真っ白の異分子ー⑥
「ご、ごめんなさい!」
突然頭を下げた栗毛の少女を前に、学校の生徒たちは困惑の表情を浮かべた。
3回目の合唱練習終わり。前回と同様に空気が張り詰めており、痛いほどだったが、栗毛の少女の謝罪により一変した気がする。
「こ、この前は……わたしたちも言いすぎちゃった部分があって……すごい喧嘩みたいになっちゃったけど! わたしは学校のみんなと仲良くしたいなって思ってて! だからもうちょっとは、話せないかなって…………」
いつものように辿々しくだが、必死に自身の意見を伝える栗毛の少女。彼女と仲の良い女子たちはその姿を、
いつかのように公民館の中は静寂に包まれた。栗毛の少女は誰に向けて話すのか、その人物指定をしなかった。30人程度いる生徒すべてに向けて話しかけたのだ。むしろ答えづらいと思う。きっと発言を押し付け合うはずだ……私ならそうする。
しかし。
「……あの」
予想に反して後列から一つ声が発せられた。見るとピッとその手が挙げられている。当然、場の視線がその子に集まった。
生徒の集団の中から一人の女の子が現れた。目つきが少し悪い、気が強そうな女の子だ。彼女は一呼吸を置いてから栗毛の少女にこう言ってみせた。
「あたしも、同じこと思ってたんだ。……このあとさ、ちょっと話し合わない?」
口元を
「あ、ありがとう!」
「名前教えてもらっていい?」
「あ、う、うん! わたしは───」
栗毛の少女が自身の名前を伝えた後は、張り詰めていた空気が嘘のように綻んでしまった。他愛もない会話が場を包む。中には学校の生徒に話しかける子供もいた。 ……罵声はもうない。
わたしはみんなの邪魔にならないように大部屋の隅へと移動した。そして、身体を縮こまらせる。ふと左を向くと、そこには部屋の出口があった。帰ろうと思えば帰ることができる。でも…………
私が
……また言い争いが起こるのだろうか? そう思ったが、渦中に孤児院の子供たちの姿は見られなかった。なら今のは?
「あのさ」
「…………」
「あの、」
「えっ……」
やけに声が近くて、その方向を向くと、そこには一人の男子生徒がいた。
彼は私に話しかけたのだ。
誰だこいつは。何で私に……?
口をパクパクとさせるだけで私は何も口をきくことが出来なかった。石像のように固まるだけ。ドッドッと激しく心臓が鳴る。すぐ後ろは壁で、退路なんてない。
震える足腰に力を入れて、その場に座り込んでしまうことだけは必死に耐えた。……なんとかして、口内に溜まった唾液を強引に飲み込み、私は発声する。
「な、なに?」
「あーいや、話あるのは俺じゃないんだ」
その男子が振り返ると、そこにはもっと多くの男子生徒が。さっき少しだけ騒がしかった男子たちだ。彼らが、私に話を? ……今すぐに逃げ出したい。そんな感情が私を支配する。
やがて、男子生徒の中から、肩を縮こまらせた一人が出てきた。前髪の長い男子だ。その子は……いや、そいつは。
「あー、その……」
「───っ!」
『そいつは髪が白い。肌だって白い。孤児院で育ったからじゃないのか?』
彼の声を聞いて、私の中に以前のあの記憶が流れ込んできた。
私の中に思い出された言葉。一言一句覚えている言葉。 彼は、私に指を突き立て、ソレを吐いた人物だった。
「あの……その……」
前髪の男子の視線が左に、右に揺れる。対して私の目線は彼から離すことができない。
……そういう状態が少しだけ続いた後に、彼の後ろから大きな声が飛び出た。
「早く言えって」
「待たせんなって、なぁ」
男子生徒たちの野次めいた声が前髪の男子に刺さった。彼は首の後ろを掻きながら、ばつが悪そうな表情を浮かべた。
間もなくして、彼はその口を開く。
「あーその……あの時はごめん。髪とか肌とかのこと、悪く言っちゃって……ほんとごめん」
彼は姿勢を整え、私に向けてその頭を下げた。すると、後ろに
“目は口ほどに物を言う”という言葉があるが、この時の私には彼らが「こうやって頭を下げているんだ。許してくれ」と言っているように思えた。……思えて仕方なかった。
瞬間、ゾワリと不快感が押し寄せてきた。言葉が強いられる不快感。酷い茶番にでも付き合わされている気分だった。何度も、何度も、何度も。なんでこんな思いをしなくちゃならないのか。
口内で舌の先を強く噛み締める。ゆっくりと視線を動かすと、遥か向こうに栗毛の少女を見つけた。先ほどの目つきの悪い女子生徒と楽しそうに談笑をしていた。 ……私なんかには構わずに。
あぁ。
小さな、でも確かな絶望を私は憶えた。
「…………」
───とりあえず、適当に許したら?
