のどかな田園の村にてー①
草原地帯。目立った遮蔽物もなく開けた土地である為、陽光はさんさんと辺り一帯を照らし、それに応えるように草花は銀色に光っている。もちろん実際に草花が発光している訳ではない。昨日まで降り続いていた雨……その雫が光を反射しているのだ。息を吸い込むと口全体に雨の匂いが広がった。好きな匂いだ。雨自体は嫌いだけれど。
そんなどこか幻想的な風景の中を、私は鼻唄混じりで歩いていた。不思議なもので綺麗な景色には浄化作用があるらしく、雨続きで鬱屈としていた近頃の心は幾分もマシになっていた。そう考えると綺麗な景色を作り出す雨という現象も悪くはないものだと思えて……いや、その雨のせいで鬱屈としていたのだ。危うく騙されるところだった。
「おっ」
そんな間抜けな自己完結を脳内で繰り広げていた
「いいところだといいな……ね、スーちゃん」
そう呟いてみて隣を走るスーツケースを撫でる。しっとりと濡れており、私の手には泥が付着した。
「着いたらまずはスーちゃんの掃除からだね」
眉を潜めながら私は言った。実に平和だ、なんて無責任にも思った。
───────────
「はい、身分証確認したからね。通っていいよ」
「ありがとうございます」
小太りな守衛さんとの簡単なやり取りを終えた後、私は村の中に足を踏み入れた。久しぶりにスーツケースを引くとその重みがずっしりと感じられた。水を多めに積んでいるせいだろう。
「さて、と」
守衛さんに訊いた宿屋に向かう前に、私は村全体をゆっくりと歩いて周ることにした。何も特別な行為ではない。毎度村や街を訪れるときにやっていることだ。その土地の文化や慣習、思想を探り……なんて大それたものではなく、ただ美味しそうなお店とかないかなぁ……なんてそんな程度だ。
ちょっとした通りをぷらぷらと歩いていると目を惹かれるお店が1つあった。屋台形式のお店で、カウンターには頬杖をついて暇そうにしている店員さんの姿が見える。掲げられた看板には……
「おにぎり屋さん……そういえば久しく食べてないな、お米は」
「そこのおにぎり屋さん」
「のわ!?」
死角から現れたのは腰を丸めた一人の老婆だった。あまりにも突然のことすぎて、柄にもなくそんな声が飛び出てしまった。
「美味しいのよ。一度食べてみんしゃい」
「は、はぁ……」
「お嬢さん、べっぴんさんねえ。ここにはなあにしにきたの?」
「えっと……んん゛っ。あの、私旅人なもので」
「旅をしとるんかえ?」
「えぇまあ」
「旅はいいねぇ……旅、旅」
老婆は私が落ち着く暇も与えず、「旅、旅」と繰り返しながら去っていってしまった。わたしはその後ろ姿を眺めながら一言。
「何だったんだ……あの人は」
まぁ、本人が満足したのならいいか。なんて思いつつ私は例のおにぎり屋で1つおにぎりを買い、本格的に村の散策を始めた。
村入口付近のちょっとした広場を抜けると、すぐに年季のある木造家屋たちが目に飛び込んできた。家の周辺には人々が集まっており、彼らはお喋りを楽しんでいた。いわゆる、井戸端会議というものだろうか?
