食物

武蔵山水

食物

 デッサンをしている時、私の画力が次第に落ちていくのが如実にわかった。その要因という物は目の前に横たわるデッサンの対象物以上に明らかなる事柄であった。それは恋である。十九歳の私の経験するようなものとすれば適当であり、私を笑うものはいまい。故に今告白しているのである。しかし話はそれで終わらない。というのも恋ならば勝手にしていれば良かろう。それは私とて同意見であり反論の余地のないものである。もしも私が恋を記述するのであればそれなりの理由が必要である。そうでなければ私が恋の経験を記するなど何の意味もないのである。では特異な理由というものをここに明かそう。私が恋したのは一人の幼女であった。

 私は一人の幼女に恋をした。いや、恋をしてしまった。幼女の年齢は十二歳である。つい先日、一つグレードが上がり中学生になったばかりである。

 私は彼女の事をかなり前から知っている。果してどれほど以前のことなのか、その記憶は定かではないというのが真相である。私は彼女を一人の恋愛対象として認識したのはそれほど短からざる時である故に彼女がいつから私の視界にいたというのは検証するには値しないのである。そしてそれを検証する事には一切の興味がない。私に取って彼女に恋してしまう前の彼女はただの景色に過ぎなかった。ただの溶けゆく時間に過ぎなかったのである。

 私はなぜ彼女に恋をしてしまったのか、と考えても仕方がないのであるがいくつか、明瞭たる理由を挙げてみよう。

 一つ、彼女の笑顔は可愛いのである。

 可愛い、というのは些か稚拙な表現であるのだが真に彼女の笑顔は可愛いと評するに値する表情なのである。私は笑顔という表情は従来、嫌悪すべき痴態である、とさへ思っていな。それは恣意的で見窄らしい感情の現れであるという感が強くあったからである。しかし彼女の笑顔は別格であった。それは次の経験より導き出した答えである。

 デッサンの指導者が不在であったので年長の私が代わりに指導員という役割を賜った際の出来事であった。彼女の絵が私の目に止まった。彼女の絵は経験不足であり、そこかしこに直すべき箇所が点在していた。がしかしその画面は明るく楽しげでまた軽やかであった。いずれも私には持ち得ない才である。私はそれを目ざとく指摘した。すると彼女は喜んだ。謙遜という下らない処世術は一応したもののまだ純粋さは多分に残っていた。その際、見た彼女の笑顔は正しく可愛さがあった。

 二つ、彼女は美しい肉体を持っている。

 彼女の肉体の美に気付いたのはある夏のことであった。その日、街は炎天の下にあった。熱波が押し寄せそれが町中を荒らしていた。彼女は薄手のタンクトップを着衣して来た。私はその普段よりも露出の多い彼女をデッサンの際に時折、盗み見た。それは意図的に見たのかもしれないが、あまり認めたくはない。しかし幾度となく見てしまうという事を促したのは彼女の肉体が美しかったからである。彼女の露出した腕そして肩、素足はその動きの度に筋肉が蠢いていた。そして確かな硬さが明らかだった。私は驚いた。というのも私もそうであるが絵を描くという行為を行う人間はすべからく内向的であるという感想を長い事抱いていたからである。彼女のその筋肉は僅かなトレーニングでつくようなものでは到底ないのである。私は帰路にて彼女に問うた。その問いは直裁的な表現ではなかった。私はそれを直裁的に表現してしまったら自身のうちに沈殿してしまっている忌まわしき性の希求を見透かされてしまうように思えたからである。しかし幸いにも相手は未だ真なる処女である。まだ浮世の苦渋を舐める(それは女である、という事実だけで経験せねばならぬ嫌悪すべきも私たち男衆にとってはこの上なく都合の良い経験)以前の存在であったから私の性欲に直接抵触しそうな問いにも応えてくれた。彼女は曰く運動が為だそうだ。彼女は以前より運動を好みて暇あらば運動或いは絵を描いているらしい。今日在籍する学校でも運動系の活動をしているのだそうである。そうして私は彼女の肉体の美しさについて必然性が結びつき合点がいったのだ。

