第443話、言わなかっただけで嘘はついていない


 転移魔法陣の光が消えると、空が鬱蒼とした緑の葉に包まれた空間が目の前に現れた。


 世界樹の上層、ドーム状の建物内を思わす広い空間がそこにあった。


 それ自体が道になりそうなくらい太い枝が縦横に走り、その上に補強した土台と森の木々を使って作られた家が点在する。


 無数のプラットフォームを繋ぎ合わせて、ひとつの町が存在するさまは、ここが木の上であることを忘れてしまいそうになる。


 ドーム上に覆う世界樹の枝葉の隙間からは、外からの光が差し込む。一番大きな光は南側に開けられた大穴状の空間からのものだろう。おかげで昼間は空中都市内は人工の光源なしにでも明るい。


「わたくし、こんな景色、初めて見ましたわ……」


 サキリスが驚嘆する中、アーリィーもまた緑に生い茂った天井を見やり頷いた。


「これがエルフの空中都市なんだね。……凄いや」


 なお、ここにも結界水晶がいくつかあって、淡い光を放っている。夜ともなるとこの結界石と建物の魔石光や妖精光が合わさって、夜空に宝石をちりばめたような幻想的な景色を提供する。


 俺はアリンの導きで、魔法装甲車デゼルトを進ませる。エルフたちが興味深げにこちらを眺めている。


 さらに好奇心旺盛なフェアリーが、羽根を羽ばたかせて近づいたりする。


 三十センチにも満たない小さな妖精が小さな燐光と共に飛んでくるのをみて、アーリィーたちが驚きの声を発するのが聞こえた。……そうか、フェアリーは見たのは初めてか。


 悪戯好きで面倒な連中であるが、エルフの里に住むようなフェアリーはある程度の節度をわきまえている。そうでなければエルフたちが駆除するだろうからね。


 ヴィルヤ内を進むデゼルトは、女王の住まいである光の精霊宮へと着く。


 エルフの弓使い、騎士らが門の前にいたが、客人が到着するのを出迎えるために整列しているところだった。


 さすがにここから先に装甲車はいけないので、全員降りる。


 エルフの魔術師とおぼしきハンサムな男が、案内役のアリンに頷き、そして俺を見た。


「ご無沙汰しております、ジン・アミウール殿。以前に比べて少し幼くなりましたかな?」

「どうも。ヴォル殿、お久しぶりです」

「おお、覚えていてくださいましたか! その節は大変お世話になりました」


 前回俺が訪れた時のオーク騒動、そして悪魔とのゴタゴタの際に面識があり、そして共に戦ったエルフの魔術師であるヴォルは相好を崩した。見た目は二十代後半と若いが、実年齢は百五十歳を超えている。


 初対面の時は、人間である俺にかなり冷淡だった彼も、あの騒動の後はずいぶんと気さくに応じてくれた。信用されたのだろう。


「よう」とベルさんが声をかければ、ヴォルもまた「ベル殿!」と声を弾ませた。


 そこでふと、俺は後ろが騒がしいのに気づいた。見ればアーリィーたちが顔をあわせて何やら話し込んでいる。……どうしたん?


「ジン、ボクたちの聞き間違いかな?」


 アーリィーが上目遣いの視線を寄越せば、マルカスが震える指で俺を指した。


「あんた、ジン・アミウールって言われた?」


 すっと、俺は目を逸らした。視線の先にいたヴォルが、俺の様子に怪訝な表情を浮かべたが、すぐにハッとする。


「……もしかして、言ってなかったのですか?」

「ああ、どうやら、言ってなかったようだ」


 俺は苦笑い。ヴィスタは知ってる。アリンも知らされていた。冒険者ギルドではダークエルフのラスィアさんが知っていて、王族に目を向ければエマン王とジャルジー公爵も知っている。


 そういえば、他の……ウィリディスに住む皆には言っていなかったな。なんてこった。嫁さんにすら、まだ報告してなかった!


「で、ではご主人様は――」


 サキリスがこれ以上ないほど目を見開く。


「あの大英雄、ジン・アミウール様だったのですか!?」

「ああー、まあ。そう、そのジン・アミウールだった人だ」


 ぽりぽりと髪をかく。気恥ずかしいが、黙っていた気まずさもあって、俺は彼女たちを見れなかった。俺の足元で、ベルさんがニヤニヤしている。


「おい、ジン。何か言えよ。こいつら驚きのあまり固まっちまったぞ」



  ・  ・  ・



 正直言うと、一番怖かったのはアーリィーの反応だった。


 好きだと言って婚約したのに、英雄時代のことを一言も言わなかった。そのことで彼女が何故秘密にしていたのか、と怒るのではないか、と。


 光の精霊宮内を進みながら、俺がかつてジン・アミウールを名乗っていたこと、連合国の英雄魔術師だったが、その連合国に裏切られて死を擬装して逃げたことを、かいつまんで説明した。


 サキリスは「凄い! 本物の英雄にお仕えできるなんて!」と興奮を隠さなかった。マルカスは腕を組んで、冷静に振る舞いながらこう言った。


「なるほどね。時々おれたちと同年代に感じなかったのは、おれたちより年上で、しかも最前線で活躍してきた大英雄だったからか」

「……」

「いや、あんたの、いやあなたの背中はとても頼もしかったよ」

「別に改まらなくてもいいよ。これまでどおりで」

「あなたに仕えられるのは光栄の極みだ」


 普通に振る舞っているつもりだろうが、顔が赤いぞマルカス君。


 一方、ユナは目をキラッキラッさせていた。


「私の目に狂いはなかった。ジン・アミウールに弟子入りできたのは、我が生涯の最大の幸運です」

「お、おう」


 さて、肝心のアーリィーだが、他の三人にような興奮は見られなかった。


「ジン・トキトモという名前は偽名なの?」

「いや、そっちは本当の名前だ。アミウールのほうが偽名だ」


 先にも説明したのだが、連合国にいて大帝国にいた頃は名を偽り、離脱した後は本名を使っていた。


 何故アミウールと名乗っていたかは、異世界に来たからそれっぽい名前にしただけなのだが、そのことについては、エルフの面々すら知らないことなので、ここでは黙っておく。……嘘はついていない。黙っているだけだ。


「英雄だったことを黙っていた。……それは、連合国の目を欺くため?」

「そういうことだ。有名になりすぎたからな。完全に縁を切りたかったんだ。一からの出直し、もう英雄にはなるつもりはなかったからね」


 とはいえ、ヴェリラルド王国でもジン・トキトモはSランク冒険者にして、英雄視されつつある。くそぅ……。


「それとも、英雄と名乗ったほうがよかったかな?」


 俺がアーリィーを見つめれば、彼女は首を横に振った。


「ううん、たぶん知らなかったから、ボクは君に素直になれたと思う」


 知っていたら、自分の感情が英雄だから好きになったのか、と迷ってしまったのかもしれない。


「それに、君はボクが王子だったから付き合ってくれたわけじゃないんでしょう?」

「もちろん。むしろ、王族の肩書きが邪魔だと思ったくらい」


 その言葉に、アーリィーは苦笑した。


「じゃあ、ボクも同じだ。ジンが好きなのは英雄だからじゃない。それはこれからも同じだよ」


 アーリィーの笑顔が眩しい。癒やしだよ、ほんと。これならもっと早く明かしてもよかったかもしれないな。

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