ふとその横を通ってみると、彼女らの視線が私へ向けられていることに気がついた。
「……何かご用でしょうか?」
「あぁ、違うのよ! ごめんなさいね? こんな田舎にお嬢ちゃんみたいな子が来るのが珍しくってねぇ」
一人のおばさんはバツが悪そうにそう言った。私は軽く会釈をしてその場を後にする。
「次こっち! パス!」
しばらく歩くと私の後ろからそうやって叫ぶ声とドタドタとした足音たちが聞こえてきた。振り返る前に、後ろから数人の子供達が私のことを追い越していく。
「ボール遊び?」
「うん!」
聞こえるようにと言ったつもりはなかったが、一人の少年がこちらを振り返り満面の笑みでそう言ってみせた。
彼らは大騒ぎをしながら、通りの角を右に曲がっていってしまった。別段、興味を惹かれた訳ではなかったが私もそれに
すると───
「あ、すごい……」
思わず私の口からはそんな声が漏れ出た。無理もない。そこには豊かな田園風景が広がっていたのだから。
まだ穂を実らせていない緑色の稲。それらが階段上に馴らされた田んぼに所狭しと植えられているのだ。目いっぱいに広がるその壮観な光景に、わたしの口はポッカリと開いてしまう。
その時、一陣の風が吹いた。すると稲はサワサワと音を立てながら一斉に揺れ動いた。田んぼの中で農作業をしていたお爺さんは、片手で麦わら帽子を押さえつけている。風に飛ばされないためだろう。
そんな田園風景から少しだけ視線を逸らしてみると、村を分断するように流れる川の存在に気がついた。幅が大きく、流れも緩やかそうな川だ。その河原には先ほどの少年たちが。相も変わらずボールを投げ合い遊んでいる。内一人の少年が川に向かって石を投げた。石は4つほど跳ね、少年はその事実を他の少年たちに大声で伝える……。
私は近くにあった木の下でおにぎりの包みを開いた。何かしらの植物の葉に包まれており、独特の香ばしさがある。この地方特有の
「あ、美味しいなコレ」
おにぎりを齧りながら私はそんな光景を見やっていた。きっと彼らにとってあんな光景は日常に過ぎなくて、特別でも何でもなくて、ありふれているのだろう。そう思うと、私の口元は思わず
ゆっくりと時間をかけ、おにぎりを食べ終えた。我ながら上出来なピクニックが出来たと思う。うん、満足した。
「……よし。そろそろ宿を訪ねに」
そう言って、私が腰を上げようとした時だった。
「わっ!」
そんな小さな悲鳴が聞こえたのだ。何事か? そう思う前にズザザーッと何かが私の前を滑っていってしまう。 ……“何か”というか、人なんだけれども。
巻き上がった
私は一瞬だけ
「ええっと、大丈───」
「あの!」
「ヒッ……」
ガバッと顔を上げ少女。どこの私か、喉からはそんな声が漏れ出た。しかし少女は気に
「わたしと似たオカッパで、私より小さくて、暗めの赤くてボロい感じの服着てて! 生意気な目をした男の子見ませんでしたか!?」
「え、いや……ちょっと待っ……」
「あ、申し遅れました! わたし、“セイ”と言いまして!」
「た、タイム!」
私がそう叫んで両手をバッと前に差し出すと、ようやく少女の口が止まった。
「この村では旅人を驚かすしきたりでもあるのだろうか……あぁ、いやこっちの話で」
「すみません、わたし一人で
女の子は申し訳なさそうに、私に頭を下げた。なんとか落ち着いてくれたらしい。私の心臓はうるさいままだけれど。
とはいえ、ここは(相対的に)大人の余裕を見せていく。
「いや、それはもう大丈夫だから。それよりもおでこ平気……?」
「え?」
少女の
「これくらいなら平気なので!」
ニッと笑う少女。私は一つため息を吐いた。全くほんと、落ち着く暇が微塵もない。
「……いいから。こっち座って」
とんとん、と私の真横を叩くと少女は一瞬迷ったようだが、最後には隣に座ってくれた。
「ちょっとだけ待ってね」
それを確認した私はスーツケースを横に倒し、その中身を開く。内ポケットのチャックを開け、消毒液とハンカチを取り出した。
「お姉さんは旅をしているんですか?」
振り向くと、少女が興味深そうにスーツケースを覗いていた。
「うん、そうだよ」
私は慣れた手つきでスーツケースを閉じ、横にズラす。
「すごい。わたしは村から出たこと全然なくて」
「そうなんだ。 ……おでこ、ちょっと染みるよ」
肩にぶら下げていた水筒の水でハンカチを濡らし、そこに消毒液を垂らす。揉み込んでからそれを少女の額に押し当てた。
「いたっ……」
「我慢してね。膿になると大変なんだから」
少女は大きくこくりと頷き、ハンカチを自身で押さえつけた。
「あの、ありがとうございます。旅人のお姉ちゃん」
「うん……いいよ、これくらいなら。あと私の名前は“カリュ”」
「カリュ……さん?」
「うん」
「えっと、カリュさん。改めてさっきはありがとうございました! わたしは」
「セイ」
「はい! ……え?」
「さっき自分で言ってたから」
「あ、そうだったでしたか」
にへへ、と笑いセイはポリポリと頬を掻いた。
…………。
「それで、男の子がどうしたの?」
「あ!」
私がそう言うと、少女はその場にバッと立ち上がる。