内側の私が冷たい声で言い放った。外側の私が誰にも気づかれないように、ほんの小さく頷いた。
「……もう大丈夫だよ? だから頭上げて?」
優しげな声を私は出した。自分は何をやっているのだろう、と私は思った。
毒が身体中を巡る感覚というのはこういうものなのだろうか? もし毒なら解かすことが出来るのに。
─────────
「ごめん、実は今日体調が悪くて」
自分の身体を軽く抱きしめながらそう言った私に、栗毛の少女は眉を潜めた。
「だ、大丈夫? カ、カリュちゃん?」
「……うん」
「えっと……体調もそうなんだけど、その……最近、あんまり元気ないから……」
「あー……うん」
「な、何かあったら言ってね? わ、わたし力になるから!」
私は言葉に出す代わりにゆっくりと首を縦に振った。
「じゃ、じゃあおやすみ」
ひらひらと手を振る栗毛の少女。私も胸のあたりで手を振った。
「…………」
私はこの日、初めて仮病を使った。
自室に戻り、私はベッドに
「本……」
ここ最近の私はずっと本を読んでいた。栗毛の少女が持ってきた本を読んでいたのだ。 ……図書置き場まで借りに行ってみようか?
「いや……」
首を振った。電気を消す。強引に目を瞑ろうとしたが、まだ部屋の中には淡い光が
見上げると月が見えた。もう半月ではない。三日月だ。あと数日もすれば完全に欠けきってしまうだろうと思った。そうやって推測したところで、私はカーテンを引いた。
───異様に長い一日が終わり、翌日が今日になる。それを5回繰り返し、再びその日はやってきた。
4回目の合唱練習。私にとって孤児院の子供たちも学校の生徒たちも……もはや視界に入るだけで苦痛な存在でしかなかった。常に俯いて、練習に臨んだ。
栗毛の少女と共に行動する時間は減った。彼女という存在が私から遠ざかっていることを感じざるを得なかった。
そしていつものように練習が終わる。
「やっと終わったねー! 先生ちょっと優しくなかった?」
「式典ってさ、領主様の話以外に何かあるの?」
「孤児院のこともっと教えてよ」
「このあとちょっと話して行かない? よかったら街も案内するよ?」
……大部屋の節々からそんな声が聞こえてくる。皆がその表情に笑顔を浮かべている。
学校の生徒は、孤児院の子供たちを見下す態度をとった。
孤児院の子供たちは私を仲間として扱わなかった。
学校の生徒と孤児院の子供たちは一度牙を向け合った。
それなのに、
「よくもまぁ……」
驚くほど冷徹な声が出た。それは部屋の中に響く談笑に簡単に掻き殺された。
私はトイレに向かった。別にもよおした訳ではない。ただ時間を潰したかったのだ。
………………。
………………。
………………。
公民館を出ると、もう陽は落ちかけていた。茜色の空には夜の闇が迫っており、その境界線は曖昧に溶け合っている。すぐにでも空は真っ黒に染まってしまうだろう。
公民館前の広場に栗毛の少女を発見した。周りにはもう学校の生徒は……あぁ。
私は玄関前の大きな柱の影にその身を隠した。彼女はまだ女子生徒と会話をしていたのだ。
「あと10分だけ……」
小さく呟く。それだけ待ってみて帰りそうになかったら、一人で帰ろう。柱にもたれかかり、軽く目を閉じた。
……なんで私は栗毛の少女のことを待っているのだろう? 仮病を使ってまで避けたのに、そうやって距離を取ったのに、でも取り続けることができない。私は今、彼女に近づきたがっているのだ。
ずっとちぐはぐだ。振り切ることができずに、わたしはフヨフヨと
「私にも、分からないよ…………」
私は彼女と、どうなりたいのだろう? 私はどうありたいのだろう?
