ミュータント男子とジップガン

電楽サロン

ミュータント男子とジップガン

 幼なじみの和矢がミュータントになったのは小学生の頃だった。

 私の家のすぐそばには裏山があった。その日は流星群の話で持ちきりで、山の上で何十分も前から空を見ていた。

 紫色の大きな光球が夜空を裂いていったのを覚えている。きれいだった。テレビで見た北極のオーロラよりも、どこかの王家の秘宝よりも何倍もきれいだった。

 それを和矢と見られたのが、なによりも嬉しかった。

「すごいね」

 私はそう言っていつものように横を見た。和矢のちょっと潰れた小鼻とぱっちりした二重の横顔があるものだと思っていた。

 はじめは大玉ころがしの玉を思いだした。和矢の頭は大きく膨らんで、肌を覆うねばっこい液が街の灯りを反射していた。眼には白目がなく、口にはクモの脚のような顎がわさわさと忙しなく動いていた。

「ゔ」

 和矢は一言つぶやくと、私の方へ手を伸ばす。傘の骨を思わせる指がさっ、と空中を掻いた。

 和矢の右手はコウモリを掴んでいた。コウモリが不快な声をあげると、次の時には和矢の顎が骨を折る音に変わった。みちち、と皮を破る音と生臭い臭いが和矢の口から漏れた。

 私は不思議とうろたえることはなかった。ただ漠然と、和矢はもう家には帰れないのだろうか、和矢は中学に進級できるのだろうか、などと考えるばかりだった。

 紫の光は、私の心もミュータントに変えてしまったのだろうか。

 次の日学校に行くと、誰も流星群の話は知らなかった。


 ◆


 りぃが和矢のことを好きだと知ったのは高校生になってからだ。

 私とりぃは部活が終わって疲れきっていた。外はもう薄暗くなって雷がゴロゴロ。六月はいつも雨だった。

 はやく帰ろう。二人でそう言いながら昇降口に向かっていたときだ。

「……!」

 私たちの前に、下駄箱に寄りかかってるびしょ濡れの人がいた。動くのもだるそうで、がくり、と首が落ちている。取ってつけたような栗色の髪の間から見える顔には赤黒いアザができていた。

 和矢だ。

 私はすぐに気づいた。

 私の幼なじみはこの頃、学内の生徒と何度も殴りあいの喧嘩をしていた。和矢がサッカー部でエースをしているのが気に食わなかったらしい。

 だから、私はすぐに和矢だと分かった。

 大丈夫?

