第477話、俺氏、ボナ商会に行く


「いまは、あのサキュバスに近づかないほうがいい」


 聖騎士ルインは、その涼やかながら、きりりとした表情で俺に言った。


「いま魔術師たちが彼女を押さえ込み、拘束を強化している。外見は女だが、先ほど暴れた時に、騎士が軽く吹き飛ばされた」 

「暴れたんですか、彼女?」

「人間の姿から突然、悪魔の姿になったらしいのだが、その時、ちょっとした錯乱状態になったみたいでな。私もその時に呼ばれたんだが……何とか取り押さえた」


 ルインは眉をひそめた。


「悪魔の姿になっても、美しい女の姿だった。魔術師いわく、どうやら魅了チャームの魔眼を持っているようで、目隠しをつけさせているが、今は近づくのは危険だ」


 サキュバスだもんな。つまるところ、今のところ、落ち着くまでは面会謝絶ということだろう。


 結局、俺たちはそれ以上留まることなく立ち去った。少なくとも、今は本人からお話を聞けるどころではないらしいからだ。


「グリグと、アウラ・ボナのことを聞こうと思ったんだけどな」


 俺が呟けば、グリムは言った。


「もし、エリサさんが言っていたとおり、アウラ・ボナがグリグに関わっているなら、薬物問題は何も解決していないことになりますもんね」

「エリサがサキュバスだった事実はさておき、グリグに関しては冤罪となると、面白くない展開だからな」


 嫌だぞ、知り合いが無実の罪で死刑になるのって。今のところ、淫魔で、禁止薬物密売となれば、エリサの極刑は免れないだろう。


「冒険者ギルドとしては、グリグが拡散するのは阻止したい。薬のせいで、冒険者のイメージが下がっているとギルマスが感じているようだからな。犯人を捕まえろ、と言われれば喜んで協力するだろうよ」


「そうですか。そうなると、アウラ・ボナを調べたりするんですか……?」

「まあ、そうなるな」


 エリサがグリグ密造の犯人と確信できない以上、疑わしいものは調べないとね。


「グリム君、君は忙しいかい? もし時間があるなら少し付き合ってもらいたいんだが」

「少しならいいですけど……」

「君はボナ商会の場所を知っているか? これからちょっと足を伸ばそうと思うんだが」

「あぁ、そういうことなら。ええ、場所は知ってます。案内しますよ」

「ありがたい」


 と、いうわけで、俺たちは王都を行く。


 いつもと変わらない王都の光景。何気なく行き交う人の中に、どれくらいグリグが浸透しんとうしているのやら。そう考えると、薄ら寒いものを感じる。


『なあ、ジンよ。ボナ商会に行くって言うけどよ』


 ベルさんが、魔力念話で俺に呼びかけた。


『表から行っても、グリグの影なんて見えないと思うぜ?』

『そりゃ、禁止薬物の類を表には出していないだろうね。ただ、個人的にアウラ・ボナに会ってみたいと思ってさ』

『ほほぅ。会ってどうするんだ?』

『さあね。まだ確証もないし、本格調査の下調べというやつかな』

『なるほどねぇ』


 ベルさんはそれで察したようだった。


 やがて、俺たちは、目的のボナ商会の建物に到着した。


 白く塗られた壁、でかく堂々とボナ商会と書かれた看板、一般的な店に比べて大きいその店舗は、周囲の建物に比べても目立っていた。ちょっとした屋敷だな。


 入り口脇には屈強な警備が立っている。客の出入りがそこそこ多く、なかなか賑わっているようだ。


 さっそく入店。


「あれ、ジンさん?」


 冒険者のルングに声をかけられた。どうやらここで買い物をしていたらしい。


「やあ、ルング君。何か買ったのか?」

「ポーションとマジックポーションですね。これからオレらのパーティー、ダンジョン行くんで」


 カバンに詰め込んだポーションの瓶の頭が隙間から覗いている。パーティー分なら数が多いのも納得。


「君はここを結構、利用しているのか?」

「ええ。ここポーションが他に比べて安いんですよ」


 あー、基本となる回復薬が安く買えるのは初心者冒険者たちにとってもありがたい。ルング自体はもう初心者ではないが、ポーションが安く調達できるのはいいことだ。


「ちなみに、そのポーション、よく効くのかい?」

「うーん、普通だと思いますよ。あ、でも味は悪くないっス」

「味?」


 ポーションといえば、いちおう薬である。良薬は口に苦しといって、お世辞にも美味しいものではない。水で薄めているとはいえ、薬草臭さが抜けないのだ。


「癖があるんですけど、ここのを飲むと普通のポーションが、不味く感じるようになるんですよ」

「何か味がついているのかね」


 薬効とは関係ない、飲みやすさを重視して味を変えているとか。不味くないポーションというだけで、需要はあるんじゃないかな。


『なあ、ジンよ。ひょっとして例のグリグとか、ちょっと混じったりしねえこれ?』


 ベルさんが指摘した。中毒性のある薬物を少し混ぜて、少しずつ使用者を汚染していく。本人は知らず知らずのうちに、そのポーションを好んで常用するようになる、と。


『グリグに関係あるかも、と疑った時点でそういう見方もできるけど』


 俺は決め付けるのを避けた。


『ただ一般商品に、グリグを混ぜるのはバレたときのリスクが大きいじゃないか? グリグではなく、他の何かが混ざっていて、リピーターを増やして別の――つまり本命となる品を用意するとか』


 とはいえ。


『本当に、混ざっていたりすることもあるかもな。どれ、調査用に買っていくか』


 ルング君にお礼を言って別れた後、俺はポーションの置いてある台に行き、一本手に取る。……見た目は普通のポーションだな、うん。


「ねえ、ジンさん」


 グリムが俺に近づいて囁くような声で言った。どうした、と視線を向ければ、そういえば客たちの視線が、こちらに集中しているように見えた。


「あれ、ペット入店禁止だったかな?」

『それ、オレ様のことだったら蹴るぞ』

『だとしても、俺のせいじゃないよ』


 念話で返しつつ、しかしベルさんへの注目はなかった。ざわつく客たちの声に耳をすませば、どうやらSランク冒険者の俺が店にきていることが原因のようだった。


 武術大会では騎士格好だが、冒険者たちはふだんの俺が魔術師なのは知っているし、それなりに名が売れてるから、こういう店に来ると自ずと注目が集まってしまうようだった。


 とか思っていたら、店員の一人が、こちらへやってきた。中年だが、こざっぱりしていて身なりもきちんとしている。


「ご来店ありがとうございます、お客様。失礼ですが、冒険者のジン・トキトモ様でしょうか?」


 物腰が低い店員さん。そうです、と頷けば。


「かのSランク冒険者にして英雄であるジン・トキトモ様にお越しいただけて光栄の極み。もしよろしければ、店内をご案内いたしますが」

「ああ、それはありがたい。なにぶん、私もここは初めてで」


 営業スマイル。英雄は愛想を振りまいてナンボである。……だから人の多い大きな店はあまり行きたくないんだ。


「それと、時間がございましたら、店主である、アウラ・ボナがジン様とお話したいと申しているのですが……」


 恐る恐るという感じで、中年店員さんは頭を下げた。


 ボスとご対面! 会えたら儲けものと思っていたら、まさか向こうから声をかけてくれるとは。


 この時ばかりはSランク冒険者という知名度に感謝だな。

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