「それでさぁ───」
ふと、栗毛の少女と女子生徒の会話が耳に入ってきた。一度そう認識してしまうと、もう意識を背けることは出来ない。
彼女らはおしゃべりを楽しんでいた。普段の生活とか、最近流行っていることとか、最近は何を学んでいるのか……など。当たり障りのない、普通の会話。
やがてそれは孤児院のことにシフトしていった。
「そういえば、あの白色の髪の子……」
目つきが少し悪い女子生徒が言った瞬間、私の心臓がドクリと跳ねた。思わずその場に座り込んでしまう。
「あ、あぁ……カ、カリュちゃんのことだね」
「カリュちゃん、か。あの子綺麗だよね」
「う、うん」
「仲良いの?」
「な、仲良いよ。ほ、本とか一緒に読んだりしてるの」
「そうなんだ───あのさ、カリュちゃんにはあたしたち、すごい失礼な態度をとっちゃったからさ。あたしも会って話したいんだよね」
会って……話? 無理だ。
「は、話ね……んー」
少しの間、黙ってしまった栗毛の少女。私は思考もできないほどに、手一杯だった。何を言うんだ? ……私はその答えを待ちあぐねた。
「わ、わたしは───」
栗毛の少女が答えた。
「カ、カリュちゃんは……わたし達とちょっと違うから、やめておいた方が、い、いいと思う……よ」
……え。
彼女の言葉を聞いた瞬間、私の中の全部が……ずっと保っていた気持ちとか、そういうもの全部があっけなく崩れた。パリンとガラスのように割れた。
ああ…………
ああ!!!!!!!
「カ、カリュちゃん!」
後ろからそんな声が聞こえた。恐ろしくて振り向けなかった。
気づいた時には、私は街を駆け出していた。一心不乱に逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。
差しかかる人全てが私の姿を見た。物珍しいものを見るような目で。私は彼らを視界に入れないように走った。
孤児院が
「はぁ……はぁ……はぁ………………………あぁ」
視界が歪んだ。溢れかえる涙が垂れ流れていく。
「あぁ………アァ……………!」
どす黒い、どす黒い、真っ黒の心が私の気持ちを支配した。孤独感だ。
誰も仲間なんていない感覚。真っ黒なソレが否応なく、私を蝕んでいく。
……そうだ。私は孤独を恐れていたのだ。はじめの合唱練習の時、一人の男子に拒絶された際、襲ってきたあの孤独感はひたすらに辛かったのだ。独りは嫌だ。独りになんてなりたくない……そんな思いで私は日々を過ごしてきた。
でも───
思い返される、記憶。私が傷ついた記憶。
気持ち全てをぶちまけた。
「人のことを……悪く言って! 勝手に拒絶して! 本心なんかひた隠して! 無責任に謝って! 優しい面を演じて! そんな人たちと私は……私は…………!」
優しげに微笑む栗毛の少女が思い出された。
「私は……一緒になんか居たくない。馴れ合いたくなんて、ない」
ソレが孤独以上に、辛いことにやっと気がついた。
「気持ち悪い……」
私を取り巻く全てが気持ち悪い。そして、それらに怯えることしかできない自分自身が気持ち悪い。あぁ、そうだ。
一人では状況一つ変えるように頑張れない自分自身が……孤独と他人の両方に怯え続け、その狭間を
……しばらく、泣いて、泣き続けて、私は身体に鞭打ち、立ち上がった。とぼとぼと孤児院を目指す。
孤児院を出て行こう。そう決めた。もうあそこには居られない。居場所なんてない。居場所になんかしたくない。 ……今から私はそれを伝えにいくのだ。脚は誰かが引っ張っているのではないかと思うほどに重かった。
───私はこれから独りになる。
そう思うと、ゾワリと寒気が押し寄せた。それと同時に私の脳内には一つの言葉が思い出された。
「異分子……」
ポツリと呟いた言葉。それは最近読んだ本の中に出てきた言葉だった。意味も調べた。“一団の中で、多くのものとは性質・種類などが違っているもの”らしい。 ……まさに私じゃないか。
丘を登っていくごとに孤児院の建物が大きくなっていった。視界に映したくなくて、目線を上へと向けた。
「月が……」
今日は晴れているくせして、やけに暗い……そう思っていたが、その答えは月の満ち欠けにあった。
新月だ。完全に月が欠け、空にはもう誰も残っていない。何もいない。
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