第642話、婚約相手について


 ウィリディス食堂のVIP席。俺の向かいに座るエクリーンさんは、ほっと息をついた。


「大変有意義なティータイムでしたわ」

「すみません。せっかくの紅茶だったのに、戦争の話など、無粋でしたね」


 苦笑する俺だが、エクリーンさんは考え深げに手を組んで、その青い瞳を向けた。


「いいえ。わたくし、そういう話は好きですわ。むしろ、したくてたまらないの。けれど、女だからと、まともに話をしてくださる殿方がいらっしゃらなくて……」


 あー、そう言われれば、そうかもしれない。女性騎士や冒険者、戦う女性はいても、この手の分野は男社会。さらにエクリーンさんは、貴族令嬢だから、戦場の話など周りが積極的にふる話題ではない。


 俺も、彼女がそう言うまで、つい話し込んでしまった内容について、やってしまったかなと思っていたくらいだ。


「そういうことなら、ジャルジー公と話が合うかもしれませんね」

「何故そこで公爵閣下の名前で出てくるのかしら……?」


 底冷えするようなプレッシャー。エクリーンさんは笑っているのだが、かなり圧のこもった視線を向けられる。

 何やら地雷を踏んだ気配。しかし俺はそれをおくびにも出さず、淡々と言った。


「何故って、彼も戦争や武器の話が好きなので」

「……」

「不快でしたか? ……婚約者の話は」


 エクリーンさんは諦めたように小さく肩をすくめた。


 アンバンサー戦役のあと、エクリーンさんの婚約話に新たな動きが出た。

 婚約者となっていたフレッサー領のゾル・フレッサーはアンバンサーとの戦いで戦死した。結果、フレッサー伯爵家との婚約は自然解消された格好になった。


 父ジョゼフは、娘の次のお相手を探すのだが、ちょうどおあつらえ向きに、エクリーンさんに熱視線を送る男が現れた。


 そう、ジャルジーである。王族に続く身分である公爵にして、次の国王が内定している人物だ。

 彼はまだ未婚であり、妃となるべき異性を探していた。そしてクレニエール侯爵のような貴族が、この機会を見逃すはずがなかった。


 ジョゼフは、ジャルジーにさりげなく娘を売り込んだ。

 本当なら申し出側の思惑やらを考えて、それなりに駆け引きをするものなのだが、ジャルジーは実にあっさりと応じた。それだけ、エクリーンさんに対する一目ぼれが、盲目的なまでに彼の中で大きくなっていたのだろう。


 かくてトントン拍子に、ジャルジーとエクリーンさんの婚約話はまとまった。

 ただ世間的に、アンバンサー戦役の直後であったのと、フレッサー家との婚約が流れたばかりだから、発表は少し先になるが。


 というわけで、エクリーンさんが、ウィリディスに住むようになったのも、婚約が影響していたりする。

 いきなりケーニゲン領に押しかけるのは体面もあってよろしくない。しかし父ジョゼフとしては、ジャルジーとエクリーンさんに親睦を深めてもらいたい。


 その結果が、エクリーンさんのウィリディスへのお引っ越しである。ジャルジーはポータル経由で、ほぼ毎日ウィリディスに来ているので都合がいい、ということだ。


 と、父親は婚約話を進めたわけだが、当人であるエクリーンさんがどう思っているかは別問題ということなのだろう。


「ジャルジー公はお嫌いですか?」

「好きか嫌いかで言えば、あまり好ましくはありませんわね」


 すました顔で、エクリーンさんは目を伏せる。


「ただ、その感情の出所は、我らがアーリィー様を侮辱し、わたくしたちの母校を軽んじられたから――」


 アクティス魔法騎士学校をジャルジーが訪問した時か。あの場には俺もいたが、当時のジャルジーはアーリィー絡みだと相当こじらせていたからな……。生徒はもちろん、教官たちも、公爵の言動にかなり苛立たしい感情を抱いたことだろう。


「そう、アーリィー様の件を除けば、それ以外は些細ささいな理由ですわね」

「今はジャルジーとアーリィーの仲はいいですよ」

「そのようですわね。かつては王位継承権の関係上対立していたのが、今はそれも解消されましたからね」


 アーリィーが継承権から脱落することによって。幸いなのは、彼女が王位を欲していなかったことだろう。そうでなければ、二人がこれほど穏やかな関係になることもなかった。


「勇敢だけど荒々しい……。彼はそういう評判だったのだけれど」


 エクリーンさんが、うーんと考え深げに小首をかしげた。


「ここに来て、意外な面を見ましたわ。大の甘味好きで、わざわざお菓子を食べに、ここの食堂に通っているなんて」

「意外、ですか?」

「だって猛将と謳われる武闘派の公爵が、ケーキやアイスクリームを食べに自ら足を運ぶのよ? 持って来い、ではなく、ね。想像できるかしら?」

「可愛いですね」

「ええ、とても」


 ふふ、とエクリーンさんは笑った。


「彼、わたくしに気に入られようとしているみたい。もっとオレ様気質かと思っていたのに」

「本気で好きになったのでしょう。惚れっぽい性格のようですが」

「一時の気の迷いではないことを祈りたいですわね」


 笑みは絶やさないが、どこか遠くを見るような目だった。


「まあ、わたくしに選り好みをする贅沢なんて、初めからないのだけれど……。彼は、恋愛をしているのですわ。少し、羨ましい」


 ジャルジーは惚れた、で済んでいるが、エクリーンさんにとっては親の決めたお見合いだからな。……だが外見も含めて、優良物件ではある。


「そう、性格はさておけば、婚約相手としてこれほど恵まれている殿方も早々いない。彼は次期国王。その妃なんて、なろうと思ってなれるものでもないですわ。人はツイている、というのでしょうけれど……。わたくしの感覚がおかしいのかしら?」

「果たして、王の妃になることが幸運かどうかは、それぞれでしょう……」


 俺は薄く笑みを浮かべた。


「権力や政治に興味がなければ、魅力は感じないかもしれませんね」

「お飾りでいろ、と、女にそういうのを求めている殿方も多いですわ」


 エクリーンさんは自嘲めいた笑みをこぼした。


「とくに貴族にはね」


 いまは亡きトレーム領の次期当主とかな。サキリスが相当腹を立てていたが。


「それにこのタイミングで王族に加わるのはどうかとも思っていたのだけれど……」

「というと?」

「大帝国ですわ」


 エクリーンさんは、じっと俺を見つめた。


「王族に加われば、かの国の侵略を受けた場合、十中八九、わたくしは処刑されてしまいますわ。それが近いうちに起こるかもしれないとなれば、躊躇いもするでしょう?」

「……」

「もっとも、今、この王国には貴方がいる」


 彼女は静かに微笑んだ。


「守ってくださいますわよね? わたくしたちを」

「……私に誠実に接していただけるのならば」


 裏切られるのはごめんである。

 それに、大帝国に負けて処刑されてしまうだろう人間には、愛するアーリィーも含まれているだろう。さすがにそれは、俺としても避けたい。


 だから、本気でやらせていただく。ただし、あとで面倒事になるだろう種は、極力減らす方向で。

 面倒事なのは、不可避だからね……。

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