エキセントリックな彼女と花火と夜のプール/短編連作

永久凍土

エキセントリックな彼女と花火と夜のプール

前編 エキセントリックな女

 僕から見て、彼女はその言葉通り「エキセントリックな女」である。

 女—— と言っても僕も彼女もまだ高校三年生。

 女子には違いない。けれど「女の子」と呼んでしまうと、理由もないのに僕が目上の人間のように聞こえる。それは何とも居心地が悪いので避けたい。

 彼女には「借り」があったから、僕の方が目下と言えなくもないけれど。


 十年前の夏、僕が一番多く描いた彼女——





 遠くでジリジリと鳴く油蟬。

 強烈な陽とアスファルトに炙られる大気。


 猛暑となった七月二十六日。僕達は夏休み初日にも関わらず登校せざるを得なかった。

 例年より長引いた梅雨の所為で、流れに流れた水泳の補填授業のため—— であったものの、茹だるような暑さの余り、不平を口をする者は少なかったように思う。

 何より、屋上のプールに続く通路ですれ違う濃紺と薄橙の集団。

 先に水泳を終えた女子達である。

 水泳の授業は二クラス合同で一限二限が女子、三限四限が男子。プールの更衣室が広くないため、各々指定の教室で着替える。要するに入れ替えだ。


 びっしょりと濡れそぼった髪を羽織ったバスタオルで拭きながら歩く彼女達。

 当然下は本校指定のスクール水着。男子が浮足立たない訳がない。

 現に早々と着替えを終えたものの、時計を気にしながら談笑に励む級友達も少なくなかった。

 いや、かく言う僕も、誰かさんの水着姿だけでも——

 

「おおクマ…… もとい高田くん、ちょっといい?」


 男子の姿を見て歩みを早める女子の中、ひとり立ち止まったのは小野さんである。

 クマ呼ばわりは身長一八〇センチに届く僕の図体を揶揄したもの。

 恐らく彼女が連想するのはサーカスの熊。決して野生のそれではない。

 当たってないこともないけれど、男子的には不本意と言うか。


「おい、普通は間違えな……」


 僕も立ち止まった。水着の彼女のすぐ前に。

 切れ長の目にショートボブの髪、やや浅黒でボーイッシュな顔立ち。

 背は僕より頭一つ低い痩せ型、しなやかに伸びる手脚。

 僕の脳は今、じゃぶじゃぶと脳内物質を分泌しているに違いない。

 眩しい。今日の授業、サボらなくて良かった……


「ん、なに?」

「…… ああ、いや、なんでもない。それより小野さんこそ、何?」


 一瞬、彼女は訝しむような顔をしたけれど、すぐさま口角を吊り上げる。

 

