第4話 生きる理由 死ねない理由

黒い球体が心臓のように脈打つ。


「あッ、ああ、ああああッ!」

「おい!シロウしっかりしろ!」

「ごめん!ごめん!シエラ!シエラああッッ!」


涙で前が見えなかった。止まらなかった。このまま俺の水分が体から出ていくのではないかと思うほど。出ていったら良いとも思った。


好きな女の子が自分に助けを求めたのに動けなかった自分なんて死ねばいいと思う。なんでだ?なぜ彼女が死ななきゃいけない?花を愛し、皆から愚息とまで言われた俺にさえ優しく接した善良な彼女がなぜ…。神はなぜ彼女をみすみす見殺しにした?


無力で、愚かな俺を殺せばよかったじゃないか。なぜ…!?


「うるさいですねぇ。まあいいでしょう。じきに静かになるで…おっと!」

「ディアボリ!貴様〜!」


マーリン師匠が鬼気迫る顔で炎の魔術を放ったがディアボリはそれを見ずに避ける。


「あなた本当にマーリンくんですか?いやはや老いというのは恐ろしいですねぇ。」

「黙れ!一体何が目的なんじゃ!こんな事をして現界と魔界どちらも敵に回すのじゃぞ!」

「おやおやそれは怖いですねぇ。まあ、あなたがその様子なのであれば負ける気はしませんが。フフ。」


嘲笑うディアボリにマーリン師匠は怒りを隠さないでいる。


「始まった…。」


カレンがそう呟くと脈打っていた黒い球体がピタッと止まる。


刹那、黒い球体から触手が生え、近くの供物に巻きつく。供物をズリズリと引きずり黒い球体に触れると黒い球体は形を変え、供物を取り込んだ。


村人の1人が悲鳴をあげると悲鳴が伝染し、村全体が阿鼻叫喚と化す。


触手はさっきの伸ばす速度の何倍もの速度で村人に絡みつき取り込んでいく。マーリン師匠が黒い球体に対して魔術を展開している。下手に刺激したらどうなるか分からないため、探り探りだ。


俺は腰が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまった。この場を離れないと死ぬ。



あ、でもいいか…。


そうだよ。死んじゃおう。どうせヴァルドラグにもなれない。自分で良く分かるんだ。俺には魔術の才能がない。


兄さんは別に今の暮らしに不満を感じていないし、両親だって会ったところで何をしようとも考えていなかったから、別にヴァルドラグになんてならなくてもいいんだ。



そうだ。死のう…。


「シロウ!ハクマ!無事か!?早く逃げるぞ!」

目の前に大きな体の男が手を差し伸べている。ダラテスだ。


「もう…もう…いいんだ。俺はここに残る。」

「ッ!何馬鹿な事言ってんだ!」


父さんが俺の手を引こうとする。


「もういいんだって…。もういいって!俺なんか生きててもしょうがないじゃないか!」

「シロウ!」


一度手を振り解いたが、抱《だ》きかかえられてしまった。なんとかして降りようと子供のように暴れるがそれでも父さんは離そうとしない。


「父さん!僕みんなを安全な所に連れてくる!」

「…だが!」

「大丈夫!シロウをお願い。今そいつを離したら死のうとするから。」


兄さんは父さんにそう告げて走っていった。その速度はもはや人間の走力ではなかった。俺もあのくらいの力があれば…。いやこれは言い訳だ。それがあったとしても俺は行かなかったと思う。


「…離してくれ父さん。もう死なせてくれ。父さんは聞こえた?シエラ、俺に助けてって言ったんだ。他でもない俺にだ。それなのに…。」

「…シロウ。…お前。」


涙が徐々に乾いてきて、視界のピントが合ってくる。そこは地獄だった。家は破壊され中に隠れていた村人を老若男女問わず引きずりだす。引きずり出されている最中に瓦礫に頭をぶつけ、絶命するものもいた。


「あのな…シロウ。後悔しているのはお前だけじゃないぞ。」

「?」

「15才の幼い女の子が泣き叫ぶ所を見ることしか出来なかった男がここにもいる。親分なんて周りから呼ばれている癖して、周りになんて構わず我が子を抱え逃げる男がな。」

「ッ!」

「情けねえよな。ハクマもおんなじ気持ちだと思うぞ。神の祝福を受けているのに年下の女の子をなぜ助けられなかったのかってな。」


ハクマが家の中の獲物を探す触手よりも速く動き、老人や子供を担いで村の外へ運んでいるのが視界の端に見えた。


「みんな自分が許せねえよ。でも今は逃げるしかない。みんな生きたいんだ。」

「そんなの知ってるよ!シエラだって、シエラだってそう思っていたんだ。」

「…シエラが死んだ事がお前の死ぬ理由になるのか?」


ダラテスの足が止まる。


「お前の死ぬ理由は好きな子が死ぬ所を見殺しにしたからか?」

「そうだよ!」

「そうか…。じゃあ俺も死ぬよ。」

「は…?」


ダラテスの顔がどこか悲しげになる。どういう事だ?…!まさか!


