第8話

「少しゆっくりして、帰る準備しようか」

 満足ゆくまで朝食をたらふく平らげたアヤは、リョウに向かって穏やかに言った。大きめの茶碗大盛り二杯の白米と、野沢菜漬はどれだけ食べたかわからない。白米なんてどれも同じだと思っていたが、今朝の白米は格別だった、とアヤは反芻する。綺麗な空気と水が育んだ米だからというのもあるが、ひとりで食べるのとはまた違う別の要因があるのかもしれない。

「え? 今からハイキングやで?」

 美味を思い出してほっこりしていたのもつかの間、リョウのそんな発言により目を剥く羽目に。

「何それ」

「上高地に来たらそら、な!」

「意味がわかるように答えてくれる」

 アヤの声がワントーン低くなったので、リョウが慌てて説明に入る。

「あ、えと、上高地と言えばハイキングやねんで」

 そう言った途端、アヤにはありありと拒否の色。

「大丈夫! 近くまではバス出てるし」

「結局バスに乗るのかよ」


 麓のシャトルバス乗り場は、さながら大都市の高速バスターミナルのよう。人も多く賑わっているが、やはり例年よりは少ないそうだ。麓でも充分山の中で、緑に覆われた閑散な大自然に身を置いていると実感する。気温もホテルの周辺よりはかなり低く感じる。その冷たさが心地良く、澄んだ空気をより一層引き締めている。

 バスの中ではしばし仮眠のふたり。満腹に心地良い揺れ、さらにはまだ昨夜の疲れが残っているのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る