「そ、そうなんです! あの弟なんですけど!」
「うん。落ち着いて? 大丈夫だから」
「あぁ……はい」
これ以上暴走されても困る。私が手で制止すると、幸いにもセイはすぐ落ち着きを取り戻した。何か面倒ごと……もとい、事情があったのだろう。
「何かあったんだよね?」
「えっと、はい。その……実は弟が居なくなっちゃって。あの、ちょっとだけ長い話になるんですけど……」
チラチラとこちらの様子を伺うように見てくるセイの視線。
……まぁ、流石にかぶりを振る訳にもいかず。
「話してみて」
私が一つ頷くと、セイは一呼吸置いてから事の顛末を話し始めた。それは事情と言うよりはちょっとした事件。
「弟が見当たらないんです。名前は“キョウ”っていうんですけど、その……私たち喧嘩しちゃったんです」
きっかけは母親に贈るためのプレゼントの選定だったという。普段から口喧嘩が多い姉弟関係であったそうだが、今回に関しては特に白熱したらしい。
「だってキョウのやつ、母に花を贈ろうって言ったんですよ? 摘んできて渡すって。アクセサリーとかの方が絶対いいのに……」
……そんなこんなで話の続きを。やがてプレゼントを巡る話し合いは突掴み合いになり、殴り合いにまで発展したらしい。
「なんともまぁ、おてんばな」
目を細めながら私はちょっとだけ呆れた。
結局その争いに勝利したのはセイの方だった。キョウは泣き喚きながらどこかに行ってしまったのだという。
───以上。事件終わり。
「それからキョウ、全然帰ってこなくって……」
しゅん、と
「その、キョウ君と別れたのはいつくらいなのかな?」
「今日の朝です。起きてすぐの……それで、キョウのやつ昼ごはんの時間になっても全然帰ってこなくって」
「そっか……えっと、今って何時くらいか分かるかな?」
「集会所じゃないと時計って置いてなくって」
小さな村や街だと時計が一般に流通していないことは珍しいことじゃない。過去に訪れた場所では時計が1つもない集落だってあった。そう考えると、この村は幾分かマシと言えるだろう。
(ケチケチ言わずに懐中時計、買っとけばよかったか)
心の中で嘆いて、まぁそれで何かが変わるはずもないので気持ちを切り替える。案外こういうところはドライであると自負している。
「……まぁ、とりあえずは大体の時間でいっか。じゃあもう7時間くらいは家に帰っていないんだね」
「今までこんなことはなかったんです。キョウはお昼時には絶対家に戻ってくるし、母の様子を絶対に確認するんですよ!」
「様子?」
「その……病弱でいつもベッドの上なんです」
あぁ、なるほど。
「それでずっとキョウ君のこと、探していたんだね」
コクリとセイは頷いた。
「キョウが居そうなところ、全部周ったんです。でも全然いなくて……心当たりがある場所ももうなくて」
「それで私に声をかけた、と。 ……他の人にも探してもらっているよね?」
しかしながら、予想に反して、セイは首を横にふるふると振った。ぎこちなく。
「えっと、私はただの旅人だから、村の人たちに尋ねる方が心強いと思うんだけれども……」
「あの、その……」
急に歯切れが悪くなったセイに違和感を覚える。 ……何か聞けない事情があるのだろうか? 例えば、この子が村では良い待遇を受けていないとか。
───いや。根拠もない推測は止めよう。悪い癖だ。
幸いにも、私が言葉を選んでいるうちにセイの方が先に口を開いてくれた。
しかしながら、セイが発したのはよく分からない主張だった。
「村の人たちに話しちゃうと……すごく大袈裟になっちゃうから」
「大袈裟?」
「一瞬で話が広がっちゃって……母に心配をかけたくないんです」
「……?」
私は首を傾げた。
「えっと……例えば一人だけに話しても?」
私がそう問いかけるとセイは首を傾げながらも縦に振った。
「んん?」
やはり私はその事実が呑み込めないでいた。でもここで詰まっていたらキリがないような気がしたのが私の直感だ。無理矢理にでも話を進めなくては。
「でもキョウ君が帰ってこなくて心配なら、村の人たちには声をかけるべきだよ、絶対。万が一ってこともあるわけだし。もっと大人の力に頼らないと……」
私がそう提案すると、セイは遠くを見つめて考える素振りを見せ、
「……そう、ですよね」
と呟いた。何はともあれ賛同は得られたらしい。一方で私の中の疑問符は解消されないままだが。
「とにかくさ、ここで話し合っててもキリがないと思うから……。守衛さんのところに行ってみよう。村の外に出ているのが一番怖いことだと思うし。もしかしたら何か知ってるかもしれないから」
「……はい」
「行こ?」
私とセイは腰を上げ、村の入り口方向へと歩き始めた。私の右手にはスーツケースが、左手にはセイの手が握られている。セイの歩幅は小さいが、にしても歩くのが遅い。私は出来るだけその歩調に合わせた。
守衛さんに探してもらえば、事はそんなに大きくならず終わるだろう。なんてこの時の私は能天気にも思っていた。
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