ドロップアウト

アイロ

第1話

 人は死んだらどこへ行くのか。


 誰もが一度は考えて、誰も答えを知らない問。その答えを、俺は落下防止の柵を登りながら考えていた。

 ある人はそれを天国と呼んだ。雲の上にあって、常に幸福で満たされている場所らしい。既に死んでいるのに幸せを与えられても、虚しくなるだけではないか。それとも、競争社会から解放されること自体が幸せなのであって、天国には何も無いのだろうか。

 しかし、例え天国がどんなものだったとしても、他人との競争から逃れることのできない現世より、幾分かマシな場所のはずだ。

 曖昧で何の根拠もない期待。しかしそれだけでも、俺に僅かに残された生きたいという意思、つまり死への恐怖を誤魔化すには十分だった。


「一度でいいから、一番になりたかったな」


 次の瞬間、ヒビの入った飴玉は缶から零れ落ち、着地と同時に砕け散った。


    ◇◆◇


 目が覚めると、そこは薄暗いシアタールームだった。目の前では大きなモニターが障壁となって、仄かな明りに照らされている。座っているシアターチェアの広いひじ掛けには、おそらくモニターを操作するためのリモコンが乗っていた。


「ここが、死後の世界……か?」


 高校の屋上の柵から身を投げて、確実に俺は死んだ。しかし、何故か今はこうして意識がある。

 周囲を確認しようと思い立ち上がろうとすると、見えない何かに縛られているようで、立てない。動くのは腰から上だけ。どうやら俺に許された行為は、軽く周囲を見渡す事と、リモコンを操作する事だけらしい。


「まさか、死後の世界はこんなに不自由なのか?」


 仕方がないので、リモコンに手を伸ばし、『電源』と書かれたボタンに触れた。すると、目の前のモニターから映像が流れ始める。

 そこに映しだされたのは、頭上に金環、背に白い羽の天使。誰もがイメージする天使だった。しかし、その表情は無機物のように冷たく、感情の無い機械のように見えた。


「天国へようこそ。私は天使。天国の管理をしている者です」


 どうやら、この薄暗くて身動きの取れない空間が天国らしい。俺の想像とはずいぶんと差があった。


「これから天国のシステムを説明します。なお、この映像は一度しか流れませんので、注意してください」


 天使はその透き通った声で、淡々と話を進める。どうやらこの天使様は一度しか拝めないらしいので、目に焼き付けておく事にした。


「まず、この天国では、あなたの人生をテーマに映像作品を一つ作ってもらうことになっています。素材は、あなたが現世で産声を上げてから、心臓が停止するまでの映像のみ。」


 人生をテーマにした映像作品……? それに、素材は俺の一生だけで?


「可能な編集は、カットのみ。そのリモコンで範囲を指定し、必要ない部分を切り取ってください」


 俺の人生から必要ないところを切り取ったら、きっと一秒も残らないだろう。そう考えるほどに俺の人生は虚しくてくだらないものだったので、映像作品なんてものを作る気力は当然湧いてこない。


「また、天国には時間の概念が無いので、作品制作にいくら時間がかかっても構いません」


 なるほど、つまり作品を作らずに永遠にここに留まることもできるのか。何にも追われず、急かされず。それはちょっと天国っぽいかもしれない。


「最後に、あなたが天国で映像作品を作らなければならない理由と、天国の仕組みについて、お話します。」


 もう最後か。と説明の短さに驚きつつ、最後の最も重要そうな部分を聞き逃さないよう、耳を傾ける。


「端的に言えば、この世界を創った『神』を楽しませるためです。神は常に面白いモノを求めています。神が高度な知能を持つあなた達人類を生み出したのも、この天国システムを構築したのも、全てはより面白い作品を観るためです。」


 ここで『神』と来たか。天国があって天使がいるんだから、神もいる。今更驚かないが、神は俺が思っていたより自己中心的な思考の持ち主だった。何の面白みもない俺の人生ノーカット版を見せてやろうと思った。お前のせいでこんな不幸な生き物が生み出されたんだと。

 しかし、そんな低俗な人間の考えは、天使の言葉によって搔き消されることになる。


「そして、より効率的に面白い作品を創り出していくために、神は作品を点数で評価し、報酬として『来世の転生先の選択権』を与えることにしました――」


『作品の評価点が高い魂から順に』


 え……? 


「現世で努力し充実した人生を送った者が、より評価点の高い映像を作り、来世でアドバンテージを得て劇的な成功を収めやすくなる。逆に現世で何も遺せなかった者は、来世も惨めな人生を送ることになる。」


 そんな……それじゃあ


「つまり、人間が大好きなシステム、『競争』を利用しているということです」


 現世と同じじゃないか。


「順位が決まり次第転生先の選択、そして魂の初期化が行われ、新しい肉体に魂が転送されることで、あなたの次の人生が始まります」


「説明は以上です。では、他の人より面白い作品を作って、来世をより豊かにできるよう、頑張ってください」


 天使はそう言い残し、最初で最後の笑顔を見せてから、画面から姿を消した。その笑顔が何とも不気味で、頭から離れなかった。


    ◇◆◆


  天国システム概要


 ①人生をテーマに面白い映像作品を制作する

 ②素材は現世で産声をあげた瞬間から心臓が止まるまでの映像のみ

 ③編集はカットのみ

 ④時間は無制限(作品完成まで天国から出ることは出来ない)

 ⑤完成した作品は『神』に点数評価される

 ⑥評価点の順位が高い魂から『来世の転生先の選択権』が与えられる

 ⑦転生前に魂は初期化される


    ◇◆◆


 噓だろ……。競争と、他人からの評価から逃げ出して自殺して、競争から開放されるためにやってきた天国。それが、評価する側が『他人』から『神』になっただけの、現世と変わらない競争の世界だったなんて。

 しかも、俺に与えられた手札は、普通に生きた人よりかなり短い十七年分しかなくて、内容も自ら死を選ぶような惨めなもの。

 これから俺がやることは、思い出すのも辛い自分の人生を振り返り、自分の過ごした時間を、「ああ、この時間無駄だったな」と思いながらカットする作業。せめて評価を落とさないために、見苦しい腐った部分を削り取るだけの作業。

 さらに、時間制限がないので、作品が完成するまで永遠に解放されることはない。この薄暗い部屋の中で、身動きの取れないまま。


「そんなの、まるで地獄じゃないか……」


 俺は、『天国』という名の現世と大差ない地獄で、競争に加わることになった。

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