SFの括りから脱却せよ

MAGI

第1話 まず最近のサブカルについて

 昨今、サブカルが流行物の風潮のみを取り入れる傾向が物凄く強くなってきている。

 アニメでもとにかく“売れた漫画のアニメ化最優先”。

 漫画に至っては“バズっていたりとにかく売れていたらOK”。

 映画ですらも“漫画売れてるから有名どころの演者使うだけでいいっしょ”。

 果てはハリウッドですらも“日本の漫画文化で稼ごうぜ!あわよくば権利全部分捕ろうぜ!”と。


 ええっと。

 一から作るのが創作ものでしょ?

 何二番煎じとかお零れ狙って、あわよくば自分の物にしようとしてんの?

 とこの二十年ずっと思ってたわけ。


 ライトノベルですらもこの傾向が非常に顕著。

 とにかく“異世界転生”や“転移”、“ハーレム物”から“俺強えええ!!”、今これを書いている時に流行っているのは“悪役令嬢”も含まれるかな。


 とにもかくにも“被りの数が尋常じゃない”。

 パクリとか、模倣物は昔から確かによくあった。

 絵画でもそうで、贋作専門の絵師までいる程。


 映画でも相当に顕著な傾向にも見える。

 東宝のゴジラが2014年に二度目の映画化が成された際、東宝は保険として、“ゴジラを俳優としてハリウッドへの出演契約を取る”事を選択して、著作権保有を自衛している。

 実際に1998年のトライスター制作版でも、「日本にはもうゴジラを作らせない」と異常な強気の姿勢を見せて虎視眈々とゴジラの利権を狙っていた程。

 ハリウッドはこの時期、名作や大作を量産していたものの、この頃から既によその国のドル箱キャラクターの利権を自分の物にせんとする動きを見せ始めていたのも事実。


 “アイデアの枯渇”はどの制作会社も、創作者も、一番恐れているもの。

 これは揺るぎないと思うし、人類がエンターテイメントを生み出し続ける限りは永遠に纏わりつく呪いのようなものでもあると思う。


 特に今日本のサブカルで何が問題なのかと言うと、と言うより問題があり過ぎる。


 まず著作者の尋常じゃない利益配分の少なさ。

 特に顕著なのは漫画家、小説家だと思う。

 平均してよく聞くのが売り上げ全体の30%前後。

 かなり悪魔染みた会社の場合だと、10%も渡さない会社も存在するとの事。

 とにかく締め切りに追わせ、不眠不休で仕上げた作品をほぼジャイアン方式で取り上げて、いざ発表された後に利益が発生すると著作者に手渡すのは雀の涙。

 会社を通じて発表する型式が廃れるの最大の原因でもあろう。


 次として出版社などの、権利管理する会社の側の中抜き体質。

 ただ紹介するだけで著作者より割合を多く取る。

 人夫出しもしかり。派遣する労働者に対して日当1万円と言ってその日当を渡し、中抜きする建設会社は元請けの会社から一人当たり2万円の給与を受け取って1万円を取る。

 何もしなくても金が入るシステム。

 考え方としては有りだろうが、せめて直接働いてもらう人間には敬意を示すべきである。昨今の中抜きする会社は、とにかく相手の事を考えない。


 そしてエンタメ業界を最も悪くしている要因のひとつであろう、“テンプレート作品の量産”。

 ひとつの作品が大ウケして大ヒットすると、良く言えば準じている、悪く言えば研鑽せず模倣している作品が大量に乱発されている。

 この傾向が現れ始めたのは、インターネットが普及しきって間もない、2000年代後半の頃だろう。

 この頃だと、映画、音楽、漫画、小説、ドラマ、ゲームと、とにかく全てに渡って“テンプレートを下敷きにした作品”が犇めき合い始めていた。

 漫画の実写映画化もこの頃からであろう。

 更に、金字塔を打ち立てたコンテンツをオワコン化させるという暴挙まで行っている。


 最もわかりやすい例は、テレビ番組の制作内容がそれにあたるかも知れない。


 放映中にも露骨に、スポンサー企業の顔色を常に窺っている。

 市民団体が怖いのかとにかく自主的な言葉狩りを自発的に行っている。

 カンペなどが平然と出るなど、メタ要素が乱発している。

 制作費をとにかく抑えたいが為に、雛壇番組やゴシップなトーク番組、露骨な宣伝番組がゴールデンタイムで連発していても何も言わない。

 出演者の自虐要素をとにかく推している。自虐が正義の風潮を作っている。

 過去に放送したネタをある程度時期が経ったタイミングで、さも初めて放送したかのように装って放映する。


 ここまで来ると、番組のヤラセも一時期大問題となっていたが、1990年代のあの悪い意味でも激しく、しかし熱意のあった番組で、ヤラセをしていたとの比べると余りにも低質化している。

 ヤラセにすらも熱意がない。


 ライトノベルも、例に漏れず全て該当しているように思える。

 露骨に“対象が誰なのかわかりやすい”、貶めるだけの露骨な攻撃は良くないとは思うが、とにもかくにも、一切誰も傷つけない表現なんてのも出来るわけがないし、純度100%のお花畑物語なんて、逆に言えば誰も求めていない。


 エンターテイメントは“非日常を魅せる”のであって、“利権やら何やらが絡まった現実を背景にしてただ楽しむ”ものではない。


 日本人は、“楽しむ”事を忘れている。


 とにかく何も考えずただ売れればいい、その精神で10年以上も続けた結果が今のこの状況なのである。

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