ストロボライト

心から安らかに眠っていた。

瞼が開いたまま凍りついていた。真っ暗闇な夢の底の世界では開いていても閉じていても一緒。

 次はここを海にでも変えようかと思う。

芯まで凍った体が海水でひび割れて、今度こそ本当にひとつになれる……。

それでいいんだ私なんて。

 ひとり願う京香の全身を暖かなストロボライトが通り過ぎて壁に当たった。

 壁に写っているのは京香だ。

産まれたばかりで全身が真っ赤。母に抱かれて産声をあげる。いつもは寡黙な父が泣いていた。

京香は思い出す。

「お父さん……お母さん………だ……」

在りし日の父と母の愛情を。

 一度だけではない。

ストロボライトはいつか夢の中でレディがノートの端に描いてくれたパラパラ漫画のように間隔が狭まって、1枚絵から滑らかな無声映画へと変貌を遂げていく。

 ベビーベットでバスタオルを掛けられて眠る京香。

手足をばたつかせると、少しずつずれてしまう。

七夕の前日に産まれた京香が今村家にやって来たのは中旬頃。

心配性の母がやけに空調を効かせて涼しいを通り越して寒い部屋には幼い二人の姉がおえかきで遊んでいる。

京香が心配で可愛くて、タオルがずれたらすぐに掛け直してくれた。

ぐずるものなら抱っこの代わりに、いないいないばぁをしてあやそうとしてくれる。

口が悪い時が確かにあっても、いつも妹を思っていた春香と馨の姿を。

「お姉ちゃん……」

ストロボライトの熱が京香を暖めていく。氷を溶かしていく。

半身を起こし両手で支える。

まだ足は動かない。必然、上体をひねる体勢に。

人形姫が海面から顔を出す岩に座って、遠くにある王子様の城を見る格好に似ている。

 ハイハイが始まって世界が広がった。

少し目を離せば触れるものを口にして階段を登ろうとしたり、壁に頭突きして泣いている所を機械油にまみれた作業着姿の祖父が抱き上げてくれた。

「おじいちゃん……」

自転車を跨いだ祖母が畑で収穫した野菜を冷蔵庫にしまっていく。

共働きの両親に代わって晩御飯をつくる。

早速、青々と立派な胡瓜を塩揉みしたものが食卓にあがる。

主食は少し甘い親子丼だ。

「おばあちゃん……」

 氷が溶けて前髪が顔にべったり張り付いて水が滴る。

「泣いているの京香?」

「起ち上がるの京香?」

双子の声だけがする。京香には姿が見えない。

 ストロボライトの無声映画は続く。

 保育園の運動場を俯瞰ふかんからゆっくり地面と水平になっていく。

ジャングルジムの天辺に登って得意顔の男の子。

ブランコの順番を巡って喧嘩する園児達を保母さんが仲裁している。

フラフープを懸命に回す子。 

京香は日除けの藤棚の影が落ちる砂場でひとり、園児でも握れる緑色のプラスチックのスコップで穴を掘っている。

ボールが転がってきて、たまたま穴にすっぽりとは

まった。

金髪の女の子だ。

驚く京香に構わず腕を掴んで明るい日向へ連れ出した。

「レディ……」

京香は起ち上がる。

行かなきゃ。会いたい。皆に。と。

使命感が奮い立たせた。

「じゃあ、ここからどうぞ」

双子の声の方を向けば、巨大な鉄の円柱が遥か頭上へと続く螺旋階段に変っていた。

 恐れず駆け上がる。

壁にはまだまだ京香の記憶が映し出される。

 小学校の初登校、クラスでずっとひとりだと思っていた。周りの子達の談笑を聞こえてくるのが辛かった。下校までずっとひとりぼっちで寂しかった。

 違う。

壁に映し出される京香は席に座って縮こまっている。

後ろの席に座るお下げ髪の子が声を掛けようと、おずおずと手を伸ばしているのに気が付かなかった。知らなかった。

「朋ちゃん……」

螺旋階段を駆け上がる。 

目の前を次々流れる見えていなかった景色に急かさせる。

円柱を登る階段にストロボライトは背後から。映像は常に前にある。壁がスクリーンの映画館。

 図書室で本を読んでいる。

読んでいるだけなのにわざわざちょっかいを掛けにくる同級生達。

なにを読んでいようが勝手でしょ?難しい漢字だってやけに古臭い言葉だって本が教えてくれた。

 日課としてちょっかいを掛けにきた同級生達を黒牟田が睨みつける。

上級生の鋭い眼光に気圧されて逃げるように図書室から出ていく。

「黒牟田さん…」

 行かなくちゃ…。私、行かなくちゃいけない!

私、ずっと、どうして?ってたくさん泣いた。でも、こんなに愛されていたのに勝手にひとりぼっちだと思ってた!すっごい傷ついて痛くて、でもこのまま還らなければ私が皆を悲しませて、どうしってって泣かせて、きっと!ううん、絶対に自責の念を背負わせちゃう!それを謝りも出来ずにずっとずっとこのままでいるのが嫌!今ならはっきり聞こえるの!「どうしてなの!?」って私に問いかける皆の声が!

 己の罪と向き合い懺悔の涙を流して。肺の空気を絞り出してもなお足らず。

胃液が逆流して腱が断裂した直後でも。

肉体を捨て去った魂の叫喚が巨大な空間と共鳴して震える。

身体が風になったような感覚。

 双子は視界いっぱいに広がる大きな扉の前に立っていた。

髪は金色で服は真っ白。

「行くの京香?」

過度な疲労で震える肉体を奮い起して京香ははっきり答えた。

「うん!」

「そう」

ひとりでに開かれた扉から溢れでた光に飲み込まれていく。

扉の陰に隠れる形になった双子が最後にどんな表情をしていたのか。

京香は知ることなく眩しさに溺れていく。


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