聞き耳

 それから、何も言わずに希は勉強をまた始めた。浩然もつられて勉強を再開した。希は国語が一通り終わると、次に公民を勉強し始めた。

「まさか、希、公民も…」

「えへへ…どうやら文系が苦手みたい」

 浩然は公民のノートを受け取り、一問一答形式で答えていった。


「現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に『第2の意見』を求めることを何という?」

 難しかったのか希は眼をぐるぐる回して、ぱっと閃いたように口を開けると、

「たらい回しだ!」

と言った。答えはセカンドオピニオン。まあ…遠くはないし、ある種合ってるけど。

「希、まじでもうちょっとちゃんと勉強した方がいいよ…」

「化学とか数学とかはまだマシなんだけどなあ」

 化学は45点、数学は50点。確かにまだマシだ。実際浩然は理系科目はからきしだめで、高校生時代の点数は希の点数とそう変わりはない。

 もっとも、希が国語や公民が特に苦手なのは日本で初めて習うからなんだろう。化学や数学はたとえ言葉が違っても理論は一緒。だから、理系科目はまだマシなのだろう。


「公民とかって、表面的意味だけじゃなくて、もっと根っこの部分とかわかんないとだめだよね…。そこを理解していないから言い回しを変えられると答えがわかんなくなっちゃう。あーあ、どうしよう」

 確かに、社会って、その全体の事象を理解してから単語を理解した方が勉強しやすいはずだ。

「おれもすごい得意とかではないしな…。あ、岡に聞いたら? あいつ公民系の学部だから。まああいつもテスト期間中だから忙しいかもしれないけど」

 とはいえ、岡なら時間作ってくれそうな気がするけどな。岡は基本的に全力で生きてて、他人の頼み事も素直に引き受ける性質たちだし。

「あ、そうなんだ! ふーん、じゃあ優馬に僕の連絡先渡しといて」

 そういや、岡って下の名前が優馬だっけか。

「持ってないんだ?」

「そういやそうだった、ってかんじかな?浩然がいるから、浩然を通して仲良くなった感じだしさ」

「わかった、明日岡に会ったら聞いておくよ」

「ありがと」

 

 また二人で丸い机の上に視線を落とし、カリカリとそれぞれの課題をこなしていった。


《 ごめんなさい、家のWi-Fiの調子が悪くて… 》


 浩然は結局日記文学のほうで何を書こうか考えて口をとがらせていると、希の目線が浩然の方向ではあるものの、浩然を見ている訳ではないのになぜかにやにやしながら漂っていた。

 あ、集中していないな。希の眼がきらきらと緑色に光っている。

「希」

「あ、え、何?」

「勉強に集中しろって。再試食らったんだろ?」

「いやあ、何話してんのかなって思ってさ」

「は?」

「嘘つくなよ、聞こえてんだろ?」

「ああ、まあね」

 さっきから背後の中国語が筒抜けなのだ。女性一人だ。おそらくパソコンか何かでオンラインで会話している。


《 そんな方法があるなんて 》

 確かに聞こえる。


「しゃべり方からすると…南方人か」

「だね」

 南方人というのは中国の比較的南の地方出身の者を指す。しかし、南と言っても上海などは名古屋と同じぐらいの緯度と気候なので、そんなに南ではないこともある。

「若い?」

 浩然は背にしているので、女性の姿は解らない。

「若い、19歳ぐらいじゃないか?」


 実は今中国国内で伝染病が流行している。そのため日本と中国との渡航が制限されているのだ。だから彼女は少なくとも伝染病が流行する前、だいたい2年前ぐらいにやってきたのだろう。現地の様子はテレビで流れていたが、老若男女すべての人がマスクをしていた。


 浩然は耳をそばだてる。


「EJT可以保分EJTのバオフェンができる? 但是作弊被发现的话だけどズオビ見つかったら会更糟糕吧もっとやばくなるんじゃないの??」


 肝心のバオフェンとズオビの意味がまるでわからない。浩然は受容バイリンガルなので、大体は聞いてわかるのだが、普段使わないような単語は解らない時もある。


 浩然からしたら姿は見えない。けど、女の子の声は切羽詰まっているのはわかる。そして内容もどこかきな臭い気がした。


「なんか…やばいこと、話してんじゃないのか?」


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