第22話
机の上に、それからスープ、魚料理、口直しのソルベ、と順に料理が並んでいく間、わたしと茜ちゃんは他愛もない話をした。それこそ、わたしの務めている会社や、仕事について、尋ねられる番もあった。とはいえ、わたしの会社も、仕事も、そんな物語に富んだものではない。ただの大手洋服ブランドの、何とも説明のし難い部署なので、話がとても長くなってしまうのだ。おまけに、楽しくない。だからわたしは適当に話を切り上げ、代わりに茜ちゃんのことを訊いてみた。片や、二十台も半ばの社会人。片や、高校生の女の子。勿論学校に友達だっているのだろうし、それこそ今は夏休みだ。どこか遊びに言ったりはしないの。と尋ねると、茜ちゃんは、トマトのソルベを口元に運びながら答える。
「うーん、出かけるっていっても、そもそもわたし、外で遊んだり、そういうアウトドアなタイプじゃないんですよね」
スプーンを持つ手や、そこから伸びる腕を見てみると、なるほど確かに、この夏場にも肌は日焼けしている様子がない。
「あっ、でもお買い物とかは好きですよ? それこそ、服とか見るのはわたしも大好きです」
「いや、わたしもって、別にわたしは服とか、あんまり自分のは拘ったりしてないけどね?」
今日の服だって、適当にクローゼットの中から引っ張ってきたトップスに、ボトムスを合うように合わせただけだ。少なくとも、そんな風に服を見るのが好き、なんて言えない程度である。しかし、茜ちゃんはそんなわたしが、自分の服を手で持って見せると、それにも興味を惹かれたらしい。
すぐに目を輝かせ、にっこりと笑う。
「いやいや、、姫子さん、普段からお洒落じゃないですか! それに、今日持って帰ってきてくれた服も、見てみたんですけど、わたしのお気に入りの服ばっかりで、なんか嬉しかったです!」
手を合わせ、そういう茜ちゃん。その表情に、気を遣っている様子は感じられない。どうやら本当にうれしく思ってくれたらしい。それならわたしも、頑張って選んできた甲斐があったというものだ。しかし、本当に適当に、自分の感性のまにまに選んだだけだから、そんなに喜ばれると、反応に困ってしまう。
わたしは目の前のデザートグラスに、まだ少し残ったソルベを口に頬張る。すると、恥ずかしさで少し赤らんだ顔が、冷えていくのを感じた。
「お待たせしました。こちらメインディッシュの、ローストポークになります」
そういって、店員さんはこれまでに比べて、ひときわ大きなお皿に、豪快な盛り付けが施されたローストポークを、わたしと茜ちゃんの前に並べる。そのお肉は一切スライスされておらず、塊のまま、お皿の中央へ鎮座し、その周りにはハーブや野菜が、これまたごろごろとしている。しかし、そこに粗雑さは感じられない。むしろ、とても綺麗な盛り付けだ。
わたしは、その肉塊を目の前に、思わず待っていましたとばかりにナイフを入れる。そして、それから写真を撮っていないことに気付く。しかし幸いにも、前を見ると茜ちゃんは、しっかりとそれも写真に収めているところだった。
流石は現役の女子高生。まあ、わたしのご飯なんて、誰に見せるわけでもないけれど、それでも美味しそうで、綺麗な盛り付けのご飯は、ついついこうしてデータに残したくなってしまう。現代人の性だろうか。
「ねえ、茜ちゃん」
わたしは、撮影の角度に凝っている茜ちゃんに声をかける。すると茜ちゃんは、すぐに顔を上げた。それから、何故か謝る。
「えっ、あ、ごめんなさい、流石に撮り過ぎてましたか……?」
お行儀悪かったですかね。なんていって、少し落ち込んだ様子を呈する茜ちゃんに、わたしは首を横に振る。
「いや、いやいや、そんなことはないよ、心配しないで。……ただ、その、ごめん、一個お願いがあるんだけど……」
「お願い? なんですか?」
わたしは、茜ちゃんと合った視線を、自らの手元に移す。折角綺麗な盛り付けがされているところへ、真ん中に突き刺さるナイフへ。
