第6話。王女殿下。

 エヴァ・ガヴァナーは怒っている。

全てに。

昨日から続いている頭痛に。

手違いでここにいない親衛隊に。

お腹周りをキツく締めつけているコルセットに。

無駄に明るく、爛々と光っているシャンデリアに。

目の前に立っている特に可愛くもないメイドに。

腹立たしい。


「バギンス叔父様。今夜の宮廷晩餐会は私のためのでしょう」

「あぁ、その通りだよ」


エヴァが逆らえないのは父、母、そしてこの‘叔父様’だけだろう。

実際にエヴァとバギンスの血は繋がっていないのだが、物心ついた時から‘叔父様’と呼んでいたため、今に至る。


「では、なぜ私だけが控室で、他の令嬢たちが晩餐会を楽しめているのかしら」

「エヴァ、私も控室にいるのだから一人ではないよ。それに主役は遅れて登場するのが世の常なのだから、我慢しておくれ」


室内を満たしている緊張のボルテージが更に上がる。

支度をしているメイドたちの肩が恐怖のために小刻みに震えている。

このままではマズい、と思ったバギンスは軽い口調で続ける。


「他の令嬢たちはオードブルにすぎない。メインディッシュである君が出てきたら、今日いらしている令息たちは君にぞっこんに違いない」


昔なら、褒め言葉で機嫌を直していたのだが、最近はダメだ。


「閣下、護衛の方々がお見えになりました。通しても宜しいでしょうか?」


執事がバギンスの耳元で告げる。

バギンスが首肯し、入室を許可する。


「叔父様、誰が私を護衛してくださるのですか?」


エヴァに対してバギンスが笑顔で答える。


「君の護衛兼玩具だ」


 「失礼します。ガルー・デンギュラントス大尉及びモンタニュウス・ヴァイデル准尉、お呼びにより参上致しました」


ハッサー王国が建国した際、他国への威圧として首都シュタイツバルトに城が建設される事になった。少々、時代遅れではないかという意見が出たものの、小国連盟が王政または帝政になると予感していた初代指導者たちが半ば強引に計画を推し進めたのだ。

そして建設されたのが王城ディアマンテ。

総面積は首都の八分の一もあり、わざわざ土を盛って人工的に地盤高を押し上げて国民誰もが一目で王城が分かるようにしたのだ。


王城ディアマンテの作りは非常に複雑で、設計者本人ですら地図なしに全ての施設を案内することは不可能と言われているほどだ。

王城壁内には主要施設が数カ所あり、それぞれが屋根付きの廊下で繋がっている。

大門から入ってきた者をまず歓迎するのは白亜の大理石からできている大噴水。近くの川から水を引けていない時からこの大噴水はあり、管理をしていた者たちは大変な思いをしていたに違いない。

そして大噴水の向こう側、大門から入り大噴水を超えた先に延々と伸び続けている石レンガで作られている大通り。その脇に軍や行政の本部である大建造物が立ち並んでいる。どの建物も安山岩、花崗岩、玄武岩などで作られている。


大通りを進み、更に進んだ所にあるのがハッサー王国の中枢たる宮殿。

宮殿の正面には非常に大きな大理石製の柱が並んでおり、硝子を惜しみなく使われた大型の窓と共に城を美しくさせている。

豪華絢爛を極めたような宮殿の正面に止まった車から降りると、待機していた執事に関係者以外立ち入り禁止の張り紙を破るように裏扉から案内された。住人すら迷うのではないか、という程の数の部屋を通り過ぎ、晩餐会用の大部屋を通り過ぎ、どこへ行くかと思えば最上階。一際、大きな扉まで案内され、少しお待ちを、と気品良い執事に言われて扉の前で待っていたのだ。


