世界を巡るシーン

中澤京華

オリンピックとギリシャ古代遺跡

 紀元前776年にデルフィでの神託を受け、天空神ゼウスをはじめとするギリシャの多くの神々を祭る聖なる祭典としてオリンピアで開かれた競技会が古代オリンピックの発祥とされています。


 その古代オリンピックの始まりを告げた神託所があるデルフィの古代遺跡は、アテネから180kmほど北西に行ったパルナッソス山の中腹に位置する聖域で、世界の中心を決めるためゼウスが地平線の両端から2羽の鷲を放ち、飛翔した二羽の鷲が出会った場所という伝説が残され、大地の女神ガイアに治められていましたが、そこで番をしていたガイアの子であるピュトンという蛇の怪物がゼウスの子である太陽神アポロンの母レトを亡き者にしようとしたので、ピュトンを退治したアポロンが神託を授ける神となり、巫女により神託が伝えられたアポロン神殿はギリシャの重要な神託所として神託を求めて訪れた人々に祭られたと言われています。

 

 古代オリンピックでは短距離走、円盤投げ、レスリング、戦車競争などの競技が行われていましたが、紀元前146年にギリシャがローマに支配されたことにより、ローマ支配下での宗教的影響を受けて衰退し、紀元後393年の第293回で終焉を迎えます。


 その後、約1000年の時を経て、古代オリンピックに再び光が当たり始めます。14〜16世紀のルネサンス時代に入ると古代ギリシャへの関心は急速に高まり、古代ギリシャ時代に書かれた文学作品が注目されるようになりました。吟遊詩人ホメロスが紀元前8世紀末に記した『イーリアス』や、ヘレニズム時代(紀元前323年-紀元前30年)の旅行家パウサニアスの『ギリシャ記』には古代オリンピックについて書かれた記述があり、人々は遙か昔にギリシャのオリンピアで開催された競技会に思いを馳せるようになりました。劇作家・詩人として有名なシェイクスピア(1564-1616)も、『ヘンリー六世第三部』、『トロイラスとクレシダ』で古代オリンピックについて言及しています。


 文学作品の中だけにとどまらず、1776年、イギリス人のチャンドラー(1738-1810)によってオリンピア遺跡の一部が発見されると、古代オリンピックへの関心は一気に高まり、一大ニュースとなって、ヨーロッパ中を駆け巡ります。度重なる洪水により土で埋まってしまった古代オリンピア遺跡が発見されたことにより、それまで架空の物語として考えられていた古代オリンピックが遠い昔に実際に開催された競技会としてヨーロッパの人々に周知されるようになりました。


 その後、1829年にはフランス発掘隊がゼウス神殿の一部を発掘。1875年から1881年にかけてドイツ発掘隊がオリンピア聖域の中心部を発掘しました。これらの発掘による成果は1878年のパリ万博における「オリンピア遺跡」の展示につながり、遠い昔に繰り広げられた古代オリンピックの光景が、パリで開かれた展示会を訪れた多くの人々の目に焼き付けられ、心に刻みつけられたのです。


 そういった経緯を経たのち、1894年のパリ国際アスレチック会議でフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵(1863-1937)により提案されたオリンピック復興計画は世界の多くの国々の賛同を受け、2年後の1896年、古代オリンピックの発祥の地—当時のギリシャ王国のアテネで近代オリンピックが開催されました。


 それから120年以上の年月に亘り、戦争などの理由で中止された大会を除いて、4年ごとにオリンピックは開催され、今日こんにちに至りますが、今でもオリンピック聖火はギリシャのペロポネソス半島の西部クロノスの丘の麓に位置するオリンピア古代遺跡のヘラ神殿で採火され、開催地に運ばれています。そのオリンピア古代遺跡には古代オリンピック競技が行われていたというスタジアムが広がる他、オリンピア博物館、ゼウス神殿、古代オリンピック競技博物館が存在し、数々の彫刻や彫像と一緒に古代スポーツ文化を象徴した出土品も展示され、古代オリンピックの様子を今日こんにちなお再現しています。


 そして、 2020年夏に開催予定だった東京オリンピックは新型コロナウイルス(Covid-19)のパンデミックにより延期になり、さまざまな危機的状況を潜り抜けて2021年7月23日に無観客の中、開会。国立競技場の上空でエンブレムを形成した1824台のドローンは地球に変化し、夏の夜空に幻想的な光景が浮かび上がり、ジョン・レノンの名曲「イマジン」による合唱が響き渡り、平和へのメッセージを込めた歌声でオリンピック会場は包まれました。


 過去のオリンピックの歴史を振り返っても、1920年に開催されたベルギーのアントワープ大会でも1918年から1920年にかけて流行したスペイン風邪が蔓延するパンデミックの状況下で第一次世界大戦後の復興の象徴シンボルとしてオリンピックが開催され、多くの困難を抱えつつも無事、終了しています。


 今大会でも古代オリンピック発祥の地ギリシャ・オリンピア市にあるヘラ神殿跡で聖火採火式は執り行われ、ギリシャの首都アテネのパナシナイコスタジアムで聖火は引き継がれて宮城県に到着。聖火到着式ではブルーインパルスが東北の空を5色のオリンピックカラーで彩りました。「Hope Lights Our Way/希望の道を、つなごう。」をコンセプトに掲げ、リレーで運ばれた聖火は開会式で聖火台に灯され、フィナーレを飾りました。オリンピック閉会式(2021.8.8)までとパラリンピック開催期間中(2021.8.25-2021.9.5)点灯し続けた後、消灯されますが、緊急事態宣言が発令される中、開会されたオリンピックが閉会した後も、私たち人類が新型コロナウイルスの脅威に打ち勝つためにも新型コロナウイルスの感染拡大防止に務めなければならない日々は続きます。変異ウイルスの脅威が増し、不安な日々が続きそうですが、新規感染者数が少しずつでも減少し、パンデミックが収束に向かう日が訪れることを心から願っています。


※追記

 パラリンピックの原点は1948年に開催されたロンドンオリンピックの閉会式の日にイギリス、エールズベリーのストーク・マンデリン病院で開かれたアーチェリーの競技会、ストーク・マンデリン競技大会で、当時、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして、センター長である医師、ルードヴィヒ・グットマン博士(1899.7.3-1890.3.18)の提唱により開催されました。その後、競技大会は回を重ね、1952年には国際大会となり、1960年ローマオリンピックの時の国際ストーク・マンデビル大会を第1回パラリンピック大会としましたが、1988年ソウルオリンピックで正式名称がパラリンピックとなりました。尚、パラリンピックという名称の由来については使われた当初は「パラプレジア」(Paraplegia)+「オリンピック」(Olympic)で「パラリンピック」(Paralympic)を意味しましたが、パラリンピックが正式名になって以降、平行(Parallel)及び、ギリシャ語の語源「もう一つの」(Para)へと解釈が移行し、もう一つのオリンピックを意味するようになりました。


※参考文献

『ギリシア・ローマ神話 伝説の時代』トマスブルフィンチ著 大久保博訳 他

コトバンク;オリンピック、パラリンピック

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