第20話

「すみません、ありがとうございます……!」

 目の前に並べられた服を前に、茜ちゃんは改めて、わたしにお礼の言葉を述べた。

 夕方前。

 家に帰ってきたわたしは、家から持って帰ってきた衣類を、茜ちゃんに検めてもらって、これで足りるか、そして、持って帰ってくる服とかが、果たして本当にこれで良かったのか、訊いてみた。だが、茜ちゃんの反応は予想以上に好ましく、感激している様子だったので、わたしはそっと胸を撫で下した。

「でも本当にすみません、まさか、靴まで持ってきて貰えるなんて……大変だったんじゃないですか?」

 そういって労ってくれる茜ちゃん。しかし、その笑顔を見ると、それまでの疲れなんて、すぐに吹き飛んでしまうほどだ。と同時に、多少の罪悪感が沸き上がる。その正体は勿論、茜ちゃんの母親である、姉さんと、お互いに手を出すほどの喧嘩をしてしまったことに由来する。

 わたしは、こちらを心配するような茜ちゃんから視線を外すように、床に並べられた服たちを纏めにかかる。

「いやいや、そんなに大したことじゃないよ。姉さん――茜ちゃんのお母さんも、手伝ってくれたし」

 そういって、服に手をあっけるわたし。しかし、茜ちゃんの驚いた様子の声に、ふと手が止まる。

「え、お母さんが……手伝ってくれたんですか」

 まるで姉さんが、何か手を差し伸べることがとても珍しい、とでも言いたげなその口ぶり。それに彼女自身も気付いたのだろう。すぐに誤魔化すようなことを口にする。

「あっ、いや、これだけの量、一人で運べませんもんね。本当に、ありがとうございます」

 お母さん。

 茜ちゃんのお母さんは、一体。

 一人で運べない量の荷物なら、手伝ってくれなかったの。

 普通の人が、両手で持てる量なら、手伝ってくれないの?

 茜ちゃんは、片腕しかないのに。

 そんな言葉をわたしは呑み込むと、険しくなる顔を必死に和らげた。

「まあ、茜ちゃんの荷物だからね。きっと、お母さんも、思うところがあったんじゃない?」

「そう、なんですかね」

 お母さん、わたしのことを愛しているからこそ、何でも一人でって、普段から言ってたんですかね。

 抑えきれなくなったのか、そんなことを愚痴交じりにいう彼女。私はそれに対して、きっとそうだよ、茜ちゃんのことが大切だからこそ、何でも一人で出来るように、育てようとしてるんだよ。

