第27話。ふるい。
ガルーが食堂を後にすると、もうそこは阿鼻叫喚の地獄絵図しかなかった。
日々、死ぬ寸前まで追い詰められるような訓練を受けている隊員たちにとって、一時の休憩が砂漠の中のオアシスに思えるのは至極当然である。
それと同時に、魔法を理解していないというガルーの発言が気になるのも軍人としての性だろうか。
魔法とは何かと考えたことすらないのが大半である。
生まれたときから魔法はこの世に存在しており、魔装兵に抜擢されるほどの魔力量を保持している特務兵団員たちにとっては酸素のように身体に常に満ち満ちしているものだ。
今更、酸素とは何故存在しているのかなどと問われた所で何と答えようか。
それ故、彼らは悩んでいた。
オアシスか、己の知識か。
知識とは戦場において、経験と同等なほど必要とされ、時には生死さえ分かつものだ。
だが、このオアシスを逃せばただの蜃気楼となろ消えてしまう。
残る二ヶ月の訓練期間を乗り越えなければ意味などない。
既にどちらにするか決めたのか、数名の兵団員立ち上がり扉の向こうへと去っていく。
残された隊員たちは答えのでない難問に頭を抱えて悩む羽目になったという訳だ。
ふかふかのベッドに保温効果抜群の羽毛布団。
サイドテーブルには高級茶葉を使った紅茶、そして王都で購入しておいたクッキーが置いてある。ベッドサイドランプから放たれるやわらかい光が読んでいる本を照らし、影が向こう側へ落ちている。
「あぁ、最高だ」
高級将校という等級に至った私に与えられた部屋は、それこそ王宮にある一室のような贅沢な仕様になっていた。
戦闘服から普段着用している勤務服に着替え、30分間のみ自分にご褒美をあげている。
紅茶の甘い香りが鼻孔をくすぐり幸福指数を上げている。
掛け布団から少しだけ見える自分の足首に残る青あざや打撲痕、時より感じる倦怠感などに目を瞑ってしまえさえすれば、これぞ私が追求する究極形だろう。
何者もこの満ち足りた時間から私を…
「モンタニュスです。准将にご相談があるのですが宜しいでしょうか」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
落ち着け、私。
やめろ、銃を、右手で拳銃の安全装置を解除するんじゃない。
左手でランプを握ろうとするな!
大丈夫だ、大丈夫。
こんな時はそうあれ、居留守を使ってしまえば良い。
「……」
「あ、准将。准将がお部屋にいることは既に知っております、それに拳銃に手をかけるのは危険なのでお辞め下さい」
え、こわ。
なんで分かるんだ。私とコイツの間には厚さ10cmの木製扉があるんだぞ。
どこからか盗み見ているのか。
「少し待て。軍人といえど私も女だぞ。プライベートタイムにいきなり押しかけるな、こっちにも色々とあるんだから」
ぶっきらぼうな口調で答え、ベッドから這い出る。
絨毯が敷き詰められているとはいえ、流石に寒いので靴下を履くことにした。
「もう少し待ってくれ。あれ、私の靴下はいずこへ」
数分前、ベッドに入る前に脱ぎ捨てた衣服の中に靴下がない。しょうがないで服の山を抱えクローゼットに押し込んだ後、新しい靴下を求めてまだパックされたままのバックを漁る。
だが…
「ない」
靴下が無いわけではない。
だが、あるとしてもエヴァ王女にお勧めされるままに購入した女子っぽいもののみ。
普段は黒か灰色、もしくは緑一択で他のなど考えたことすらないのだが、あるのは水色、黄色、果には桃色などのしかない。あの時、面倒だったとはいえ言われるがままに購入した自分を殴りたい。
靴下があれば履けばいいだろう、と思う人もいると思う。
だが私が今着用しているのは勤務服だ。
オーソドックスな勤務服を着用し、派手な靴下を履いてしまえば嫌でも目立ってしまう。
「すまない、もう少しだから」
私に与えられている選択肢は二つ。
一つ、素足のままでいる。
二つ、服をあの時買った物に着替える。
軍靴を履くことも考えたのだが、生憎今は汚れたものしかない。
いくら部屋を綺麗にしてくれる清掃員がいようとも、泥だらけで汚れた靴を履くのは忍ばれる。礼装用の革靴もあるのだが寮の玄関にある靴箱に先程しまってしまった。
万事休す。
素足は寒い、だが着替えるのも面倒。
ならば……
「モンタニュウス、壁越しでいいか?」
失礼?何のことだか。
「は、壁越しでありますか。特に問題はないのですが…」
モンタニュウスよ…すまない。今回は完全に私に非がある。
「それより要件はなんだね、私だって暇ではないのだよ。今話す必要がなければ授業後にしてくれ」
「私の要件とはその授業についてです。普段、准将はなるべく面倒事を避けてらっしゃられると思うのですが、なぜ自ら率先して特別授業を行おうと思ったのでしょうか?自分も特務兵団の副官として理由を知っておきたいのです」
まさかコイツに私が面倒事を嫌っているという事実がバレていたなんて。
時折、態度や口調などに出てしまっていると自覚はしているが、それも人には気づかれない程度で収められているはずだ。
もしかしたら、なかなか鋭い観察眼の持ち主なのかもしれない。
「私は面倒事を嫌っているのではなくて、無駄の多いプロセスに対して辟易しているだけだ。軍隊という組織上、物資一つ要請するだけで大量の書類を用意する必要があるのだぞ。前線にいた時でさえ、複雑に絡み合った事情や面子のせいで部隊一つ動かすのに上官らは苦労していた。だが、この特務兵団は例外中の例外。国王陛下の右腕であらせるバギンス中将閣下の直属部隊という立ち位置は、軍隊の中で我々に確固たる地位に与えてくれている。自由に何でもできるという訳ではないが、ある程度の融通は利くし、何より現地展開している部隊との指揮権争いに巻き込まれなくて済む。無論、現地部隊の指揮官らとは友好的な関係を築き上げたうえで作戦やら任務やらを遂行するつもりだが、その気になれば我々は単独で判断を下せる。この凄さが分かるか?」
あ、え、などとハッキリしない返事が返ってきたのでこれ見よがしに溜息をつく。
「軍規定上の話になるが、我々は独断で敵を攻撃するもよし、退却命令が発令されていなくても退却して良いのだ。退却などしたら面倒事が増えるだけだが、いや、戦略的撤退とで言っておけばなんとか……兎に角、特務兵団は面倒事が多い反面、私の独断で部隊を多方面へ展開することが可能という訳だ。そんな部隊を手放したいわけがないだろう。折角私が気に入った部隊だというのに初戦で半壊するなど自死したくなるレベルの恥、だから私が一から特務兵団の全てを鍛えるのだよ」
扉越しであるためモンタニュウスの表情や仕草は分からないものの、納得したような雰囲気がする。
「だがまぁ、あんな言い方をして隊員が一人でも来たら驚きだがな」
これは篩だ。
それぞれの性格を掴み、その性格に合った適切な指導を施す。
私の将来がかかっているのだ、本気を出すに決まっているだろう。
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