第449話、絶対的守りの崩壊


 アトーは、エルフ粛清軍のダークエルフの指揮官だった。


 外見でいえば三十代前半くらいだが実年齢はその五倍はある。涼しげで端整な貴公子然とした男だ。


 生粋のエルフ復讐主義者であり、先祖からの宿願としてエルフを粛清、根絶やしにすることを生涯の使命としてきた。


 現在知られているエルフの最大勢力は、古代樹の森に住まう連中である。


 暗き森に追いやられた同胞たちをまとめ、アトーは軍を編成。結界の張られたヴィルヤと、エルフの女王とその民たちを滅ぼすため、準備を重ねてきた。


 グリフォン100頭、クリスタルイーター30を集め、それらを訓練し、維持するにはとてつもない労力と手間をかけた。


 今回、乾坤一擲の攻撃は開始されたが、勝ってもしばらくは軍勢を維持はできないし、負ければすべてを失うだろう。


 だが構わない。遥かな昔より、敵であったエルフたちを抹殺できるのであれば。


 豊かな森でのうのうと生きてきたエルフたちとは違い、暗き森の厳しい環境で生まれ育ち、生きていくために、時に同胞を犠牲にしなければならなかったダークエルフは、皆鍛えられ、恐るべき戦士となった。

 追放者たちの恨みは、代を重ねても薄まることはなく、むしろ強く燃え上がったのである。


 さて、ダークエルフ軍は主力に100の騎兵と歩兵400。グリフォン遊撃隊にグリフォンライダー100と歩兵が300。クリスタルイーター30と特殊歩兵100から編成されている。


 遊撃隊が古代樹の森外縁のエルフ集落を次々に襲撃し制圧。エルフの主力が出てきたところを殲滅し、世界樹のあるヴィルヤを攻略するというのが計画である。


 もっとも、エルフはヴィルヤに引きこもり、集落の住民も中央へ逃げたが……。


 クルータン率いる遊撃隊は、外縁集落をいくつか落としたが、エルフの主力を引っ張り出すことはできなかった。


 それも構わない。どうせ最後は世界樹に攻め入るのだから。


 その際の障害は、やはりというべきか結界である。これに守られている状態のヴィルヤを攻撃する手段は、残念ながらアトーは持ち合わせていなかった。


 クリスタルイーターによる地中からの侵入案も、実は確証があったわけでない。事前に試せればよかったのだが、万が一エルフに察知されでもしたら、二度と同じ手は使えない。


 だからぶっつけ本番の賭けになるのだが、もちろん、種族の存亡を賭けた戦いに、そんな確実性のない案に賭けることなどできなかった。


 アトーはクリスタル・イーターに過剰な期待を抱かなかった。結界を破る手段、その本命は別にあったのだ。


 それは結界内に送り込んだ工作員――よりはっきり言えば、ダークエルフの処刑を免れたエルフ住民の生き残りたちである。


 わざと生かしたエルフ住民に、アトーはこう告げたのだ。


「君たちはヴィルヤに逃げ込んだ後、我らが軍が到着したら、結界水晶を破壊するのだ。そうすれば……君たちの愛する妻や娘を殺さずに解放しよう」


 そう言いながら、アトーは彼らの前で、エルフ住民のすでに親を亡くした子供を殺した。その情け容赦ない姿を見せられ、妻や子を人質に取られたエルフたちは、アトーの命令に従う道を選んだ。


 中には拒絶した勇気ある者もいたが、ダークエルフたちにはちょうどいい見せしめとなった。その者の前で娘を切り刻み、泣きながら死に絶えるさまを見届けさせた後、その父親も殺したのである。見ていたエルフたちには、少女が苦悶に泣き叫ぶ様はさぞ胸に痛かったであろう。


 家族の愛とは、特に自ら破滅の引き金になるとしても、優先されてしまうものなのだ。そういう人選をしたつもりだ。それをしないエルフは殺した。理性的で、他の種族に冷たいと評判の冷血エルフとて、身内に心動かされないわけではない。


 かくて、ヴィルヤに逃げ込んだ難民のうち、一度ダークエルフに囚われていた者たちは、結界の外のダークエルフ軍や、上手くいってしまったイーターによる騒動によって手薄となった身内への警戒の隙をつき、8つある結界水晶のうち、半分を破壊してしまったのだった。