室内からは若い女性と先ほど聞いたバギンス中将の声がした。

恐らく、若い女性の正体があのエヴァ・ガヴァナー姫だろう。

バギンス中将に対して文句を言っているのを聞く限り、噂は本当なのかもしれない。

だが、驚かせたのはバギンス中将の最後の一言だ。

君の護衛兼玩具。

全く笑えない冗談だ、否、冗談では無いのかもしれない。


「大尉...聞き間違えでしょうか?」


モンタ君、そんな不安そうな顔をするな。


「バギンス・ドクトリヌス中将閣下。狡猾な老狐、血啜りの爺と呼ばれている生粋の王国貴族。長年国王陛下を支えてきた大公としての手腕は伊達ではないな。身を引き締めろ」


だが、これはチャンスだ。

老獪な者は青臭い奴らと違って見る目がある。

使い潰さない程度にこき使われるだろうが、有用性を示せば上からの覚えも良くなり出世間違い無し。


「お入り下さい」


先程の執事が扉を開け、私達を中に入るように促す。


「失礼します。ガルー・デンギュラントス大尉及びモンタニュウス・ヴァイデル准尉、お呼びにより参上致しました」


予想に反して室内には大勢の人がいた。

室内のちょうど中央にある二脚の椅子の片方に座っているのがバギンス中将。

消去法でその対に座っているのがエヴァ姫だろう。

金髪碧眼容姿抜群外面完璧姫。


「よく来た、大尉。エヴァ、今日君を護衛するガルー大尉にモンタニュウス准尉だ。大尉は既に魔装兵の中でもエースとして知られ、“大隊潰し”の異名を取っている。准尉もエースの座が約束されている“天才回避師”だ。二人共、実戦経験豊富な最有力幹部候補との呼び声もある。良かったな、エヴァ」


色々と異議申し立てたいのだが...

私は言わずもがな、この横で呆けている奴まで幹部候補だと?

上は本当に頭がおかしくなってしまったのか???


「光栄です、閣下。エヴァ姫、只今ご説明に預かりました、ガルー・デンギュラントスであります。本日は御身の警護を務めさせて頂きますが、至らぬ点が御座いましたら、どうぞお申し付けくださいませ」


長ったらしい文句は時と場所を選ぶ必要があるが、今は必要な時だ。

このハッサー王国という周辺国家の中でも新参ながら盤石な地位を築いている国の姫を相手に、不手際があった際は絞首刑でもマシなほうだろう。

身体を調べ上げられた挙句、化物にでもされたら...


「そちらの方は名乗らないのですか?」


くっ、なんて痛烈な皮肉!

一介の准尉如きが王国の姫相手に名乗るのは無礼かと思い黙らせておいたが、外面完璧な姫君は何かがお気に召さなかったらしい。

あぁ、忌々しい運命の女神め!二択を外させ、私に恥をかかせるとは!

いや考えすぎかもしれない。

ただこの姫は何も考えず…な訳ないな。

散々、貴族の社交辞令や腹の探り合いを日々見ている姫なのだ、年齢で騙されてはいけない。


「失礼致しました。モンタニュウス・ヴァイデル准尉であります。この身を犠牲にしてでも警護を完遂する所存でございます」


うむ、なかなか悪くない。

時に自己犠牲精神は人から鬱陶しがられるが、体面を気にする必要のある職業軍人にとって、国のためになら何時でも死ねると上へアピールするのは悪くない。

それで激戦地へ送られるのは、もはやお決まりなのだが。


「まぁ、頼もしい限りですわね。私の方こそ宜しくお願いするわ。まず始めに、あなた達の服装はこの晩餐会に全然相応しくないのよ。別室でその飾り気のない礼装から宮廷守護人礼装に着替えて頂戴」