「あ、分かった。また漫画にするつもりでしょ。少しは盛ってよね、胸」


 と、彼女は羽織ったタオルを腰まで降ろし、前後に薄い半身を僕の前に晒す。

 思わず、ぎょっとする。柔らかに濡れた水着を押し上げる二つの膨らみ。

 見たい気持ちと矛盾して、視線を宙に泳がせてしまう。

 だって、凄く近い。


「えっ、えっと、その」

「ふふん、わたしには何もかもお見通しだよん」


 困惑する僕の顔をまじまじと覗き込む。

 切れ長の目を更に弓なりにしならせ、至って満足げな彼女。

 いや、全然お見通しじゃないし……

 遅れて通路に通りがかった彼女の親友、斎藤栞さんに「すぐ行くから」と手を振る。

 続いて、その言葉を口にした。


「さて、いつぞやの『貸し』を返してもらおうかなって」

「貸し……」


 彼女が言う「貸し」、僕が思う「借り」。それは以前、僕の「プライベートな落し物」を彼女が見つけて預かってくれたことに起因する。

 昔から僕は絵を描くのが趣味で、それが高じて将来は漫画家を目指している。習慣として、小さなノートに身の回りの物や出来事をスケッチしたり漫画にしていた。

 ところがある日、そのノートを学校の何処かで失くしてしまったのである。


 要するに、僕は事ある毎に彼女を漫画にしていたのだ。

 もちろん了解を得ずに。


 当初はその個性的エキセントリックな振る舞いからモチーフに選んだだけだった。けれど、いつしかノートの多くを彼女が占めるようになり、まさか本人が目にしてしまって……

 曰く、持ち主探しをするために止む得ず中身を見た、とのこと。


 その後、偶然彼女にも絵心があったお陰で事無きを得た。聞けば中学生まで同じく漫画を描いていたらしい。本人は判子絵と謙遜していたけれど。

 初めてノートを見た時は随分と衝撃的だったようで、それが現在の理解に繋がっている。

 実を言うと、以来彼女は僕の夢を応援してくれたりもする。


 彼女との距離感はその一件に依るところが大きい。

 僕は積極的に女子と話す方ではないし、デカい以外に目立った特長があるとも思えない。他人を描くくらいだから己れの顔の造りくらい把握している。

 そして、彼女の関心の対象は「漫画家志望の僕」であって、僕自身ではない。

 それを否定できないほどには、僕も彼女を見ていたのだから。


「お願いっ、高田…… もといクマさんにしか頼めないっ」

「ちょっ、逆ぅ」


 漫画は小野さんがボケで斎藤さんがツッコミ。斎藤さんは学年で一、二を争う人気者で美人。必ずセットで描いていたので、恐らく僕の想いに気付いてないはずである。

 ちなみに先の胸の下りは、僕が描く彼女が真っ平らだったことに対する当てつけだ。デフォルメとは言え、斎藤さんとは一目瞭然に描き分けていたので—— 発覚後、そこだけは怒られた。


「八月一日の夕方、予定ある?」


 一瞬、僕の胸が高鳴った。気がする。


「特に、決まってないけど」

「一日の花火大会、付き合ってくれないかな」


 その瞬間、僕の時間が止まる。

 真っ直ぐな瞳。先までの陽気がすっぽりと抜け落ちる。

 いつになく言葉を選んでいる気がしないでもない。

 毎年、高校近くの競輪場で行われる花火大会。普通に考えればデートのお誘いである。

 まさか、と僕は頭に浮かんだ期待を振り払った。


「もしかして、斎藤さんに振られた、とか」


 今度は背中越しにタオルを広げ、くるりとその場で回る。

 水を吸って濃さが増した水着が描く、緩やかな「く」の字のシルエット。

 息を飲んだ僕に気付くことなく、再び彼女は破顔した。


「バレたか。わははは」


 予想が当たって軽く落胆。

 だけど、それを気取られる訳にはいかない。


「そんなところだと思った」

「栞はねえ、予備校の夏期講座が始まるからダメだってさあ」

「もう受験対策?」

「そうそう。でさ、携帯ケータイ番号を教えて。今晩『計画』を話す。返事はその時でいい」


 計画—— 何故かその言葉にだけ微妙な含み。

 にやりと邪まな笑みを浮かべる。

 

