を聞かせてくれた。

「氷浦帷は……怒っています」

「……うん」

 知ってる。

 帰宅してからの態度からはもちろん不機嫌さが滲み出ていたし、原因も……わかっている。

 それは間違いなく、今日の昼休み。私と甘楽とテステートさんのグループに彼女が加わった直後のアレのせいだろう。

 あぁ、今でもありありと思い出せる。雪で作られた仏像のように冷たい表情も、嫉妬の炎をも凍りつかせそうな瞳も。


×


「えー! 氷浦さんも!? 意外! なんで!? いや全然いいんだけど! というかもちろんいいよ! おいでおいで!」

「…………」

「…………」

 今まで他人として上手く距離を置いていたのに、突然共に昼食をとるという許嫁に思わず言葉を失う。

 けれど、ここで過剰な反応をするのはNG。あくまでクラスメイトとして接しなくては。

 というかなんで急に氷浦まで?

 あれこれ言っていたけど、流石に久しぶりに再会した幼馴染テステートさんと久闊を叙する気持ちになったんだろうか。

「どうしよう凛菜ちゃん……」

「……何が?」

 動揺を表に出さない私(たぶん)と違って、甘楽は目に見えてアワアワしていた。

 一応耳打ちのていを取っているけれど、声量的に氷浦にもテステートさんにも聞こえているはず。

「私……モテ期なのかもしれない!」

「?」

 ああ……これは……。

「だってだって凛菜ちゃんはデレるし、引く手数多のシアちゃんもこっちに来たし、あの氷浦さんだって危機感を覚えて乱入してきたんだよ!?」

 これは……甘楽劇場のはじまりはじまり……だ。私もこれぐらいポジティブになれたらどれだけいいだろう。

「血で血を洗う抗争だよ!」

 自分のせいでクラスメイトが争うのを本気で心配できるのが甘楽空子という少女で、憎めないところでもあり面倒くさいところでもある。

 ……でも実際、甘楽って運動できるし明るいし可愛いしであらゆる方面から人気だから否めなかったりするわけで……。

「はいはい」

 こうなってしまったらこちらがまともに話してもあらぬ方向へ広がるだけなので、適当に相槌を打ちながら弁当を食べ進めた。

 氷浦もテステートさんもなんとなく察しているのか、私と同じ行動をとる。

「女の戦いは凄惨で陰湿で阿鼻叫喚なんだよ!?」

「はいはい」

「でも大丈夫! 私は凛菜ちゃん一筋だから!」

「はいはい」

「その証に! 私の一番大好きな卵焼きをあげちゃうよ! はい、あーん!」

「はいはい。あー……」ん、と、何の気なしに差し出されたそれを口に含んだ瞬間――

「ひッ!」

 世にも恐ろしい怪物と遭遇した時にしか出ない短く鋭い悲鳴が聞こえ、そちらに視線をやれば氷浦はお箸を指先からスルリと落下させていた。

「……」

「……お箸、洗ってきます」

 そのまま『うらめしや』と言っても何ら違和感のない弱々しい声を零し、氷浦は足音も立てず教室から消えていく。

 ……やってしまった……。

「うぅ……ごめんね氷浦ちゃん……でも私は凛菜ちゃんのものだから……」

「わかるわトバリ……。大事な人が目の前で他人にあ~んされちゃうなんて……つらいわよね、痛いわよね、耐えきれないわよね……きっとトイレで一人……その痛みを噛み締めてるのね……ずるい……羨ましい……」

 真剣な表情でそれぞれに意見を述べる二人だけど、氷浦が席を立った理由としてはたぶん不正解。というかどっちも不正解であってほしい。

「こいつぁ私が責任を持って! 氷浦ちゃんを元気付ける計画が必要だね! 二人とも協力してくれる!? ありがとう!」

 返事を言う前に感謝を畳み掛けられ、まだまだ甘楽劇場が続くことを知る。エンジンのかかった彼女を止められる者などいるはずもなく『食べて遊べば元気になるでしょ!』といった適当な感じが醸し出される計画を聞いているうちに休みは過ぎていく。

 授業開始まで残り二分を切ったところで氷浦は教室に戻ってきて、ほとんど手のついていないお弁当を片付けながら、怒りに濡れた瞳で私を一瞥した。


×


 ので。

 氷浦帷が怒っているのは重々承知していた。

 もしも私が江ノ島で彼女からのあ~んを拒んでいなければここまで感情的になることもなかっただろう。いや本当に、油断してたんだよ……。

 というかさ、あんぐり口を開けた表情を好きな人に見せたくないって気持ちくらい、わかってくれてもいいじゃん。

 それくらい氷浦が特別で、甘楽はただの友達ってこともわかってくれていいじゃん。

 とは……思うものの……流れのままに、自然のままに、不平等と取られても仕方のないことをしてしまったのはわかってる。

 ここは許婚として誠意を持って贖罪に努めよう。


×


 ――なんて思った私がバカだった。

「……へ、へんたい……変態変態! 近づかないで!」

 ――こちらが下手したてに出ればあちらがどう出るか、

「酷いです! 傷つきました! 被害者は私なのに!」

「傷ついた人間はそんな顔しない! もう寝る!」

 ――いい加減、思い知っていたはずなのに……。

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