「マレンが持ってかれた。手を掴んだんだが、あの野郎力が強すぎてよ。マレンの腕が千切れそうになって力を少し緩めたら…。」

「そん…な…。」


ダラテスの目が少しずつ潤い、一滴漏れ出た。


「だがな、マレンは最後に言ったんだ。あの子たちをお願いって。」


一滴を拭い、ダラテスの目は真っ直ぐにこちらに向かう。その目には悲しさと優しさと覚悟が宿っていた。


「だからお前は死なせない。ハクマもお前を村の外に連れて行ったら連れ戻す。家族全員で生きるんだ。なあにマレンとは来世で会える。ちょっとの間待ってもらうだけだ。」


ダラテスはニコッと笑うとまた足を前に動かす。家族を生かすため、愛していた妻との約束を守るために。


「お前の死ぬ理由なんて知らん。というよりお前のはただの逃げだ。」

「なっ!」

「そうだろう。好きな子が死んだから自分も死ぬなんて。あの子が死んだ理由はなんだ?お前がただ見ていたからか?違うだろ!あの悪魔だ。お前が強ければあの子が助かっていたのならこれから強くなってあの子みたいな子を出さなきゃいい。」


村の外に着き、俺を降ろす。

ダラテスは俺に指差し、目を見開き告げる。


「いいか!これより中に入ったら後で愛のゲンコツだ!ハクマを連れて来るまで待ってろ!」


ダラテスは踵を返して走り出す。俺は1人ただ呆然と立ち尽くす。


俺の死ぬ理由。シエラが死んだから。それが逃げ?


なんで父さんは母さんが死んだのに笑っているんだ?生きる理由があるからなのか?


どうせ、俺には生きる理由が無い。死ねばゲンコツを食らわない。村の中へ…。


村へ向かおうとした足が止まる。これで俺が死ねば母さんの願いは叶わないのか?母さんは俺と兄さんが生きることを望んだ。だから父さんに頼んだ。


母さんの死の間際の願いを俺は踏み躙るのか?女の子を見殺しにして、あまつさえ母の願いも?


駄目だ。そんなの駄目だ。


…母さん。俺、生きるよ。生きて生きて強くなってこんな悲劇を起こさせないよ。生まれ変わった母さんがびっくりするような魔術師になるよ。


それが俺の『生きる理由』だ。

『死ねない理由』だ。


あれだけ流れた涙がついに完全に渇いた。視界には依然地獄が映る。


それでも俺は前を見る。もう下は向かないし、死のうともしない。ただここで家族の帰りを待つ。


村の中にもう獲物がいないのか触手は村の外に向かってくる。村人はさらに遠くへ逃げようと走り出す。


触手がすぐ目の前まで迫る。うねうねと相手の動向を窺っているのがわかる。


「俺はここを動かない!かといって死ぬ気もない。俺は生きる。」


兄さんが頑張っているんだ。俺も頑張らなきゃ。ただ生きているだけじゃ流石に恥ずかしい。触手のヘイトを俺が集めて、他の皆の所に行かせないようにする。


覚悟は決まった。そういえばトルボアの時もこんな感じだったな。


「さあかかってこい触手ども!俺を誰だとおもっている!」


大声で叫び、周囲にいた村人を襲おうとした触手がこちらを向く。


「俺はカサブランカ家次男!じきに世界最強の魔術師となるシロウ・カサブランカだぞ!ここでお前らみたいな気持ち悪いやつに負けるわけねえだろうが!」


触手が一斉に襲いかかってくる。その数約5本他の触手は引き続き村人を襲いに行く。


魔術構築をして、一気に周りの触手をちぎる。痛みがあるのか触手はのたうちまわる。

そのまま村人へと襲いかかる触手を引きちぎる。


震える村人をよそに次の触手を探しに向かう。


******


「ハアハア…ハアハア。なんなんだよこいつら。」


何本ちぎっただろうか。次から次へと向かってくる触手をちぎったが一向に数が減らない。

どうなっている?


ふと近くの触手を見ると少しずつちぎれた部分から新しい触手が生えてきている。


これはやばい。見えるだけでも10本以上が迫ってきている。流石に死…。


いや。死なない。絶対に死なない。こんな状況でも生き抜いてやる!


「お前らが何本いようが関係ねえ!俺は生き抜く!」


目の前の触手が一斉にこちらへ向かってくる。それも今までのスピードは比ではないほど。


「うおお、お、お?」


俺の顔まで迫った触手が止まる。それどころか全ての触手が止まった。


「なんだ?何が起こってる?」


距離をとり、様子を見ていると1つの触手の先から茶色くなり朽ち果てるようにぼろぼろになっていく。


そして、すべての触手が一気にぼろぼろになっていった。


「お、終わったのか?」


村の方へ目をやると空中のディアボリが腹を抱えて笑っている。


「なんなんだよ。次から次へと…。」


村の中心で何かがあった。それだけは間違いない。もしやマーリン師匠が?いや父さんたちがまだ戻ってきていない。まさか!


俺はいてもたってもいられず村の入口まで走った。


だが、入口より先に入ったら父さんとの約束を破る事になる。


いいのか?約束を破るんだぞ?

だが、また何もしなかったら絶対に後悔する。

もしかしたら死んでいなくて動けないだけかもしれない。それだったら俺が助けないと。


家族皆で生きるんだ。その為だったらゲンコツも甘んじて受け入れる。


「フーー。行くぞ。」


村へと足を踏み入れた。ゲンコツ確定だ。それでも足は止めない。村の中心へと急ぐ。


足を怪我した兄さんを担いだ父さんが同時に村の外へ出た事も知らずに。










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