「その……茜ちゃんの撮った写真、わたしに送ってほしくて……ああっ、別に今じゃなくていいよ。後でいいんだけど……ごめん、あんまりに美味しそうだったから、つい写真撮るの忘れちゃっててさ」
そういって、気恥ずかしさを噛み殺すように、わたしは苦笑いを浮かべる。そして茜ちゃんも、そんなわたしの手元へ視線を移し、にんまりと笑った。
「……なんか、アレですね、姫子さん」
「……アレ? アレってなに?」
「い、いや、その、ふふっ」
何故か唐突に笑い出す茜ちゃん。とはいえ、レストランの中はそれなりに静かなのを考慮してか、声は潜めている。だがその肩は、依然として震えていた。
「なっ、なに、気になるんだけど……えっ、ナイフとフォークの持ち方、反対……な訳ないよね?」
「あ、いえ、そうでは、なくてですね、んふっ、ただその……」
写真、取るの忘れるくらい、美味しそうに見えたんですね。そう言いきって、茜ちゃんはそれから、にんまりとした表情で笑い続けていた。
レストランを出たのは、メインディッシュを食べ、茜ちゃんお待ちかねのデザートに、二人で舌鼓を打ってからだったので、すっかり、夜の帳が町に落ちている頃だった。辺りはかなり暗くなり、しかし街灯が付き始めることで、むしろ明るくなる時間。
「そういえば」
お会計を済ませ、喫煙所で煙草に火をつけたわたしに、茜ちゃんはふと尋ねる。
「姫子さん、珍しいですね。今日はお酒、飲まない日なんですか?」
聞くと、レストランでご飯を食べている間、茜ちゃんはずっと、わたしがどうしていつも、ご飯と一緒に飲んでいるお酒を、今日は飲まないのか、不思議に思っていたらしい。
「いや、まあ飲酒運転になっちゃうから、飲めないっちゃあ飲めないんでしょうけど……。でも、歩いて行けないこともない距離なのに」
「ああ、なるほど」
確かに、お酒が飲みたいのだとしたら、歩いて来るなり、それこそタクシーを使う、なんて手段もあったのだろう。しかしわたしは、この後もどうしても車を使いたい用事があった。
「だって、茜ちゃんとこの後、行ってみたいところがあったからさ。だから、今日は我慢したの」
というか、わたしが毎日お酒を飲むと思っているらしい。まあ、間違いではないけれど、実際茜ちゃんがわたしの家に来てから、今日までの毎日、晩御飯やその後に、お酒を飲んでいるので、そう思われても仕方はないけれど。
なんだろう、ちょっと控えようかな。
「そう、そういえばそれも気になってたんですけど」
そこで少し嬉しそうな顔で、茜ちゃんは顔の前で手を合わせる。わたしは、煙草の吸殻を、スタンド灰皿に捨てた。
「行きたい場所? があるって言ってたじゃないですか。それって、どこなんですか?」
「あ、そっか、まだ言ってなかったね。いや、大した場所じゃないんだけどね?」
これは謙遜とかではなく、本当にそんな大した場所ではない。ただわたしの趣味というか、茜ちゃんを遊びに連れ出すのも、悪くないのではないかと思ったくらいである。
とはいえ、一応配慮はした。それこそ、茜ちゃんが出来る遊びというのは、普通の人に比べて、それなりに限定される。何せ片腕で出来る遊び、というのはあまり多くない。ボウリングだって、確かに投げるときは片手で出来るだろうし、高校生なら遊びの候補にも挙がるくらい、メジャーなスポーツではあるだろうが、しかしあの球を、女の子が片腕で持ち上げて、レーンまで持って歩く、そして投擲する。そう考えると、もしも落としてしまった時、ケガをしてしまう恐れがある。
その他にも、勿論色々と考えはしたのだが、大人しい遊びで、あまり身体を動かさず、それでいて片手で出来る遊び。よもやネットカフェでスロットを打たせるわけにもいかないし。そんなことを考えていた時、ふと、思いついた遊びが一つあった。
「茜ちゃん、ダーツってしたことある?」
