第一章 初恋を忘れたい先輩と小悪魔なタヌキちゃん その4

 自信満々だったくせに、タヌキちゃんはゲームが超下手くそだったというね。

 最新のゲーム機を初めて触ったらしく、操作方法も一から教えたあとに練習プレイを一時間ほど挟んだこともあり本気の対戦なんてできるはずもない。

 そのまま叩き出せたけど、僕のとなりで無邪気にコントローラーを握るこいつを強制的に追い出すのは忍びないと思い、さっさと帰れとは言い辛くなっていった。

「この石炭をトラックに積んで燃料タンクまで運ぶみたいだな。僕がトラックのアクセルを操作するから、お前はハンドルを操作してくれ」

「うむむ、ゲーム初心者に無茶を言ってくれますねぇ。ふにゃふにゃ人間の操作が難しいんですよぉ~」

 対戦ゲームではなく『ヒューマンフォールフラット』を楽しむ二人は、もはや時間を忘れて純粋に遊び始める。

「そうそう、そのままハンドルを切って曲がって……もっとハンドルを切ってくれ……」

「ふんにゃあ! ハンドルをめっちゃ切りますよぉ!」

「やりすぎやりすぎ! ハンドルを戻せ! 落ちる落ちる! あっ、あっ!」

「あっああああっ! 少年のせいでトラックが落ちたぁああああああああああああ!」

「お前がハンドルを戻さないからだろ! また石炭を積み直さなきゃいけないのか……」

「今度は少年が石炭を積んでくださいねぇ」

「お前の責任なんだからお前が石炭を積んでこいや」

 調子こいた中学生がハンドルを切りすぎたせいでコースを外れ、僕たちが操っていたふにゃふにゃ人間はトラックごと真っ逆さまに落下してしまう。

 二人の興奮した大声が交差し、白熱した盛り上がりに包まれるリビング。

 窓の外が夕闇で薄暗くなってもゲームに熱中していたのだが……スマホにメッセージが届いた音でテレビ画面から目を離し、スマホを見ながら我に返った。

【キミの家にもうすぐ着くから】

 あっ!? やっちまったっ……!!

 春瑠先輩からの新着メッセージを理解した瞬間、発汗とともに焦りが湧き起こる。

 家の周辺に春瑠先輩が近づいているとしたら、いま下手に追い返すと二人が鉢合わせてしまう可能性が高い。

 足元には菓子やゲームが散乱してるので『今さっきまで誰かと仲良くゲームパーティしてました』感が凄いし、証拠隠滅にも多少の時間を要する。どうする。どうすればいい。

 ピンポーン!

 鳴り響くインターホンに連動し、縮み上がる心臓。込み上げる焦燥。

「こんにちは。夏梅くん、いますか?」

 玄関ドアの向こうから聞こえる可憐な声音は、紛れもない春瑠先輩で。

 もう来ちゃったのか! いや、僕が帰宅してから二時間以上は経ってるんだけども、ずっとゲームに集中していたので体感的にはあっという間だったのよ……。

 どうせ照明の光が玄関の外にも漏れているだろうし、時間稼ぎの居留守も使えない。

「しょうねーん、なんでそんなに焦ってるんですかぁ?」

「誰のせいだと思ってんだ……!」

「堂々と明かしちゃえばいいんですよ。わたしたちのか・ん・け・い・を♪」

「忍び込んで食料を食い散らかしたタヌキと駆除したい家主の関係ね」

「誰が忍び込んだタヌキですか! 正々堂々と正面突破した善良なタヌキですし!」

 他人事だと思ってへらへらするタヌキちゃんと漫才している場合じゃないんだよ。

「夏梅くーん、さっきから女性の声もするけどお客さんでも来てるの?」

 ほら、春瑠先輩に声が筒抜けじゃん!

「……わたしの声、聞こえちゃったんだ」

 真顔の中学生がぼそりと囁いた独り言を、僕の耳はかろうじて拾う。

「こんなに大声で喋ってたら春瑠先輩にも聞こえるだろ……」

「まあ、それもそうですよねぇ。この家は音漏れも激しそうですし」

 ほっとけ。築四十年以上の木造一軒家、母親の実家だよ。

 母方の祖父母は別宅で快適な余生を送っているため、母親と二人暮らしである。

「すみません、春瑠先輩! ちょっと部屋を片づけてたので……!」

「逆に散らかしちゃいましたけどねぇ!」

 タヌキJCの一言は圧倒的に余計だが、これで数秒は稼げる。

「……春瑠先輩に変な誤解をされたくないから『僕に勉強を教えてもらっている近所の中学生』を演じてくれ。恋愛なんて無関心の『真面目な』中学生な」

「しゃーないっすねぇ。アカデミー賞級の名演をしたりますわぁ」

 念入りに〝真面目な〟を強調すると、中学生は怠そうにしながらも了承した。

 急場しのぎの浅はかな案だが、めちゃくちゃ小声での口裏合わせを済ませ——いざ玄関ドアを開放。わざわざ様子を見に来てくれた女子大生を出迎える。

「夏梅くん、外は暑かったなー。待ちくたびれちゃったよ」

 腕組みした春瑠先輩がご立腹そうに仁王立ちしており、僕は恐縮しながらの苦笑いしかできなかったものの……先輩の表情はすぐに柔らかく解れた。

「なんちゃって! ワタシのほうこそ、夏梅くんが勉強で忙しいところに押しかけちゃってごめんね」

「いえ、まったく勉強してなかったんで大丈夫です。むしろゲームしてました」

「んん? それはそれで心配しちゃうけどー?」

 今度は春瑠先輩が苦笑いを返し、白濱家の敷居を跨いだ。

「あっ、可愛いお客さんがいる。だから女の子の声も聞こえたんだー」

 ついにリビングで顔を合わせた春瑠先輩と近所の中学生。

 この場で僕一人だけが無駄な緊張感に包まれ、過剰に分泌される生唾をごくりと飲み込んでいるのだろう。

「……ごめんなさい」

 なぜか謎の謝罪を中学生が呟いたので、自分の心拍数が顕著に上昇していく。

 意味深に謝ったら、なおさら変な関係だという誤解を生みかねない。

 春瑠先輩も見るからに困ってるし、この小悪魔タヌキ……言葉を一つ間違えば修羅場待ったなしのスリルを楽しんでいるのだろうか。意図が読めない。一瞬だけのぞかせた苦しそうな表情はアカデミー賞級の名演なのか。

 昨日出会ったばかりの関係性では、わかるはずもなかった。

「初めまして、夏梅くんの一つ先輩で大学生の広瀬春瑠です。その制服は中学生かな?」

 気を取り直し、簡素に自己紹介する先輩。

「こんにちは。少年……じゃなくて、夏梅お兄ちゃんに勉強を教えてもらっている近所の中学生です。趣味は人間観察と潮干狩りです」

 うっわ、きんもー。お前……夏梅お兄ちゃんってさあ。

 近所の清楚な少女キャラを演じているのか、落ち着いた口調に静かな声色を乗せているので違和感の気持ち悪さが限界突破しそう。

 喉元までせり上がってくる笑いに耐えろ。僕が指示したんじゃないか。

「夏梅くん……この子、もしかして……」

 ああ……春瑠先輩にバレた……?

 さらば、高校生活。たぶん始まりもしないだろう大学生活。会ったばかりのJCを家に連れ込む男という不名誉な看板を一生背負って生きていくよ。

「めちゃくちゃ可愛い~っ!!」

 いきなり声を弾ませた春瑠先輩は……思いっきり抱き締めたのだ!

 疑う素振りすらなく、清楚(を装っている)中学生を!

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