「そう、これは極秘任務ミッションだよ。ここでは話せない、くくく……」


 腰に両の拳を当て、まるで悪役のような芝居がかった物言い。

 悪い予感しかしないけれど、悪い気はしない。

 彼女の携帯番号をゲットできたことは素直に喜びたい。





 逆さの卵型、続く台形、逆台形。

 上から順にBの軟らかい芯を走らせる。

 各々の台形から二本ずつ腕と脚の輪郭を伸ばす。

 ポーズが決まれば顔や髪、そして衣類へと細部に移る。

 何度も描き直すことはないけれど、今日のそれは誤魔化しが利かない。

 薄い肩、背中から降りるなだらかなスロープ。

 淡い陰影を作る胸の——


 午後九時を回った頃、携帯が鳴った時はギョッとした。

 連絡を待つ間、記憶を頼りに水着姿の彼女を描いていたからである。

 ただ、口に出し難い部分に差し掛かっていたので……


『あ、その声の調子トーンはもしかして、描いてる?』


 鋭い……


『おや、黙ったと言うことはビンゴ? またヒロインは栞でわたしは噛ませかな?』


 少し鼻に掛かったソプラノ。通話先の彼女はまるでコロコロと鳴る鈴のよう。

 つい聴き入ってしまい、返答が遅れる。


「あ…… い、いや違うよ」

『じゃあ今度、どう違うのか見せてもらおうか。クマさんのノートとやらを』

「え……」

『女の子が頑張ったんだもの、正しく描いてくれてるんだよね?』


 頑張った—— というのは、昼間に見せた当てつけのことを言っているのだろう。普通ならあり得ない露出行為だけれど、彼女は僕が目を逸らすと踏んでいたのだ。

 聞くところによると、彼女は三人兄弟の真ん中。その特異エキセントリックな人格形成は兄と弟に挟まれて育った所為だと思われる。


「頑張った? てっきり小野さんは特殊な趣味でもお持ちなのかなって」


 弄られっぱなしは癪なので、偶には僕も言い返す。


『特殊な趣味? サドっ気があるってこと?』


 自覚あるのか……


『ま、そんな話はさて置いて本題。実はね、花火見物に格好の穴場を見つけてさ』

「穴場って?」


 本校があるS県K市、真夏の恒例ふいご祭。七月末から四日間行われ、およそ二十万人の人出で賑わう。その最終日にK競輪場で行われるのが花火大会である。

 全国区のメジャー級とは比べられないけれど、大抵の見物スポットは早々と近隣住民に抑えられ、毎年結構な混雑である。

 地元民ではない僕達は、手のひらサイズの花火で我慢するのが通例だった。


 んふん、と咳払いをする彼女。

 携帯の向こうでしゃらしゃらとタンバリンらしき鳴り物の音が聞こえる。

 ドラムロールのつもりだろうか。


『発表しますっ、ジャジャンッ! 我が校のプールっ!』


 一瞬、彼女が何を言ってるのか理解できなかった。

 確かに本校のプールは屋上設置で、競輪場の方角はよく見えるはず。

 だけど、


「えっ、ちょっ、ちょっと待て。まさか、忍び込むってこと?」

『そのまさか、だから極秘計画ミッションだよ、高田くん』


 くくく、と不敵な笑みを浮かべる彼女の表情が浮かぶ。

 地上型はプールエリアを仕切る柵さえ乗り越えれば侵入自体は容易である。だけど、本校の屋上型は監視室もしくは各更衣室を経由しないと入れない。扉は常時施錠されているからだ。


「だって、鍵掛かってるよね。まさか校舎を壁伝い? スパイダーマンじゃあるまいし」

『いやいや、実は今だけ簡単に入れるのだよ、女子だけの秘密なんだけど』

「今だけ? 女子だけ?」


 彼女が言うには、シーズン前に女子更衣室内のシャワー室に配管工事が入っていて、校舎側ドアのレバー錠を誰かが強打。夏休みに入ってから完全に馬鹿になったらしい。

 修理に再び業者が訪れるのが八月二日の午後。この件は補填授業を行なったクラスと水泳部の女子しか知らない。また、各更衣室のプール側ドアは内鍵である。

 つまり、彼女は更衣室ドアの鍵の故障を知って、計画を思い付いたのだ。


『騒がなければ先ずバレないし、多分今年しかできない。花火もよく見える』

「ううーん、流石にソレは不味いと言うか、その」

『いい計画だと思ったんだけどなあ…… やっぱり気が向かない?』

「だって、不法侵入」


 僕の反応に対して、通話先の声が段々と細く小さくなっていく。

 確かに彼女は変わっているが、引き際を心得ていることくらい僕も知っている。

 思えば、昼間に強引に誘うこともできたはず。電話に代えたのも僕の意思を尊重したいためだろう。

 彼女とて、無闇に僕と距離を開けたくないのだ。


『そっか、そうだよね。やっぱダメか……』


 だけど、借りは返したい。図体だけデカい小さい男だと思われたくない。

 一応ではあるけれど、彼女と花火デートである。僕はYESと返事する理由を必死に探す。

 落胆するより陽気な彼女を見ていたい。


「分かった。高校生活最後の夏休みだし」

『わあいっ、クマさん素敵、大好きっ!』


 彼女の無邪気過ぎる反応に目眩い。

 僕の想いに気付いていれば、決して口に出ることがない言葉である。

 やはり彼女は—— と、奇しくも確信を得てしまう。

 安堵と失望、二つの感情が僕の中を満たしていく。


『さっすが高田くん、話が早い。デカさに比例して器もデカぁいっ!』

 

 あ、なんか腹が立ってきたな。

 女にいいようにされ放題は男が廃る。なので、意地悪なジョークを返す。


「その代わり今度、スケッチさせてもらっていい? 水着姿」

『おう、そのくらいお安い御用だ』


 え、即答…… ?


『だったらどこでする? わたしんち? クマさんち? それとも……』

「じょっ、冗談だってばっ!」

『だと思った。高田くんって紳士。わたし、知ってるんだ』


 ぐぬぬ……


 ああ、その通り。僕は小野さんが好きなのだ。

 独占したくないと言えば嘘になる。けれど、この距離感を壊したくない。

 彼女を描けなくなっては困る。





 エキセントリック【eccentric】[形動]

 性格などが風変わりな様子。奇矯ききょうな。普通とは違っていること。

 類義語として「型破りな——」「個性的な——」など。

 言葉自体に良い悪いのニュアンスはない。


 同学年、同い年で同じクラス。僕の席の真後ろに座る「エキセントリックな女」。

 十年前の夏、僕が一番多く描いた—— 小野美鈴さんとの出来事だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る