 ヴィルヤ全体の結界を維持するために、最低5つの結界水晶が必要だが、半数を失ったことでその絶対的な障壁は消失した。


 全体を覆う力を失った結界が機能しなかくなった結果、世界樹根元の城下町、そして空中都市は、ダークエルフ軍の侵入が可能な場所へと変わった。


「よくやった」


 アトーはその端整な表情に冷たい笑みを浮かべる。すでに人質の女、子供が死んでいることも知らず、言いつけを守ったエルフ難民たち。あの世で家族が再会できることを祈ってやる――それくらいの慈悲は持っている。


「全軍、突撃! エルフどもを殲滅せよ!」  


 ダークエルフ軍主力部隊は騎兵を先頭に、ヴィルヤ城壁へと進撃を開始した。



  ・  ・  ・



 結界が消えた。それは城壁を守るエルフ守備隊に動揺を与えた。


 女王の言葉どおり、地下からの魔物による襲撃。だが驚きはすれど、結界が無事な限りは立て直せる。何故なら外にいるダークエルフ軍が手を出せないからだ。


 だから、イーターどもを逆に倒してしまえば、まだどうにかなる。だが、頼みの結界が消えたことにより、それは崩れ去った。


 城門正面のダークエルフの主力が動いた。これを迎え撃たねばならない。イーター討伐に兵を割いたところで、城壁指揮官は、自分の指示が悉ことごとく裏目に出ていることに苛立ちを隠せずにいた。


「弓隊! 射程に入り次第、接近する敵軍へ攻撃開始!」


 城壁に展開するエルフ弓兵部隊は、その射撃の腕は、おそらく世界一であるという自負があった。もとより弓の扱いに長けるエルフだ。その精度は百発百中に近い。城門は閉じられ、城壁が敵を受け止めている間に、その大半を仕留めることができる――指揮官はそう考えていた。


 もっとも、ダークエルフを率いるアトーに言わせれば、エルフ城壁指揮官の命令は、考えることを放棄した『硬直した判断』である。


 クリスタルイーターの乱入によって注意を引かれている隙に動いていたのは、工作員に仕立て上げられていたエルフ難民だけではなかった。


 城下町にイーターが入り込み広げた侵入口から、ダークエルフの特殊歩兵が入り込み、城門裏へと素早く、密かに移動。遭遇したエルフはその場で殺し、浸透した彼らは、城門の制御室を制圧して開門の準備をすると共に、城壁上で主力部隊を迎え撃とうとするエルフ弓兵たちの裏をとり、爆炎魔法により焼き払ったのだった。


 城壁指揮官が気づいた時、すでに自身の目の前まで爆炎が迫っていた。


「なっ――」


 城壁のエルフ兵は薙ぎ払われた。制御室を手に入れたダークエルフ特殊兵たちは、城門を開け、主力軍を城下町へと招きいれた。


 かくて、ダークエルフ軍はその兵力の大半を保持したまま城下町へ到達した。


 城下町のエルフ守備隊は、すでにその指揮系統は存在しないも同然だった。イーターの迎撃に向かったエルフ兵たちは、城壁があっさり陥落し、ダークエルフ軍が入ってきた時、街に分散していた。


 城壁を守っていた主力ともいえる弓兵部隊が壊滅した今、その守備兵力は半減し、かつ街に分散してことで、敵の各個撃破を許すこととなる。


 彼らに残された道は、速やかに空中都市へ退却し、態勢を立て直すことのみだった。だが上位指揮官の喪失と分散していた状況は、各個に判断を強いられることになる。


「死ね! エルフ、死ねッ!」


 殺気を漲らせ、エルフと見れば兵も一般人も関係なく殺戮対象と見るダークエルフ兵に、エルフ兵は近接戦を強いられ、討ち取られていった。


「くそ――蛮族ども、め――」


 血を撒き散らし、石畳に倒れたエルフ兵の頭を蹴飛ばし、ダークエルフ兵は進む。


 同胞の兵たちが城下町を突き進む中、城門に到達した指揮官直轄部隊のアトーに下に報告が来る。


「城下町のエルフ守備隊は制圧しつつあります。空中都市へ逃れた部隊は少数です」 


 正しく撤退を選べたエルフの数は、それほど多くなかったのである。


「制圧は時間の問題か」

「は、いえ、それなのですが……」


 報告のダークエルフ兵は難しい表情を浮かべた。


「一部、頑強に抵抗する部隊がいるようで苦戦しております」

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