仮眠室〈101〉
「レッドピラミッド?」
「……うん、ずっと東の方にあるデカいコミュニティ」
東にある大規模コミュニティと言えば、タバコ草で大規模な交易をしている『マルボロ』や、ガソリンを大量に保有している『サウジ』が有名だ。それ以外は、名前すら無い小規模グループが点在していると聞く。
「ヤバい連中なんですか?」
「聞いた話じゃ、あの辺りで迷ったが最後、焼き印入りの死体で見つかるって……」
「それって―――」
「三角の中に66の数字……どうやら、変な宗教を信仰しているんじゃないかって噂。その子、こんな遠くまで逃げてきたのね……」
「……情報助かりました、ソゴウさん」
「面倒ごとに巻き込んでゴメンね。大丈夫だとは思うけど、《追跡者》には気をつけて、アズ君」
「了解です。お休みなさい」
無線通話を終えたアズマは、降って湧いた厄介事について考える。
労働力として劣る子供一人をワザワザ奪還しに来るだろうか?
それ以前に数百kmもの距離をたった一人で、あの子は逃げて来たのか?
物憂げな表情で悩みながら、気もそぞろに自室へと引き返す。
だが、机に食事の痕跡だけを残して、ナギサと名乗った少女は姿を消していた。
否応無しに湧き上がる警戒心と恐怖心。
まさか、もう《追跡者》が? 嘘だろ?
アズマは再び、ベルトの拳銃へと手を伸ばす。
さほど広くない室内に響くのは、お湯の沸騰音と焚火の弾ける音、ボリボリと何かを噛み潰すような音。
「おい?」
忍び足のまま、酒造りの作業場を隠す遮光カーテンを一気にめくると、リスのように乾パンを頬張ったナギサがいた。
驚いた表情を浮かべ、アズマと蒸留器を交互に見比べながらも口をモグモグと動かしている。
「何やってるんだ」
「んぅ!?」
必死に乾パンを嚥下し終えたらしく、ナギサが興奮した声を上げる。
「こ、これ! 見たことあります!」
「蒸留器をか?」
「はい! コレって、りーびっひ冷却器ですよね!……同じものだと思います」
『蒸留器』といえば聞こえは良いが、実際はアズマのお手製の歪な工作品。アルミ管と鉄パイプを組み合わせ、エタノールを冷却水で冷やすための樽を繋げた装置。
少女の台詞通り《リービッヒ冷却器》とも呼ばれ、これに温度計のついたドラム缶とを接続すれば完全な蒸留器となる代物だ。
「酒造りをする人間と暮らしていたのか?」
「えと、あの……ごめんなさい」
「なんで謝るんだ?」
「実は……お酒を造っているところは一度も見たことないんです……」
当然だろうな。アズマはそう思った。
製造過程を他人に見られたくないのは、
「そっか……」
年齢も性別も違う、今日会ったばかりの二人。
アズマの口から素っ気ない台詞が漏れたのを最後に、ナギサはアズマを伏し目がちに窺い、アズマはバツが悪そうにナギサの表情を見つめ、気まずい沈黙だけが過ぎていく。
それでも終末世界を生きてきた年の功か、再びアズマがゆっくりと口を開いた。
「君が抱えている事情は聞かないし、今夜はこの部屋で泊まればいい。でも――」
「明日からはどうする?」
困惑じみた表情を浮かべる少女に対し、突き放した感じでもなく、さりとて歓迎している風でもない、そんな口調のままアズマは言葉を継ぐ。
「二、三日なら君の面倒も見れるが、俺にも俺の生活がある。だから考えて欲しいんだ。君はどうしたい?」
ナギサは、意外にも動揺している素振りを見せなかった。先行きは覚悟しているといった顔付きで、ジッとアズマの目を見返す。
「もっと遠くに行きたいか? それとも、君を受けいれてくれるコミュニティまで案内しようか?」
「……そんな場所が本当にあるんですか?」
12~13歳の少女らしからぬ、先程とは別人のような昏い声。
「サトウさんという人が率いているコミュニティで、山奥で退屈だけど飯だけは腹いっぱい食える」
「山奥……」
「のどかで安全な場所だよ。少なくとも君を傷つけるような人は誰もいない」
「……本当ですか?」
ナギサから、少し震えたような声が漏れる。
縋るような見定めるような視線から目を逸らさず、アズマは一度だけ力強く頷いた。
「無理強いするつもりはないよ。俺が信用できるかどうかも含めて、今夜ゆっくり考えるといい」