 私の恋は時増えるに従って熟成していった。まるで目には見えぬ水蒸気がやがて茫々とした純白の雲に変わりゆくようであった。この衝動をいかにして解消するか、それが私の問題であった。私は彼女に対する恋心を忍べば忍ぶほど自らが制作せんとする作品は駄作の傾斜へと落ちていった。忍しかない恋であるというのは明白な事実である。仮に私と彼女の恋が実ってしまった場合、私は犯罪者になる。彼女と性行為をした場合は準強姦罪に問われるのではないだろうか。故に今回の恋は忍しかない恋なのである。しかしある日、私は遂にこの美術的停滞を発散する方法を発見した。それは唯一残された活路である。彼女を画面に収めることであった。彼女の存在そのものを複製する必要があったのだ。それは彼女以上の彼女を私の手中に収める唯一の方法であった。

 それはある晩夏のことであった。街には熱が停滞し人々の力ではどうすることもできなかった。私はそんな暑さなどはどうでもよかった。否、この暑さがために気を衒った行いをすることができたのかもしれない。私は彼女に今度の制作展に出展する作品のモデルになってもらう事を決心した。その制作展の作品提出期間は目前に迫っているものの制作に着手した作品はいずれも主たる我に叛逆の狼煙を挙げ言う事を聞かなかった為にどれもこれも屑籠に放り投げていたのである。しかしこのまま何も描かないと言うのは論外である。私は彼女を描くのである。

 その日の授業が終わった後一目散に彼女の元に駆け寄り事情を話した。それは時としてしどろもどろになり変態の不審者という感さへ与えかねなかったが彼女は私の提案に快諾してくれた。そして明日の昼頃私の家へと来るように頼んだ。彼女はそれもまた快諾した。明日は私の両親は不在であった。私は真に私だけしか居ない宅へ一人の処女を上がらせると言う事実に些かの性的興奮を覚えたと言うことは認めたくはないものの動かし難い事実であった。しかしながら私はそう思ったと同時にそのような行為は妄想の範疇を越えでない、いや、正確を記せば妄想の範疇を越え出てはいけないと自己に言い聞かせたのである。

 彼女は来宅した。「何着ていいか分からなかったので」そう言って着て来た服は奇しくも私が彼女の肉体的な美を発見した服であった。私は平然を装いながらも驚きとそしてまた喜びを隠せなかった。

 私はもう準備ができていた。彼女を木製の椅子に座らせてデッサンを開始した。部屋には沈黙が隅々まで行き渡っていた。その空間は自己の見慣れた部屋であるにも関わらず可愛らしい幼年の女が確かに実態として存在していることから空間は見知らぬものとして突っ立っていた。しかし何かが違った。彼女が確かに存在しているのは結構であるが画面のうちに現れてきた彼女は美しさが皆無であった。私の抱いているある種の切迫感を表現することができなかったのである。しばらく鉛筆を動かしたがその炭の線は私に叛逆の狼煙を上げる以前に絵としての機能をまた記号としての機能をもなし得ていないような気がした。そしてとうとう筆を置いた。

 「描けませんか」

 「うん、全く」

 私は断言した。描けないものは描けない。それは私の描く能力がないという事を意味しているのではなく何故、どうやれば自己の彼女に抱く一切の感情を画面に描き出せるかを発見できない知性の問題であるのかもいない。

 「休憩しよう」

 私はそういって彼女の為に買ってきたケーキを出してやった。いちごのショートケーキである。彼女は一口それを口に入れると私に向かってあの可愛らしい笑みを向けて「おいしい」と言うのであった。その発言には微塵の策略もなくただ純粋に彼女の体をその食べ物の美味しさに喜んでいたのであった。彼女は真っ白いショートケーキを次々と口の中に入れた。私はその光景を一瞬を見逃さなかった。食べるという流動的な行為にエロティシズムを感じたのである。それは私の性器を起立させるには十分すぎる光景であった。私は立ち上がった。彼女は驚いたがそんなことはどうでもよかった。私は再び画面の前に立ち直ぐ様、鉛筆を動かした。いやそれは動かしたと言うよりもそうせざるを得なかった。彼女のその状況が私を画面に収めよと神の啓示に似た働きをもたらしたのである。彼女は突如として動き始めた私に動きを止め驚き目を丸くしていた。

