咲き匂う花のように
春夜如夢
第1話 竜胆
平安の世に生を受けたとして、かわらぬのは月の満ち欠けと、人のこころのうつろいであろうか
『朧月夜に似るものぞなき』
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生暖かいそよ風が頬を撫でる。
心のままに飛び出してしまったが
月の晩に照らされた 草木は露に濡れ、歩くと衣はすぐに汚れてしまう。
お構いなしに当て所もなく歩く。
右大臣家の六の君として産まれた私は、幼い頃から可愛らしい姫よと誉めそやされて
蝶よ華よと育てられてきた。
自分が人よりいくらかは際立つ容姿なのはわかっていた。
周囲の大人から誉められると嬉しくて、手習いや、琴に香あわせなど沢山の教養も身につけてきた。
年頃になってからは花や文を送ってくる殿方が増え
想い余って強引に通ってくる高貴な方もいた。
あしらうことも出来たかもしれないが興味の方が勝ったのもある。
御簾の内から出られない貴族の家柄など厭わしいだけ
恋には奔放な姫よと言われる方が小気味良かった。
父上の常々みせる横柄な態度と母上の悲しそうな微笑みを見て
自分は何も決めずに流される生き方はすまいと決めていた。
それなのに……―――
『来春、
到底受け入れられる心持ちではない。
もやもやした思いで、お付きの女房が離れたすきに屋敷を抜け出した。
正直、外へ一人で出たのははじめてだった。
むしゃくしゃしていた。
私でなくてもいいということよね、別に
父上の出世だってそれは有利に運ぶのはわかっているわ。次の帝になる
―――…正直、顔も性格も体の相性もよくわからないで入内するのも憂うつというものだわ。
足を止めて自分の本音を再確認した。
「私」を求めてくれるのでなくては…嫌
今まで色々な男性を知った上でそれだけは譲れなかったのだ。
相手が東宮でも男に変わりはないはず。
私の身体でも心でもいい、ちゃんと見てから選んでくれてるとは思えないわ。
「あぁ、ほんとうに嫌……。」
呟き、深くため息をつく。
入内を白紙に戻せなど、我を通せるような状況でもない。
父上の言われるままに、よく知りもしないまま、ただなんとなく入内して、あわよくば皇子を産めと?
は……冗談じゃないわ。
夜露をふくんで重くなった衣を脱ぎ捨てて踏みにじってやりたくなった。
何もかも息苦しく感じて、あたりを睨むように見渡す。
ふ、と我にかえった。
怒りにまかせて飛び出したはいいが、元より牛車でも通らない道を自分の足で歩いているのだ、闇に隠れたら辺りの様子などわかるわけもない。
本来なら身分のある姫が夜露に濡れながら屋敷の外にいるなどあってはならないことだ。
無頼の輩に身ぐるみはがされても不思議はない。
急に考えなしで飛び出した自分の愚かさが恥ずかしくなり、また怖くなった。
直情的なところは父上のことを云える自分ではないと苦笑いした。
がしがしと踏みしめていた道をゆっくり進むと、運よく灯りが見えてきた。
寺のようだが、ひとまずここに身を寄せて 明るくなってから屋敷に戻ることにした。
寺の表に網代車が止まっている。
他にも誰か来ていたのかしら……
よく見ればそこは以前『方違え』で訪れた覚えのある寺で、顔見知りの住職が滞在をこころよく受けてくれた。掃除が行き届いているようで、夜具も几帳も質素ながら調度類は揃っていた。
無茶苦茶なことをしでかしながら、眠れる場所のあることにほっとしている自分の滑稽さに苦笑いし外を見ると満月のためかいくらか明るい。
寺の庭には露を湛えた竜胆の花が咲いて見えた。
見上げるとそこには
薄雲が満月を衣でそっと包むような
やさしい朧月
月の美しさにみとれるうちに、すべてが消えていくような気がした。
先程までの苛立も、何もかも。
残っているのは
「私」という女だけ
月の仄かな明かりを浴びるうちに、悶々としていた気持ちはどこかに失せていた。