確かに軍隊の式典用礼装は階級章や勲章がゴテゴテと飾られており目立つ。

変わって宮廷守護人用礼装は純白なスーツ。飾りは階級章のみと至ってシンプル。

王家の印である一角獣、そして王国軍の象徴である鷲獅子が向き合うように刺繍されているされているマントも真っ白だ。腰に差す儀礼用の剣には紅玉がはめ込まれている。


「了解致しました。それでは五分程お待ち下さい」


五分と言ったところ、バギンスを含め全員が唖然としている。

バギンス閣下やエヴァ姫の驚いた表情を見れるのはなかなかの特権だな。


 毎度同じように、お互い背中を向け着替え終える。

たった一度だけ、モンタ君が振り返った気配がしたので蹴りを入れると同僚の女軍人だったことがあり、以後気をつけるようにしているが、流石に着替えを覗く趣味はないらしい。

布の擦れる音や、着衣を脱ぎ捨て、着る音が真後ろから聞こえるが、今から始まる任務の事で頭が一杯なため考えている余裕などない。


「モンタ、私たちは護衛としてどこまで干渉すべきだと思う?」

「と、申しますと」


普段は頭が切れる男なのだが、なんとも情けない。


「考えてみろ。エヴァ姫の命が危ない時のみ助けるのか。それとも毒味の真似ごとまですべきなのか、ボーダーラインがはっきりしていないのが現状だからな」


専用の毒味係は居るはずだが、料理が盛りつけられた後に毒を混ぜるかもしれない。

客を装った刺客が近づいてきて、袖の中に隠してあった短刀で姫に斬りかかるかもしれない。

遠くから狙撃される可能性もある。

どこまで護衛が出しゃばることができるぼかが一番の問題だ。


「なるほど。では、エヴァ姫に直接お尋ねになられてはいかがですか?」


道理だ。

だが、こんな事も分からない無能と判断されれば私の未来予想図に大幅な軌道修正がかかるだろう。

それだけは断じてならない。


「では、モンタ。お前が聞け」

「あ、はい」


コイツ、勇気あるな〜。

そのままモンタは部屋を出て一直線にエヴァの所に向かった。


「エヴァ姫、一つお尋ねしたいことがあるのですが宜しいでしょうか」


後ろから声を掛けたせいかエヴァの肩が少し跳ねるのが見えたが気のせいに違いない。

そんな可愛い所作をあの姫がするわけがない。


「あぁ、モンタニュウス。少し急ぐから歩きながら話しなさい」

「はっ。先程、大尉と話してある問題について話していまして」

「その問題とは」

「私達はどこまでエヴァ姫を護衛すれば宜しいのでしょうか?」


言葉が足りなかったせいで姫の上には大きなはてなが浮かんでいるじゃないか。

モンタはどうして微妙な所で使えないのだろうか。


「横から失礼します。補足致しますと、私たちはエヴァ姫の身辺警護だけで宜しいのでしょうか?もしくは、毒味のような事もする必要があるでしょうか?」


毒味はモンタにさせればいい。


「私、晩餐会では飲み物しか飲まないの。栓未開封の飲み物を必ず運ばせているから大丈夫よ」


とても賢いやり方だ。

それなら暗殺しようとしている輩も諦めるだろうし、無駄な死人が出ることもない。


「エヴァ、準備はいいかな」


話している間に一行は大扉の前まで来ていた。

向こうからは人々の笑い声や話し声が聞こえてくる。


「叔父様。今日まで私を、忙しい父上に変わって育てて頂きありがとうございました。勿論、父上と母上にも感謝していますが、叔父様が私を一番に気遣ってくださいましたわ」


そう言うと、エヴァは膝を折り、スカートの裾を少し持ち上げて、洗練された動作で一礼をした。


「……」


閣下。ここで泣いては男の恥ですよね。


「…まさか、エヴァからこんな事を言われる日が来るとは。老骨に鞭を打って働いてきた甲斐があったというものだ」


モンタ君、なぜ君が目を潤ませているのだ。

あれか、泣いている人がいると一緒に泣いちゃう系の人間なのか。


「それでは」


再度、姫が美しい一礼をする。

さすがは王家に連なっている者だ。

まだ齢16歳にも関わらず大貴族に必要とされているものを持ち合わせている。

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