 と声をかける前に、りぃが走り寄っていた。

 りぃは制服が濡れるのも構わずに、和矢に肩を貸していた。

「舞ちゃん! 保健室行ってくる!」

 そう言いながら運ぼうとするが、彼女の小柄で華奢な身体ではうまく運べないでいた。

「一緒に行こ」

 私は反対側の脇を抱えて和矢を運ぶ。

 和矢の体温はいつも以上に冷えていて、触れてる部分がじんじんと冷えてくるほどだった。

 きっと、りぃもそうだったはずだ。それでも関係ないように歩いていた。

 私たちが保健室の前まで着くと、和矢はかすれた声で「ここまででいい」と言った。

 フラつきながら和矢が扉に向かう。わたしもりぃもびしょ濡れになったのに感謝もなし。

 少しムッとしていると、

「あの!」

 りぃが和矢の背中に声をかけた。

「あんまり無茶しないで」

 語尾が消えそうになりながらりぃは言った。

 和矢を助けた時も感じたけれど、それは初めて見るりぃの姿だった。

 いつものりぃは、すごく人見知りで初対面の人と二言話せればいい方だというのに。ましてや、和矢に話しかけるなんて今までにない変化だった。

 和矢は振り返るとしばらくりぃを見つめていた。りぃが戸惑っていると、「ありがとう」とだけ言った。

「さっさと怪我治しなさいよ!」

 私も和矢に言うと、彼は手を後ろにひらひらさせながら保健室に入っていった。

 りぃは俯き、下唇を噛んでいた。それは照れているような、心臓のときめきを沈めるような表情だった。


 二週間たったあるとき。


「えっ! マネージャー!?」

 教室内に思わず声が響いてしまった。何人かが私たちの方を向いてくる。

 私はすぐに声をひそめて「本当に?」と聞くと、りぃはうなずいた。

「あれから何度か試合を見に行ったの。和矢くん、すっごくカッコよくて。見てるうちにどんどん近くで見たくなって……」

 そう言ってりぃはまた下唇を噛んだ。きっとこの顔を和矢が見たら好きになっちゃうだろうなと思った。

 女の私から見ても、りぃは魅力的だった。

 りぃの黒く艶のある髪は肩まで伸びており、整えられていてうざったさがない。透き通る肌の白さが、唇の赤さを際立たせ独特な清楚さを醸し出していた。

 昔、島育ちの私の焦げた肌を見て、りぃはカッコいいと言ってくれた。でも、私から見ればりぃの触れたら壊れそうな姿の方が何倍も素敵に映った。

「でも、部活と掛け持ちできるの?」

 私は試すようにりぃに聞いた。

 私たちチアリーディング部は、水曜日以外の平日の放課後は全て練習だった。サッカー部のマネージャーは土曜日と日曜日に活動する。りぃにはかなり負担になるように思えた。

「大丈夫だと、思う」

 りぃが飲み込むようにうなずく。

「一度見学しに行ったら」

「あの、さ」

「うん」

「舞も来てくれない……?」

 りぃのことだ。そう言うと思った。

 私は微笑んで首を縦に振った。


 雨のせいで、ぐずぐずになっていると思ったけれど、グラウンドは水たまりひとつなかった。

 よほど水はけがいいんだろうな。

 ぼんやり考えていると、黄色い歓声がワッとあがった。

「ルカくーーん!」

 グラウンドには女子生徒が集まっていた。彼女たちの熱い視線を集めているのはサッカー部の主将、知念流夏だ。同じクラスで、和矢とは対称的に物腰の柔らかい優等生然とした男子だった。だからこそ、闘志を燃やすグラウンドの彼は普段とのギャップを感じさせるのだろう。

 流夏がシュートを決めると一際大きな歓声が鼓膜を叩いた。

 隣を見ると、りぃは所在なさげに練習を眺めていた。

「いない……」

 グラウンドに和矢の姿はなかった。

 練習が終わってから、私は流夏に聞いてみた。

「今いい?」

「ああ、須永さん」

「ねぇ、今日って和矢休みなの」

「そうみたいだね。あいつ、練習休むなんて今までなかったのにな」

 流夏の言葉は、どことなく他人事のような響きを持っていた。

 周囲からクスクスと笑い声が聞こえる。他の部員たちを見る。目を合わせる前にみんな顔をそらせた。

「だってあんな奴が……」

「化け物……」

 部員や女子生徒からそう聞こえたのは聞き間違いではなかった。

「舞……」

 りぃが手を握ってくる。嫌な予感がしているのか少し手のひらが汗ばんでいた。

「行こ」

 私はりぃの手を引いて和矢の家に走った。

 マネージャーのことは頭から抜けていた。


 学校を飛び出し、アスファルトを蹴る。りぃの体力に合わせながら急いで角を曲がる。

 はやく、行かないと。

 和矢の隠れ家は、裏山にあった。和矢は親から勘当され、仕方なく竪穴に住んでいた。

 夏休みの頃は、隠れ家に遊びに行ったものだった。暗い穴は入ると心地よくて雨や風の音が普段より涼しく聞こえる。

 最悪の予感を振り払うように、記憶が脳内に吹きあがった。和矢に渡したひらがな練習帳、べこべこになった道徳の教科書、ピンチのとき用の〈もしもボックス〉がよぎる。

 走りつづけると、裏山が見えてきた。まだ明るい空に黒い煙が立ちのぼっている。家の周りの砂利を踏む。足音がやけに耳につき、近づくほど焦げた臭いが強まる。

 ふと、足元に転がる布切れがあった。

 赤黒くなったそれは、〈5〉と大きく書かれており和矢のユニフォームだと分かった。

 りぃが先を走る。だが、すぐに足は止まり、へなへなと地面に崩れ落ちた。

 隠れ家はまだ消えない炎がくすぶっていた。必死の形相でママが水を撒いている。周囲にはいくつもの制服の死体が転がっていた。彼らは一様に、鋭い爪で頭や体を引き裂かれていた。