月明かりには不可思議な力があるというけれど……
今なら信じられるような気がした。
心から
「本当に…朧月夜ほど素晴らしいものはこの世にないわ」
思わず声に出していた。
その時、不意に衣擦れの音が聞こえた。
現れた人影に絡めとられるように御簾の中に引き戻された。
「罪な人だ…。今宵の月など及ばないほどの美しさだというのに、それに気づいていないとは…」
耳から身体に響くような朗々とした声の持ち主は、私の体を優しく抱き止めていた手をするりと解きながら言った。
月明かりでだけでも美しい顔立ちなのがわかるほどだった。
瞳にわずかな月光が艶やかに反射して見える。
男の衣は趣味の良い香が焚きしめてあり身分のあるひとであるのはわかった。
思いだしたのは、以前招かれた宮中の宴。
御簾の中から垣間見たあの青海波の舞人の姿
「まさか……っ!ひかるき───」
いいかけた唇をそっと扇で止められた。
「私を知っていたとしてもお忘れ下さい……
いま目の前にいる私は、ただの男―――
あなたを捕まえずにいられなかった。」
『朧月夜の君』
私をそう呼んだ唇が重なる前に聞いた。
「私を……欲しいと思って下さるの……?」
少し驚いたように動きを止めた光る君は、微笑みながら答えた。
「もちろん……朧月夜より素晴らしいことを教えてあげる。」
耳元で囁かれると甘い痺れが身体を駆ける。
……力が入らない……
とはいえ、抵抗するつもりはない。
宮中でも噂の的の光る君の美しさにほだされたわけではない、けれど
この人は生身の私自身を求めてくれた。
それで十分身体を許す条件は整ったのだから。
流石に女に慣れた様子の光る君は、力強く私を抱き寄せた。
軽く熱を帯びたうなじの上をゆっくり柔らかな唇が動くと吐息がもれた。
夜露に濡れてしまった萌黄重ねの衣はすぐに肩から落ちる。
露にされた身体の上に形の良い唇が這っていくと今度は吐息ではすまされなくなった。
内側からなぞりあげる指先は容赦なく、緩やかにかき回す。
次々とこぼれる声は自分のものとはおもえぬほどに熱っぽく切ない。
光る君は ほぅ、と私の様子を眺めて吐息をもらして言った。
「ほら…月明かりに濡れて、なんと艶めかしい………。
あなたはあのはずかしがりな朧月にもっと自分の美しさを自慢してやればいい……。」
熱を帯びた視線に晒され、更に快感を煽られる。
指先は執拗で、激しい水音を鳴らす。
強く、快感の波が打ち寄せ戻るたび自分のものではないような声が段々高くなる。
切なさをどうにかしたくて、光る君の唇に自分から唇を深く重ねた。
その口づけに答えて、与えられた快楽の波は激しく
弾ける水音のいやらしさを聴覚で感じる。
声を抑えることも最早なかった。
強く登ってくる快感にのけぞり、いつしか二人共に果てていた。
目覚めたのは私の方が後だった。
衣をきちんと身につけ
けれど暁の光の中で見るとその瞳や背中はどこか悲しそうに見えた。
何を想っているのか、消え入りそうなその儚さは絵巻物で見たことのある叶わぬ恋心を抱えた天女を思わせた。
「……私たちは竜胆のようね……。」
呟く私に薄く微笑みながら光る君は唇を開く。
「――なぜ……竜胆と?」
自分の身なりを整えながら答えた。
「竜胆の花言葉を思い出したの―――…
『悲しみにくれるあなたに寄り添う』
……というのよ……。」
お互いに悲しい思いがあったからこその出逢いだったのかもしれない。
おかげで今は晴れやかな気持ちだった。
私の支度ができるのをみて、また微笑みながら光る君が手を差し出した。
「扇を出して。」
私の扇を差し出すと光る君は自分のものと取り替えて手渡してきた。
「この出逢いを忘れぬように……。」
扇を受け取り、広げると光る君の身につけている香と同じ香りがした。
入内前の最後の自由な夜の思い出。その何よりの証だと思った。
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