僕の妻はゲームに生きてます

放牧村長

第一章

第1話[現実世界]

 それは、とても急だった。──僕の妻は死んだ。



 パソコンのキーボードを叩く音、オフィスの諸所から鳴る電話、笑い声や怒鳴られ声など、様々な人の声が聞こえる。


 そんな、いつもと変わらない仕事中にまわってきた一本の電話。



 妻が事故に遭った。



 今まで聞こえていた音が、一瞬になって聞こえなくなるほど、僕は放心状態になった。


「落ち着いて聞いてください。○○警察署の三上ですが…………身元確認の為に、こちらに来てください」


 電話の向こうで淡々と説明をしてくれる人に、返事をするのが精一杯だった。


 僕は警察の人に言われた通り、確認のため警察署へ向かった。


 質素な遺体安置室には、朝元気に送り出してくれた妻はいなく、冷たく笑わない彼女がいた。


 涙は流れ、悲しいのに……。どことなく実感はなかった。



 笑わない彼女の顔だけが頭に焼きつき、僕はパイプ椅子に腰掛けながら、呆然としていた。


「少し家に帰って、休んだらどうだ?」


 そう声を掛けてくれたのは妻の父だった。

 気にかけてくれた義父の言葉に従って、家に帰ることにした。



 帰宅後も悲しみに暮れることなく、妻の親しい友人に連絡を取ったり、会社へ休む間の仕事の引き継ぎをお願いしていた。


 一通り連絡を追え、リビングの椅子に腰かけると、目に入ったのはパソコンだった。


(そうだ……。妻のギルドの人に伝えた方がいいのかな……? 仲良い人とか通夜に出たいって言うかもしれないし)



 僕と妻は共通のオンラインゲームをしていた。


 と言っても、ゲーム内では特に関わる事はなかったのだけれど……。


 人への連絡や仕事の引き継ぎなど、冷静に考えられる反面、どこか気の抜けたような意識の中、僕はパソコンの前に置いてあったVR機器を身につけ、ゲームを起動するのだった。



 ゲーム内で妻は、いくつかある大手ギルドの中の一つ"Hawk'sホークス nestネスト"、通称『たか』に所属している。しかも、幹部だ。


 月に一度、行われている『ギルド攻城戦こうじょうせん』と呼ばれる、ギルド同士で城を奪い合うイベントでは、大きな城を取得し、レア装備やレア宝石ジュエルも持っている。


 ゲームの中では、勝ち組と呼ばれる存在になるだろう。



 リアルでの妻は、言わば……廃人に近かった。



 僕はというと、妻ほどではなかったが、このゲームをほのぼのと楽しんでいた。


 装備はそれなり。ギルドも少人数ながら、皆仲良く平和的にやっていた。


 世に言う『一般プレイヤー』に分類されるだろう。



 そんなもんで、僕みたいな一般人が気軽に行けるような所ではない、大手ギルドの人達が集まる『たまり場』へと、気を重くしながら向かっていた。


(はぁ……気まずいなぁ。でも、リアルの事だし……。えっと、鷹のたまり場は確かここらへん……)



 大通りの噴水の角を曲がると、そこには神々しい集団がいた。


 その神々しい集団の中心に座っている人物が、このギルドのマスター『Hawkホーク』さんだ。


 誰よりも立派で大きな盾を傍らに、輝かしい銀色の鎧を身につけている赤髪の美人だ。



(くっ……入りづらい。でも、マスターさんにさえ話せば、後はなんとかしてくれるだろう)


「はぁぁ……」



 ため息をつきながら、前に進んだ瞬間──。視界の隅に映った光景に体が固まった。


(えっ……どうして……なんで居るんだ!?)


 それは、とても見慣れたキャラだった。ゲームの中でも、外でも……。


(妻のキャラがどうしてここに……? ログインしたままだったのか? いや、パソコンの電源は落ちていたはず。まさかアカウントハックか……?)


 目の前の出来事に考えがまとまらず、その場に突っ立っていると、後ろから甘い声をかけられた。


「あれぇ~? むぎちゃんの旦那ちゃんじゃなぁ~い?」


 この可愛い……いやいや、甲高い声の独特な話し方は、鷹のメンバーの『こころ』さんだ。


「めずらしいねぇ~? どぉしたのぉ?」


(くっ……かわいいなっ……。だが、今はそれどころじゃ……)


 こころさんの雰囲気に飲まれそうになるも、妻のキャラが居た方に顔を向き直す。


 すると、こころさんの声で僕に気付いた妻のキャラクターが近寄ってきた。


「ちょっとちょっと! どーしたの! 私に会いたくなって、来ちゃったの!?」


 そう言って、しなやかな足取りで近寄ってくる『アサシン』。


(そう……見間違えるはずない)



『アサシン』暗殺者と名付けられた、この職業は隠密で動くのが得意で、どの職よりも俊敏。攻撃力もあり、毒の技術にも長けている。



 そして、そのアサシンの中でも……こいつは……。


 とっても見た目が独特……。というか、残念というか……。



 妻のキャラクター『麦飯むぎめし』だ。……相変わらず、名前も変だな。


(話しかけてくる声も、話し方も妻そのものだ。じゃあ、あそこで寝ていた彼女は一体……)


 僕は疑問を感じつつも、麦に話しかける。


「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」


 僕が話しかけると、麦は変な仮面を取りニコニコした顔を見せた。

 仮面の下の顔も間違いなく、妻の扱っていたアバター、そのものだった。


「いいよっ! いいよっ! なんなんだいふみちゃん!? 急用!? また忘年会の出し物のネタ相談かな?」


 ついでにだけど、僕のキャラは支援職の『プリースト』で回復やバフに特化している。名前は『文月ふみづき』。



「えっ!? いやいや年末まで、まだ半年以上あるし。とりあえず、あっち行かない?」


 僕は返事をしながら、麦を人から離れた場所へ誘導した。内心では、麦の返しに驚いて混乱していた。


(去年の忘年会のネタを提供してもらった事も知ってるな……。やっぱり、彼女なのか? いや、そんなバカな……。僕は確かに安置室で彼女を……確認したよな?)


