第一章 初恋を忘れたい先輩と小悪魔なタヌキちゃん その5

「こんなに可愛い女の子が近所にいたんだね! ていうか、夏梅くんも早く紹介してくれたら良かったのに~もう!」

「す、すみません! こいつ、ちょっと人見知りで! 僕以外になかなか懐かなくて!」

「ほーん、確かに物静かで真面目そうだもんねー。夏梅くんが勉強を教えてるからか、優等生って感じがするもん!」

 騙している僕が言うのもなんだけど、春瑠先輩は純粋すぎて心配になるな。

「お兄ちゃん以外には懐かないっていうか、夏梅お兄ちゃんが大好きっていうか~」

「勉強の教えかたが好きなんだよな! 僕の勉強法はわかりやすいから、はははっ」

 おい、やってくれたなあ……!

 マジでいらんアドリブをかまされ、無駄に焦った僕は食い気味に台詞を被せた。

「そういえば、夏梅くん……勉強せずにゲームやってたんだよね?」

 しまった……玄関での「ゲームしてました」発言もそうだし、リビングに散らかる菓子やプレステは勉強の欠片もないパーティルーム状態という説得力のなさ。

「こいつ、友達がなかなか作れないらしいので最近の遊びを教えてたんですよ。これでゲームの話題にも入っていけるし、友達の家に行ったときもゲームで盛り上がれる……友達と仲良くなるための勉強、みたいな?」

 我ながら苦しい作り話だと思う。

「……夏梅くんって本当に優しい人なんだね!! そっかそっかぁ……夏梅くんの先輩でいられることを誇りに思うよ!」

「春瑠先輩が教育してくれたからです……!」

 ちょろすぎる。春瑠先輩は簡単に信じてくれたばかりか、ちょっと涙目になっているのでそこはかとない罪悪感が。

「名前はなんていうの?」

「えっ? 白濱夏梅ですけど」

「ふふっ……それは知ってる。話の流れ的に中学生ちゃんの名前でしょ」

 うっかりアホな返事を炸裂させてしまい、春瑠先輩に笑われてしまう……。

 そういえば中学生の名前ってまだ聞いてなかったな。勉強を教えるほど懐かれている設定なのに名前を知らないのは、かなり不自然に思われるのでは?

「こいつは……タヌキ。そう、タヌキちゃんです」

「えっ、タヌキちゃんっていう名前なの? イルカの髪飾りをつけてるのに?」

 あっ、純粋だからタヌキで押し通せそう。

 可愛い響きだよね、タヌキちゃん。これからそう呼ぶか。

「だーれがタヌキちゃんですかぁ? お兄ちゃーん、ウケ狙いの冗談もほどほどにしてくださいねぇ~」

「痛い痛い、ごめんって。お前はタヌキよりは可愛いから……」

「ありがとうございますぅ~~惚れちゃダメですからねぇ~~?」

 静かなる怒りを人差し指に込めた中学生が、作り笑顔を取り繕いながら僕の脇腹をぐりぐりと抓ってくる。普通に痛いよう。

「わたしの名前は〝うみ〟です。顔も可愛いし名前も可愛いので以後お見知りおきを♪」

 中学生が軽快すぎる自己紹介をかました。

 海果……か。夏っぽくて可愛らしい名前じゃないの。

「夏っぽくて可愛らしい名前だね! さっきまでとキャラが違う気もするけど?」

「こういう風に自己紹介すれば人気者になれるって夏梅お兄ちゃんに教わりました。わたしは気乗りしなかったんですけど、お兄ちゃんが無理強いして……」

「夏梅くーん、真面目な子に変なこと教えないの。明らかにキャラと違うでしょ」

 おーい、僕が怒られたじゃん。騙している側が言うのもあれだけど、春瑠先輩は騙されているんです。そっちが海果の本性なんです。

 先輩が見てない瞬間にぺろりと舌を出して煽ってきやがるところとかね、ウザいよね。

「ちなみに夕飯まだ食べてないよねー? どうせ自炊はしてないだろうし、お料理上手な春瑠先輩がちゃちゃっと作ってあげよう」

 社会的な死はどうにか回避できたらしい。

 安堵の息を吐いたと同時に、忙しい先輩がわざわざ来てくれた理由を思い出す。

「僕としては本当にありがたいんですけど、このために東京から来てくれたんですか?」

「まあ、木更津に帰る理由は他にもあるんだけどね。受験勉強を頑張る後輩くんを少しでも応援したいと思ってるからさ」

「東京から木更津って地味に遠いし、交通費も千円以上はかかりますよね……?」

「気にしなさんな。高校生よりは時間もお金も余裕があるからー」

 何かのついでに立ち寄ってくれただけだとしても、日常の細やかな幸せとして噛み締められる。ずっと片思いしている憧れの人が、心配して様子を見に来てくれる。しかも僕のために手料理を振舞ってくれる。

 告白なんてしなくても、彼氏彼女になれなくても、そんな青春の一欠片が続いていけば——それだけでいい。現状維持を動かす必要性なんて、ない。

「夏梅お兄ちゃーん、ゲームの続きをしましょうよぉ。まだ石炭を運んでいる途中だったじゃないですかぁ」

「海果ちゃん、まずは散らかした部屋を片づけようねー?」

「はい! 春瑠姉さん!」

「やーい、春瑠先輩に怒られてやんの。ざまあねえな」

「夏梅くんも一緒に散らかしたんでしょ? 片づけなさい」

「はい! 春瑠先輩!」

「やーい、春瑠姉さんに怒られてやんの。へっへっへ、ざまあないですねぇ」

 くっそ! 僕と似たような煽りをすんな! 同じ精神レベルだと思われるだろ!