わたしは、乗り込んだ車のエンジンを回しながら、隣の茜ちゃんに尋ねる。だが、茜ちゃんは小さく首を傾げた。
「ダーツ……いえ、したことはないですね。知ってはいるんですが」
あれですよね、なんか、投げる奴ですよね。そういって、その素振りをする茜ちゃん。わたしは頷いた。
「そう、それ。今日はあれをやりたいなーって思って、それで車を出してきたんだよ」
車を走らせながら、わたしはそう告げる。すると茜ちゃんは、さっそく食いついてきた。
「な、なるほど……それなら確かに、わたしでも出来そうですね。……でも、良いんですか?」
「何が?」
「いや、だって、わたしをそんな遊びに誘ったりしなくても、ほら、姫子さんも忙しいし……」
なんていうか、この子は本当に、歳不相応に人へ気を遣うところがある。わたしはそんなことを、思っていた。
そして気付けば、それを思わず口にしていた。
「茜ちゃん、駄目だよ」
「え?」
車のハンドルを、わたしは強く握った。思わず顔が険しくなるのを自分で感じる。だが、抗えない。脳裏には、今日会ったばかりか、より鮮明に、姉さんの顔が思い浮かんでいた。
「確かに、気を遣ってくれるのは嬉しいよ。心配してくれて、ありがとう。……でもね、わたしには、ううん、他の人にも。そんな風に、気を遣いすぎるのは、良くないよ」
赤信号で止まった車内で、わたしは茜ちゃんを見る。その表情は、怒られていると思っているのか、あまり明るいとは言えないものだった。しかし、ここで話をやめてはいけない。いくら、これから遊びに行くから、雰囲気を悪くしてはいけないと、思ってはいても、しかし言っておかないといけないことというのもある。その二つ、雰囲気と、今言いたいことを天秤にかけて、わたしは話し始めた。
「普段からお母さんに、そうやって相手のことを常に思いなさいって、言われてるの?」
怒っているわけではない。わたしはそう前置きしてから、茜ちゃんに尋ねてみた。すると茜ちゃんは、小さく目を反らして、それから首を横に振る。
「いえ、そういうわけでは……ないです」
一呼吸吐いて、続ける。
「でも、わたしは何もしなくても、相手に気を遣わせてしまうから」
目を反らした先に、わたしも視線をやる。茜ちゃんは、左腕を小さく持ち上げて、それを見ていた。
「みんな、気を遣ってくれるんです。学校の友達も、先生も、それこそ、姫子さんや、麦さんだって、気を遣ってくれてるし……」
言われてわたしは、そこで気づかされる。
人に気を遣わないでいいよ。そう茜ちゃんに思い、伝える一方で。
わたしの方が、何かと気を遣っていることに。
「も、勿論、ありがたいと思ってますっ、だって、わたし一人じゃ出来ないことだってあるし、それに、お母さんに、一人で何でもできるようになりなさいって言われてる、その意味もわかります。きっと、わたし自身が、人に気を遣われることが、あんまり好きじゃないから、だからお母さんも……」
わたし。
昔、お母さんに行ったことがあるんです。
茜ちゃんは、再び走り出した車内で、それからゆっくりと話してくれた。
過去のことを。
「お母さんに、昔言ったことがあるんです。みんな、わたしを心配してくれるけど、でも、それが申し訳ないっていうか、心苦しいっていうか……嫌って程じゃないですけど……ううん、ごめんなさい。本当は、嫌なんです。わたしだって、頑張ればみんなみたいに出来ることもあるだろうし、頑張りたいって思ってるんです。だから、それをお母さんに伝えました。そしたら、じゃあ自分で出来ることは、なんでも自分でしないと。そうじゃないと、周りの人はアンタを心配するからって、お母さんに言われて……」
わたしが、一人で何でもしたいって、思ってるんです。茜ちゃんは、最後には眉を顰め、けれど固く決心したような表情で、そう締めくくった。
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