 「止めないで」

 私がそう言うと彼女は困惑しながらもケーキを食べ続けた。そうして一枚の絵が完成した。

 完成した絵はグロテスクであるが故に真に彼女の美しさを表していた。

 完成した絵に私は『食物』という題を与えた。彼女は消え外は更け渡った闇があった。

 

 しかし話はこれでは終わらない。私の眼前にはこの『食物』があある。私はその残された絵を眼前に取り残された空間で狼狽している。何故?その理由は実に簡単でこの絵がこの上ないほどのエロスをその裡に内包しているからである。私の性器は只今の私同様にただ起立したままであった。私はその絵を眼前にしてその描かれた女をただ犯したい、そう思った。犯すとは何か。それは未だ何も知らぬ純白の女をこの私の色に染めるということに他ならないのであるが、それは真に絵を描くという行為に接近している。絵は何も書かれていないキャンパスに傷をつけるようにして完成させていく。その原初の対象は常に純白である。処女である。私は未だ少女の残滓が残った空間に彼女を写した絵に見つめられている。いや、私が見つめている。これは私と彼女とで作り上げたものである。そう、私は技術をのせたのみであり彼女は私に創造を与えたのである。私は罪を犯すことに決めた。侵犯を行う。私はついに自己の性器を握りしめた。そしてそれを上下に扱いた。私は眼前に置かれている彼女と私によって創造された絵を前に自己の醜い欲望を見せつけるのだ。私は只今、自己の罪を誇らしくさへ思う。ああ、私は先ほどまで彼女のいた空間で彼女の分身にいや、彼女自身の魂(それは決して抵抗せぬ都合の良い魂)に見つめられながら絶頂に達する事が出来るのだ。私は食べる彼女を見て彼女の口内から分泌される若き唾液を、彼女の血脈が流れる皮膚の薄い頬を、絶えずその形に合わせて受け入れる舌を、暴力の恐怖によって流れ出るであろう一筋の涙を、動き続ける喉を想起する。そして私は遂に絶頂に達したのである。画面に精子を飛び散らしながら。

 射精はすぐに自己の罪の意識がいかに希薄であったのか悟らせた。私は彼女で達したという罪だけがこの空間に残った。そして私が描いた絵はもはや見窄らしい証拠品になった。それは私を追い詰めるだけの存在物となった。絵は無言で私の動かし難い罪を糾弾し私という矮小な存在者は直ちに処刑せよという加害者のみが言える言説で私を断罪している。私はその罪から逃れない。私は真に残虐で非人以下の人間なのである。私は罪を犯した男として罰を受ける必要がある。私は私の変態性を封殺するべく自己に罰を与えるのである。

 どのような罰が私に相応しいのか私には分からない。この罪悪感を抱えてこれより生きていくのは当然であるがそれだけでは記憶の中にのみにあり時と共に薄らいでいく。

 私はしばらく思案して自己の腕をカッターで乱雑に切り刻むことにした。傷は消えまい。そして他者から傷のあらまし問われた際に私はしどろもどろに言いごまかし通すであろう。しかし私だけが純白で優しい幼女を性的対象にして達した事をありありと思い出す。それでいい。私にしか共有できない記憶を物理的に現在させるにはこの他に方法はない。

 私はカッターを用いて腕を乱雑に切った。深い裂傷からはやがて赤々とした血液が溢れだした。そして行き場を失いただ落ちていく運命の最中にあった。

(了)

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食物 武蔵山水 @Sansui_Musashi

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