 キッチンに移動した春瑠先輩が夕飯の調理をしているあいだ、僕と海果は手分けしてリビングを片づける。

「夏梅くーん、今日は冬莉ちゃんと一緒に帰ってきたんだって?」

 えげつない問いかけをもらい、肺の空気をすべて吹き出しそうになった。

「どうしてそれを知ってるんですか……!?」

「さっき、冬莉ちゃんに教えてもらったんだよねー」

 得意げに自らのスマホ画面を見せつけてくる春瑠先輩。

 そこには【だらしないバカ受験生をよろしくお願いします】という冬莉のメッセージが表示されていた。

 ふーん、だらしないバカ受験生ね。

 ……えっ、これって僕のこと? 冬莉には〝だらしないバカ〟だと思われてるの?

「冷蔵庫の残りものを使わせてもらおうかな。あと調味料も貸してもらいまーす」

 冷蔵庫の中を覗いた先輩は手慣れた様子で食材を並べ、さっそく料理を始めた。

「どう学校は? 三年生になったんだもん、色々と忙しいでしょ?」

「まあ……それなりに。いちおうは受験勉強とかありますからね」

「ホントに勉強してるのかなー? ワタシが家庭教師として見張ってあげようか?」

 冗談混じりの談笑をしている時間が、好きだ。

 なんだかんだで甘えさせてくれる人との空気感が、好きだ。

 先輩が食材の下処理を進め、包丁がまな板を叩くリズミカルな音を奏でながら他愛もない話題を振ってくる。先輩の優しげな声も相まって夢見心地の音色だった。

 ずっと料理が完成しなければいいのに。

 手料理は食べたいけれど、食べ終わってしまえば春瑠先輩は帰ってしまうから。

 だから話題を長引かせて、調理の手を遅らせる悪あがきをしてしまうのだ。

 充実している時間ほどあっという間に過ぎ去っていく。その感覚を久々に味わい、自らも驚く弾んだ声の端々には寂しさも混ざり合う。

「わたしの家族が心配するので、そろそろ家に帰りますねぇ」

 リビングの片づけを済ませた海果は、せっせと帰り支度を始めた。

「えー? せっかくだから海果ちゃんも一緒に夕飯を食べていこうよー。家に連絡するならスマホ貸そうか?」

「春瑠姉さんの夕飯もご馳走になりたいんですけど、ここで食べちゃうと満腹になって家のご飯が食べられなくなっちゃうのでぇ!」

 現時刻は十九時過ぎ。実家暮らしの中学生はご家族に心配されるだろうし、家族揃って夕飯を食べるなら海果のぶんも用意されているよな、きっと。

 さすがに申し訳ないので、春瑠先輩もそこまで強くは引き止めなかった。

「どうせ近所なのでいつでも遊びに誘ってください! それではぁ!」

 春瑠先輩には従順というか、ちゃんと挨拶をしてからリビングを去っていく海果。見送りのために僕が玄関まで付き添うと、靴を履いた海果は真正面からこちらを見据えた。

「……近所なので見送りはここで大丈夫です。あとは二人だけで、ごゆっくり♪」

 おもむろに顔を近づけてきた海果は、そっと吹きかけるような小声で話す。

 しんどい。中学生に空気を読まれる高校生ってダサすぎるのでは。

「……一応言っておく。ありがとな」

「うっ、気持ちわるっ! わたし、感謝されるようなことしましたっけ?」

 マジで気持ち悪そうなドン引き顔をされると、さすがに傷つく。

「……なんか海果と絡むようになって春瑠先輩とも久しぶりに会えたからさ。お前がいなかったら海浜公園のバスケコートなんて行かなかっただろうし」

「えへへ~、わたしは恋のキューピッドですねぇ。やまとの回転寿司が食べたいでーす」

「しゃーないな……今度奢ってやるよ」

「素敵なことが起きてよかったですね! それじゃあ、がんばれ少年!」

 玄関ドアを通りながら海果が言い放った台詞は、昨日も聞いた気がした。今日は『素敵なことが起きたあと』なので言い回しは若干異なっていたけど。

 玄関ドアが完全に閉まる寸前まで憎たらしく微笑んでいた海果だったが——

 また、だ。

 微かに動いた唇。空気を震わせる気のない無音の言葉が、届く。

 ごめんなさい。

 どうしてお前が謝るのかは、わからない。

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