第465話、魔術師ダスカ・ロス


「そういえば、師匠がこっちへ来るってね」


 ラスィアがそう言うのを聞いて、ユナ・ヴェンダートは首を傾げた。


 同門の魔術師であるラスィアがいう「師匠」とは、ユナの現在のお師匠であるジン・トキトモのことではない。


 ダークエルフの魔術師は「貴女のところにも手紙届いたでしょ?」と確認するように言った。


 手紙なんて届いていたか? ユナは考える。はっきり言えば興味がなかった。だから手紙が届いているかもしれないし届いていないかもしれない。  


「さあ?」

「……貴女、少しは身の回りのことに気を使ったほうがいいわよ?」


 お姉さんぶってラスィアは言うのである。年齢でははるかに上である彼女が保護者じみた言い方をするのはユナは理解しているし、別に苦ではない。


「そうね」


 適当に返事をしておく。元お師匠が来る……いったい何をしに?


 ユナは考えたのだが、ヴォードとラスィアを見送った後には、もうすっかり元お師匠のことは忘れた。


 ウィリディスに戻ったら、お師匠とリアナという冒険者とウィリディスの魔法機械群について話し合うことになっていたからだ。


 リアナは、機械関係に強く、戦闘機や機械文明時代の兵装について理解が早い。その点、今後の参考になると思う。……もっとも、彼女が魔法方面がからっきしだと知って、少々落胆はしていたりするが。


 翌日は平日。アクティス魔法騎士学校へ出勤。お師匠であるジン、アーリィー殿下、そしてマルカスは学生身分であるので登校。


 高等魔法科教官であるユナは、仕事として学校へ行くのだが、なんとも面倒と感じていた。ウィリディスで魔法機械を弄っているほうが、はるかに有意義なのだから。


 お師匠らと学校に行くようになってから遅刻はしなくなったユナである。教官らの集まる職員室へ足を運ぶと、そこに元師匠がいた。


 ダスカ・ロス――マスターの称号を持つ偉大なる魔術師にして、かつてのユナとラスィアの師匠である。


 彼の顔を見たとき、そういえば昨日ラスィアが師匠が来るとか言っていたのをようやく思い出した。


 来年度はよろしく、と穏やかに微笑む中年魔術師は、神父か司祭様と思えるほど周囲に温かさと安心感を振りまいた。


 そういえば昔から、こうだったな、とユナは思う。


 幼い頃にお世話になったが、彼が声を荒げたところなど、数えるほどしか見たことがない。あの頃に比べて、師匠は髪が後退し、また白いものが目立つようになっていた。


 師匠の自己紹介が終わり、本日の連絡事項が伝達された後、教官たちの多くは授業のために職員室を後にした。


 ユナの行う高等魔法科授業は、一日のうち一時間のみだから、慌てて移動することはない。


 授業以外の時間は、魔法の研究や実験で時間を潰しても文句は言われない仕組みになっている。この学校とはそういう契約で教官になったのだ。


 だが、今日は、かつての師であるダスカ・ロスがいたので、ユナの自由時間はいつもと使い方が異なる。


「久しぶりですね、ユナ」


 挨拶に来た師匠に、ユナはこくりと首を縦に振った。


「お久しぶりです、元師匠」

「元、ですか……。相変わらず、はっきりしてますね」


 少し傷ついたといった表情をするマスター・ダスカ。


「お時間がよろしければ、私とお話しませんか、ユナ」

「魔法のことで何か新しいお話がいただけるなら、よろこんで」

「……本当、相変わらずですねぇ」


 穏やかに苦笑された。


 マスター・ダスカは、十以上のファイアボールの同時誘導や、魔力の効率的な引き出し方、属性を瞬時に変換する方法、長距離射撃を苦手とする魔法の飛距離の誤魔化し方などを、ユナに語った。……残念ながら、ユナを喜ばせるだけの新技術や技ではなかった。


「元師匠、それらは全部習得済みです。新しいお師匠から学びました」


 ユナがそう伝えれば、マスター・ダスカは「ほぅ」と小さく驚いてみせた。


「その新しいお師匠は、とても優れた魔術師のようですね。名前を聞いても?」

「ジン・トキトモと言います」


 伝説的な英雄魔術師ジン・アミウールなのだけれど、お師匠がその名は捨てたと言っていたので言わない。それくらいの分別はユナにもつく。


「ああ、ジン君ですか。学校長から聞きました。アーリィー王子……いや王女殿下でしたね。彼女の護衛でこの学校にきた魔術師。生徒でありながら今年の王国主催の武術大会で優勝、その直後に起きた悪魔騒動を収めたという期待の若手」


 知っていたのか、とユナは思ったが、学校長から聞いたと今言っていたとユナは思い直す。


「私もぜひ、そのジン君にお会いしたい」


 魔法使いは自分にはない技を持つ魔法使いに関心を抱く。それはユナに留まらず、魔法使いなら習性みたいなものだ。


 ユナは、深く考えずにマスター・ダスカの言葉を了承した。


 マスターから、ジンがどのような人物か問われたが、直接話されては、と言葉を濁した。


 お師匠が抱えている魔石エンジンやその他の魔法技術については、ユナの口からは元師匠とはいえ言わない。


 魔法のことしか興味がないと陰口を叩かれていることを知っているユナだが、師の秘密を守ること、師の言葉を厳守するというルールを自分に課しているのだ。


 授業が終わり、休憩時間となると、ユナはお師匠であるジンを、マスター・ダスカと会わせるために呼びに行った。


 おそらく魔法談義になるだろうから、お師匠が次の授業を欠席することは担当教官に伝え、学校長にも許可を得ている。


 マスター・ダスカの名前を出すと、こうもあっさり認めてもらえるのかと、ユナは複雑な気分になった。


 彼女の場合、頼みごとや話をすると、あまりいい顔をされないことが多いからだ。


 ユナはお師匠であるジンのもとへ行き、マスターの用件を伝える。


「新しい高等魔法科教官か」

「はい、お師匠。来年度からこの学校で教鞭をとるようです」

「それは朗報かな」


 お師匠は黒猫姿のベルさんと顔を見合わせ笑った。


 朗報? 首を傾げるユナに、お師匠は言った。


「学校は俺を教官にしようというのを諦めたってことだろう? 朗報だよな、ベルさん?」

「そうだな、朗報だ」


 なるほど、とユナは頷いた。


「で、その新しい教官って誰なんだ?」

「私の元師匠です」

「……大丈夫なのか、それ?」


 ベルさんが疑うような目を向けてきた。暗に馬鹿にされたような気がしたのは、はたして気のせいか。


「どういう意味ですか?」

「だって、お前の前の師匠だろう? なあ……?」

「マスターの称号を持つ、優秀な魔術師ですよ?」


 いまいち理解できないが、ここで話すより当人同士が話すのが一番だろう。ユナは移動を促し、ジンとベルさんを案内する。


 魔法科準備室。そこに元師匠がいる。


 新旧師匠の顔合わせ――それはユナのまったく想像していなかった形となった。


「マスター・ダスカ。わたしの師、ジン・トキトモをお連れしました」

「ありがとう、ユナ。……ジン・トキトモ君」


 そこでマスター・ダスカは目元を緩めた。


「ダスカ・ロスです。はじめまして――ではありませんね、ジン・アミウール君」

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