 しかし、りぃが崩れ落ちたのはそれらのせいではなかった。

 隠れ家を覆うように広葉樹が伸びている。巨人が手を広げたような枝ぶりのひとつに、和矢が吊り下がっていた。

「みんな嘘だったの」

 りぃの言葉がぎゅっと心臓を鷲掴みにする。

 頭の中では「化け物」「あんな奴」と、流夏たちの言葉が反響していた。

 和矢がなにをしたって言うの。あなたたちの迷惑になることなんて一つもしなかったじゃない。ミュータントになっても和矢はみんなのクラスメイトじゃなかったの。

 心の中に黒い感情が渦巻く。

 私はりぃの手を引き、隠れ家の前まで来た。黒焦げた庇を外し、穴の中のものを掻き出す。スカートの裾が煤と土で汚れていく。

 りぃも黙って手伝った。ぼろぼろの教科書たちや、非常食であろう動物の死骸を脇に置く。感情を押し殺し、自分が好きだった彼の記憶を掘りだす。

 かちん、と硬い感触が当たった。

 見つけた。

 私はそれを掴み上げた。出てきたのは幾重にも粘着テープで止められたブリキの箱だった。

「これに頼る時が来るなんてね……」

 思わず口から言葉が漏れた。

 りぃが不思議そうにこちらを見る。

「これはね、〈もしもボックス〉。私が島にいた頃の記憶なの」

 そう説明しながら、私は粘着テープに爪をたてた。土の湿り気でテープはふやけており、簡単に剥がれた。

 ブリキのフタが、ぼこっ、と音を立てて外れる。

「あの時のまんま」

 中には歪なリボルバーが二丁と、弾が十発入っていた。

「舞、これ……」

「りぃはダナオって知ってる? セブ島の町で、緑も海もすっごく素敵なところ。私は7歳までそこにいた」

「うん」

「だからホントの両親はダナオにいるんだ。今もきっといると思う。そこで、銃を作ってる。ダナオは密造銃で有名だから、私も4歳の頃から手伝ってた」

 りぃは私の言葉を黙って聞いていた。

「私は少しだけ才能があったの。気がついたら一家で一番のガンマイスターになってた。ここにあるのは最後に作ったやつ」

 私は昔遊んだ玩具を弄ぶようにリボルバーをさわる。鉄の冷たさはすぐに体温と馴染んだ。

「今見るとちょっとヘボいけどね……。りぃはどうする?」

 りぃはもう一丁のリボルバーを手にした。黒染めしていない銃身は所々錆びついているが、りぃが持つと、さまになった。

「やろう」

 りぃの澄んだ声が梅雨の湿った空気に消えていく。

 私の心がミュータントになってしまったように、りぃの心も冷たく変質してしまったようだった。


 そして今。

 私とりぃは、視聴覚室のアルミ扉の前に立っていた。

 やるなら学内一の防音施設を選ぼうと言ったのは私だった。

 あれから2ヶ月がたっていた。10月になり、学校の制服は冬仕様に変わる頃だった。

 私たちは、チアリーディング部の大会に出た時の衣装に身を包んでいた。

 セーラー服を変形させたようなデザインの上下、顔には和矢の顔を模したペイントを施している。これから起こることをより特別するためのりぃのアイデアだった。

 扉の向こうには、奴らがいる。流夏を含めたサッカー部、教師、有象無象。

 呼び集めるための口実作りだけで、10月になってしまったのは今更ながら笑ってしまう。

 弾丸は足りるだろうか。足りなければ、背中に背負った新作ショットガンを使うまでだ。

 私は私の才能を出し惜しむのをやめた。

 隣に立つ、りぃがこちらを見る。私も視線を合わせる。

 いける?

 やろう。

 私は目で応える。

 呼吸を整え、2つ数えてから、全力で扉を蹴り開けた。それと同時に、引き金を引く。

 マズルフラッシュが、いつかの光球を思い出させる。

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