 なんて。

 そんな残酷なことは、とても言えなかった。

 しばらく、沈黙した部屋の中、わたしと茜ちゃんは、並べられた服を見つめる。

 だが、いつまでもそうしていられない。それこそ、いつまでもここに並べておくわけにはいかないのだ。

 わたしは茜ちゃんが来たその日に開けておいたタンスの中に、その服たちを仕舞うべく、立ち上がる。

「ま、そしたら服はこれでオッケーみたいだし、仕舞っておくね」

 そういうと、茜ちゃんもわたしに追随するように立ち上がる。

「あっ、じゃあわたしも手伝います――というか、わたしの服ですから、わたしがやりますよ」

「いやいや、流石に手伝わせてよ。茜ちゃん、今日も掃除してくれたんでしょ?」

 そういって、顔を伺う。その顔には、若干の疲れが見えていた。

「絶対に、一人でやるより、二人でやった方が早いしさ」

「で、でも……」

 そうやって食い下がる茜ちゃん。わたしはそこで、殺し文句を使う。きっとこうでも言わないと、この子はわたしに手伝わせることを良しとしないから。

「それとも、わたしに服、触られるの、嫌かな……」

 そういって少し落ち込んだ様子を見せる。すると効果覿面。茜ちゃんは、慌ててそれを否定した。

「いやいや、そんなこと無いです! 姫子さんには、普段からお世話になってるし、申し訳ないなって思ったから、断っただけで!」

 目を瞑り、顔を左右に振る茜ちゃん。わたしはすかさず続ける。

「良かった。てっきり嫌なのかなって思って。……そしたら手伝ってもいいよね?」

「……ズルいですよ、姫子さん」

 そういって頬を膨らませる茜ちゃんの頭に、わたしは手を置く。そして数度撫でる。

「大人はみんなズルいんだよ。茜ちゃんも、大人になったらわかるよ。……ほら、片づけよ」

「……はい、わかりました!」

 初めは口を尖らせて、不満そうにしていた茜ちゃんも、ようやく諦めてくれたらしい。小さく微笑むと、その場に座り込んで、衣類をまとめ始める。

 しかしそれにしても、かなりの量の服だ。わたしはひとまず、上下の服に取り掛かり、茜ちゃんには、下着をお願いした。それこそ、いくら同性、いくら親戚とはいえ、流石に下着をおいそれと、不必要に触るのは、流石にわたしでも気が引ける。いや、そんなことを言い出したら、どれを持って帰るか見繕っている間、べたべたと触りはしたけれど。

 流石に、本人を目の前にして触る勇気は、わたしにはなかった。それに、茜ちゃんだってそれは流石に嫌だろうから。

 結局、その服を二人で仕舞い終える頃には、すっかり夕方になっていた。その理由としてもう一つ上げられるのは、思ったより彼女の服が嵩張ったせいで、わたしの服を一部、クローゼットの中に、ハンガーへかけて移し替えるという作業が追加されたのもあるが。

 ともかく夕方である。つまり夕食時。

 そして、茜ちゃんと二人で作業に取り掛かっていたこともあって、夕食の準備が出来ていないことに、全て終わって一段落ついて、ソファで休んでいる茜ちゃんの元へ、お茶を持って行った段階で気付いた。

「……晩御飯、どうしよっか」

「……わたしも今、丁度考えてました」

 隣に腰を下ろしながら、わたしは隣に座って、流石に疲れた様子の茜ちゃんを見る。こういう洋服の収納というのは、存外疲れるのだ。それこそ、片腕で器用に洋服を畳んでいたとはいえ、それでも単純計算で、わたしの半分しか力のない茜ちゃんのことだ。かなり頑張ってはいたが、それでも疲労はしているに違いない。

 わたしは改めて、茜ちゃんと夕食について話し合うことにした。

「どうしよ、それこそわたし一人だったら、コンビニで適当にお弁当でも買うんだけど……最近、自炊始めたばっかりで、またコンビニってのもね」

「え、いや、わたしはなんでもいいですけど……コンビニ以外だったら、何かありますか?」

 そういって小首を傾げる茜ちゃんに、わたしは考えていた案を提示する。

「うん、折角だからさ、たまには外食でも、どうかなって思って」

 これでも、わたしの家の近くはそれなりに都会というか、コンビニや駅だって、それなりに近くにある。それに居酒屋なんかも。だから、この数日間、食事を作ってくれている茜ちゃんを労う意味も込めて、そう提案した。まあ、勿論というべきか、茜ちゃんは断るようなことを言っていたが、しかし高校生。外食がなにも嫌いなわけではない。

 そして決め手はやはり、洋服についての言及だった。

「折角、かわいい服持ってきたんだからさ、二人でお洒落して、ご飯行きたいなーって思ったりしたんだけど……駄目かな?」

 果たして。茜ちゃんは、それならお言葉に甘えさせていただきます。なんて、大人みたいな返事をして、それから支度を始めた。その足取りの軽さからして、内心ではかなりうきうきしているのだろう。わたしも、そんな彼女の様子を見て、一安心していた。

 最近、わたしが知っている限りにおいて、彼女はあまり外に出ていない。まあそれが元々の性格、つまりインドア派なのか、あるいは義手がないことで、見栄えが気になるのか、それは分からないけれど、しかしせっかく、こうして夏休み中だ。あまり、この年の子が、平日も休日も家で勉強漬け、それから家事に没頭というのも、健康的ではあるまい。折角だから、近くで外食でもして、それからどこか、気分転換の出来るところにでも連れて行ってあげようか。そんなことを考えて、わたしも用意に取り掛かる。