薄暗くなった室内で唯一の光源であるLEDランタンが、ボンヤリと二人の輪郭と表情を浮かび上がらせている。
すっかり硬くなったナギサの表情を和らげるべく、アズマは口調を明るいモノに変え、作業場で沸えたぎるドラム缶の前に立った。
「さぁ、ちょうどお湯が沸いた。腹が膨れたなら次は風呂だな」
「……あ、ありがとうございます」
恥ずかしそうに頭を下げるナギサと二人で、煮沸消毒を終えたドラム缶の熱湯を金タライと複数のバケツに移す。台所兼洗面所まで運び込み、加水して温度調節。
続けて、元はホテルのアメニティらしき小型の石鹸と歯ブラシ類、真空パックされたタオルや下着類、上下のスウェットを備蓄倉庫から持ち出す。これらも全て発掘品。男物でサイズが合わないのは諦めてもらうしかない。
「さてと……俺は暫く一階に居るよ。何かあれば階段下に向かって叫べばいい。眠くなったら、ソファにある寝袋を使ってくれ」
いそいそとパーカーを脱ぎ始めたナギサからの返事を待たず、背後に向けて手を振ったアズマは足早に階段を降りていく。向かった先は一階の《仮眠室》。その名の通り、かつての消防隊員が激務の合間に仮眠をとるための部屋だ。
ベッドが二つの、カーテンで区切られた狭い空間には、それぞれに番号が割り振られている。いつものように〈102〉のベッドに倒れ込んだアズマは、サイドテーブルの煙草に手を伸ばす。
『マルボロ』コミュニティ産のドメスティックブレンド。
香りの強いバーレー種の煙草を咥えながら、ジッポライターを取り出して火をつける。ジッポの
「タバコなんて何週間ぶりだ……?」
慣れない年長者らしい演技は、もう限界だった。ベッドに横たわった状態で、気が抜けたように煙を吐き出す。一気に疲れと眠気が襲ってきたが、構わず吸い続ける。
白煙が立ち昇る中で、アズマはソゴウ・ミズキとの無線通話を思い返していた。
「『レッドピラミッド』ねぇ……」
左指で煙草を弄びながらの思案。
東の方のコミュニティである、という以外の情報が少なすぎた。
「何だって、子供にまで焼き印なんか……」
引き攣れた刻印を思い出すだけで胸糞が悪くなる。
瞬く間に、一本目のタバコを吸い終わってしまった。
目的は、所有物に対する権利の主張だろうか? 文明崩壊前は車のナンバープレートも、家の表札も、自分の持ち物だと主張するためのモノだったらしい。
「ソレらと同じだというなら―――もはや奴隷じゃないか?」
人間として扱われない境遇。あの少女は、一体どれほどの絶望を感じたのだろうか? アズマは自身の子供時代とナギサの境遇の差に憤りを感じていた。
アズマも孤児だったが、最低限の尊厳はあった。周りの大人も人間として扱ってくれた。
奴隷……単純な労働力だけでなく、性の捌け口にもなりうる年頃の少女。
――ナギサは『レッドピラミッド』で一体どんな人生を?
「いや……他人の過去を勝手に詮索しちゃダメだな……」
善悪の境目が薄れた終末世界で、アズマが出来る事などほとんど存在しない。
だが孤児だったアズマは、放浪中の《流れ者》に拾われた過去を持っていた。
血の繋がらないその男が、アズマの親代わりとなり育ててくれたのだ。
「もし《師匠》だったら、あの子を絶対に見捨てたりしないよな?」
憧れの人物と同じ選択をすることに、迷いはない。
多少の下心や同情心が無かったと言えば嘘になるが、複雑な事情を抱える少女に対し、可能な限り助けてやろうとアズマは心に決める。
勢いよく起き上がり二本目の煙草に火を点ければ、向かいの〈101〉のベッドが暗闇に浮かび上がった。
カーテンは閉じていない。
ベッドの下に一瞬見えたのは、西日本に旅立ったまま消息不明となった《師匠》の遺品―――小ぶりの耐火金庫。
「変な宗教……《禁書》絡みか? まさかな……」
*
俺には理解できないんだ。
コーンには税金を払ってる。
砂糖にも払ってるし、ガスにも、他の道具にも税金を払ってる。
なのに全部を混ぜ合わせて火にかけたら、突然違法だと言われるなんてね。
『とある密造酒業者』より
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