第629話、エリサとリーレ


 日が沈み、闇が押し寄せる。寒冷な冬の夜。ウィリディス軍野戦陣地には、アンバンサー拠点から生還した民間人たちがいた。

 ひとり一つずつの毛布と、冷気対策のヒーターを与え、凍死するようなことがないようにしつつ、大テントを張って休めるようにしている。


 ウィリディスメイドたちが炊き出しを行い、多くはないが、温かなスープとふかふかのパンが全員に行き渡る。


「うめぇ、うめぇ……!」

「温まるわ――」


 生きている。そのことを温かな食事がより実感を深める。ある若者は涙を流しながらスープを飲み、ある者は笑みを浮かべながら柔らかなパンを頬ばっている。


「こんなウマいもん、初めてだ……!」

「ありがたい。神様っているんだなぁ」


 穏やかな空気が流れる。


「これで酒があれば――」

「バカ、贅沢言うでねぇ」


 洒落た町の男が、貧相な農民男にたしなめられている。誰もが薄汚れ、疲れていた。だがその顔に幾ばくかの生気が戻ってきていた。


「普通のスープなんだけど、なんでこんな味が染みてるんだろ……?」

「このうぃりでぃす、とかいう領地、聞いたことないけど、こんな旨いもの普段から食べてるのかねぇ」


 うーん、と聞いていた者たちは一様に難しい表情になる。当然だ。誰もウィリディスと言う名は初めてだったから。


「なんにしても助かった。バケモンの巣から、ここまであっという間だったもんな。ぽ、ぽーたる、言うんか?」

「転送魔法とかって話だけど、そんな凄え魔法、本当にあるんだなぁ……」

「うん、とんでもなく凄い魔法使い様がおられるんだな」

「おいらよ、さっきぺっぴんのメイドさんに聞いたんだけどよ……」


 童顔の男が言った。


「ウィリディスの領主様は、賢者だってさ。ポータルってのも、その方の魔法らしい」

「おおっ……」

「賢者様」


 周囲から驚きの声があがる。


「賢者様に感謝だー」


 それに対して同意がさざなみのように広がっていった。


 ふと、近くをひとりの女性が通過していくのに何人かが気づいた。


 魔法使いを連想させる三角帽子をかぶった緑髪の美女。その妖艶な美貌を自然と振りまいていた彼女は、視線に気づくと魔女から一転、天使もかくやの微笑みを浮かべて、手を振った。男たちはたちまち棒立ちになり、彼女の姿を見送った。


「あ、あの美人も、うぃりでぃすの人かな……?」

「えらいべっぴんさん、やったなぁ……」



  ・  ・  ・



「こんばんは、リーレ」

「……んだよ、あらたまって」


 リーレは酒瓶を片手に、陣地の端から、アンバンサー拠点のある方向を見ていた。ブロック塀に座り、酒をくらう。

 やってきたエリサもまた、酒瓶を持っていた。


「お疲れ様。荒れてるって聞いて、お友達が駆けつけたわよ」

「医者は呼んでねぇーぞ」

「だから、お友達が来たんでしょ?」


 へっ、とリーレは唇の端を歪めた。持っていた瓶をひっくり返すが、もう一滴も酒は残ってなかった。

 すると、エリサが新たな酒瓶を差し出した。


「はい」

「どうも」


 おかわりを受け取り、リーレは瓶に口をつける。ゴクゴクと流し込んで、喉を焼く。


「……すごい飲みっぷりね」

「ぷはっ。……残念ながらちっとも酔えない体質だけどな」


 酔いたいよ、と、褐色肌の女戦士は呟いた。


「……愚痴ってもいいか?」

「あたしとあなたの仲でしょ」


 ブロック塀をよじ登るエリサ。隣に座る彼女の、その豊かな胸が、リーレの前をよぎり、思わず自身の控えめな胸に目を向けた。……うーん。


「それで、何があったの?」


 エリサが問う。リーレは視線を元に戻した。


「ちょっとした古傷が疼いちまったのさ。アンバンサーの連中が、人間を玩具にしてるって話は聞いただろ?」


 アンバンサー拠点に行った潜入部隊の顛末てんまつは、エリサも聞いていた。人間の魔力を吸い取る装置に、処分場。他に人間を改造する設備があるだろうことを聞いて、自分の体験を思い出し眉をひそめたけれども。


「あぁ、そういえば、あなたも向こうの世界にいた頃、身体を弄くられたんだっけ」


 付き合いは短いが、共通点があるエリサとリーレは仲がいい。大帝国のキメラ・プロジェクトの犠牲者として半サキュバスにされてしまったエリサ。

 そして魔獣戦士であるリーレは、この世界に召喚される前の世界で、人体改造を経験していた。


「ま、弄くられたのは前の身体だけどな。いまの身体は別だ」


 リーレは自嘲した。


「いまのこの身体は、元は死刑囚の身体なんだってさ。いや、そのことを恨んではいねえよ? 魂が抜けた直後の身体なら何でもよかったんだ。むしろ、どこぞの善人を殺してどうこうした身体じゃないのは感謝すべきだろうな」

「なかなかエキゾチックで、その身体も素敵よ、リーレ」

「どうも。……ま、身体は替わっても、前の記憶は残ってるからな。そっちが問題だ。前の身体は、化け物戦士を作るって計画でさんざん弄くられたからな……。孤児だったあたしは、その被検体にされちまった。……誰も助けてくれなかった」


 まさに、エリサの時と同じだ。リーレの場合は、不死身の戦士を作るというコンセプトのもと、苛烈な人体実験と強化が施された。軽くトラウマ。


「だからさ、アンバンサーのツギハギ兵士とかさ、魔力と生命力を搾り取った後の死体を処分するとか、あたしの古傷を抉ってくるわけよ」


 力なく項垂れる。酒に酔えない体質だが、吐く息はかなりアルコール臭かった。


「いや、別にさ、似たようなことがあったってだけで、この世界の、ましてアンバンサーとは何の関係もねえし、因縁もねえよ? ただ――」

「腹がたった。そうでしょ?」

「……そういうこったな」


 リーレは天を見上げる。曇り空に、月は見えなかった。


「そうさ、あたしが勝手にムカついてるだけさ。たったそれだけのことさ」

「ええ、愚痴りたかっただけ。でも、それで少しは気持ちが軽くなることもあるわ」


 エリサは温和な笑みを浮かべて、半魔獣の友人を見た。


「人間だもの。自分の言動すべてに意味があるわけじゃないわ」

「面と向かって無意味って言われるのもどうかと思うけどな」


 これには苦笑するしかないリーレである。


「て言うか、そもそもあたしらって人間ってくくりでいいのか?」

「いいんじゃない? 元は人間なんだから、間違ってないし」

「……ま、そうかもしれない」


 魔獣戦士と半サキュバスは、夜遅くまで語り合った。

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