 とはいえ、用意するとはいっても、大したことはない。それこそ化粧を直して、カバンの中にモバイルバッテリーとか、そういうちょっとしたお出かけ用の小物と財布を入れて、服も今日出かけた時の服装のままだから、これで構わないし。

 一方、茜ちゃんはどうも服選びに難航しているらしい。先ほどから、荷物を肩掛けカバンの中に詰め込んでいるわたしの隣で、タンスの引き出しを開けて眺めながら、うんうんと唸っている。だがその横顔は、久しぶりのお出かけということもあってか、少し柔らかくなっている気がした。

 まあ、この子も別に一人で外出が出来ないわけではないし、そんな歳でもないから、出かけたくなったら一人で勝手に出かけはするだろうが、しかしこうして、喜んでくれているところをみると、こっちまで嬉しくなる。ただでさえ、今日は姉さんと、つまりこの子の母親と喧嘩をしてしまったことが、心苦しいのだ。

「……姫子さん」

「ん、どうしたの?」

 わたしは荷物を脇に寄せ、視線を向ける。すると茜ちゃんは、片手に抱えた服を二つ、わたしの前に並べる。

「この服、なんですけど……どっちがいいですかね?」

 そういって、悩んだ表情を浮かべる。

「姫子さんって、確かお仕事、ファッション系の、お仕事ですよね? だから、教えてほしくて……」

「……」

 言えない。わたしの部署が、服のデザインなどではなく、むしろ販売戦略側の部署だなんて。

 とはいえ、折角頼ってくれているのだ。この五日間で、二回目。明らかに少なすぎるが、だからこそ、この子に頼られたときは、最大限、出来る限り力になってあげないと。わたしはそう思い、自分を鼓舞した。

 頑張れ姫子。

「……そ、そうね……」

 言いながら服をそれぞれ、改めて床に広げる。そして、ついでに茜ちゃんの表情を見た。

 人に何か、二択を迫るとき。特にそれが、アドバイスとしての二択である場合、ほとんどの人は、自分の中での答えは決まっている。要はその後押しをしてほしいだけなのだ。そして、それは無意識のうちに誰でもやってしまうから、仕方がない。

 わたしは慎重に、服よりもむしろ茜ちゃんの視線の先などから、その内部で決まっている答えを探るべく、様子を伺う。だが、同時に服についても考える。

 一つは、トップスがオレンジ色のチェック柄が入った、薄手のワイシャツ。インナーには、丈の短いキャミソール状の下着をつけるのだろうか。そしてボトムは、デニム地のダメージショートパンツ。

 もう一つは、トップスはゆったりとした、紺色のパーカーに、インナーは黒色のシンプルなデザインの、シャーリングキャミソール。ボトムは、こちらもチェック柄で、一つ目のよりも少しゆったりとしたサイズ感の、ショートパンツ。

 どちらも甲乙つけがたい。というか。

 正直に言わせてもらって。

 シルエットが似通ってるから、そもそもどっちでもいい気がする。

 そんな女なのに女心の分かっていないことを、わたしは胸の内で思うだけにして、必死に抑え込んだ。増してや、仮にも洋服にまつわる会社で働いているというのに。

 下手な会議とかプレゼンよりも、断然緊張してきた。

「茜ちゃんは……ちなみに、どっちがいいと思うの?」

 その緊張のせいだろうか。わたしはもう、取り繕うことをやめ、それよりも結果を重視した方向へ、シフトした。

 具体的には、もう茜ちゃんの内心で選んでいる服を、聞かずとも言い当てるなんて、そんなコールドリーディングじみたことは諦める。そして、意見を聞いたうえで、その服を、とにかくお勧めする。

 いわゆる、お客様、お目が高いですね商法だ。

 ごめんね、茜ちゃん。

 わたし、店頭で服を販売してたの、もう数年前だからさ。

 あの頃の勘なんて、鈍っちゃってるから。

 というか、誰から聞いたの。わたしの仕事について。

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