 頭の中がゴチャゴチャする中、個人通話に切り替え、恐る恐る麦に問いかけた。


「ねぇ、麦ちゃん……? なの?」


「何、その質問!? 当たり前じゃん!」


「いやいや! だって! えっ……死んだよね?」


(つい、聞いてしまった……)


 僕の質問にびっくりした目で、こちらを見る麦。そして少し黙った後、いきなり両手で僕の肩を掴み、興奮気味に話し出した。


「やっぱ、そうだよねっ!? そんな気がしたんだよねぇ~。最後の記憶は、車に突撃される瞬間だし! 気づいたらゲームの中に居たから、夢かと思ったけど! ログアウト出来なくなってるし!」


「ちょっと! 落ち着いて! そんな揺らさないで!」


 興奮がヒートアップしてきた麦は、僕のことを大きく揺さぶりながら話を止めなかった。


「なんか、おかしいなーっと思ってたら、狩りに誘われたから、そのまま狩り行って忘れてたけど! やっぱねー! そうだよねー! うんうん!」


「ちょ、ちょっと……それ以上、振られたら……気持ち悪くなってきた……」


 大手ギルドの精鋭だからか、力が有り余ってる麦は、話を終えて満足するまで、思いっきり僕の体を揺すった。


 思いっきり体を振られた僕は、痛みは無いが視界がぐらんぐらんになって、少し酔ってしまうのだった。


「うっ…………。え、えっと……最後の記憶はあるんだね?」


「そうだねー! 買い物に行こうとして歩いていたら、ガーンって、大きい音がして車が私に突っ込んできた。そして最後に思ったの……。次の新しいパッチまで死ねない! って……」


「…………」


 最後に考えた事がゲームのアップデートの事で、少し呆れてしまい、つい無言になってしまった。

 だが、なんで僕が無言になったか分からない、という顔で見つめ返されてしまった。


(こうゆう、鈍感なとこも普段通りだな……)


「……はぁ。で、次気づいたらゲームの中だったんだね?」


「そうなの! それで、最初はボケーっと、してたんだけど……」


 と、どうやら死んだというよりは、事故に遭った記憶が残っていて、ゲームもログアウト出来ないどころか、今まで以上にゲームに一体化しているらしい。



 現在、僕たちが使用しているVRは、アゴの方まであるヘルメット状のVR端末を被り、そのヘルメットは細かい顔面の動作を認識することが可能なので、ゲーム場での表情は、そのまま出せる仕組みになっている。


 ついでに、ボイスチェンジャーも可能だ。


 それに連動しているグローブと、その場でも移動が出来るように足マットがある。

 このグローブもなかなかの正確さで、ほとんどの感触はこれで体験できる。


 あと僕は持っていないが、妻が持っている『アクティブスーツ』という名の全身タイツみたいなのを着ると、風圧や温度を感じることが出来て、より体感が深まって面白いらしい。



 まだ脳に直結とまでは、いかないが……。もう、ほぼゲーム内の世界観に入り込めるぐらいの技術にはなっている。


 ただ、まだ味覚や嗅覚までは追い付いておらず、ゲーム内でご飯を味わうなどは不可能だ。


 しかし、麦は臭いも感じるし、歩くのも『普通に歩く感覚』であると言っている。しかも、ご飯も味わえたそうだ。


「あそこのパン、ピザの味がして美味しかった! 食パンって書いてあるのに……」



 そして、僕たちは結論づけた。

 こんな事ある方がおかしい……。でも、そう考えるしかない。


「私、死んだあとゲームへの想いが強すぎて、魂がゲームの中にきちゃったんだねっ!」


「なんで、そんなに楽しそうなの!? 君は現実世界で死んでるんだよ!? どうにかして体に戻れないの!? 明後日には君のお通夜で、その次の日には、君は燃やされちゃうんだよ!?」



 無茶苦茶なことを言ってるのは分かってる。しかし、非現実的なことが実際に目の前で起こっていて、僕は体に戻ることも可能なのではないかと、どこかで期待を持っていた。


 でも、麦の反応は違った。


「んー。そう言われても、体への戻り方なんて分からないし……。あっ! お葬式の時は、私の好きなあの曲、流してね! 今って、結構そういうの融通利くでしょ!」


「えっ? ちょっと、あの曲はお葬式にはポップすぎないかな……? 一応、聞いてみるけど。そうじゃなくて! なんとか戻れる方法、考えようね?」


「おけー!」



 僕は、目の前で喋ってるのが本当に妻なのか、という疑問を取りあえず捨て、妻であると仮定して動くことにした。


 そう言うより……信じたかった。そうしなければ、妻の死を認めることになってしまうから……。まだ、その勇気は僕にはなかった。




 解決策を考えようとは言ったが、何も解決策が浮かばないまま、時間だけは刻々と過ぎ、葬儀の日になってしまった。


 妻の両親や兄妹、友人達が彼女の死を悼む泣き声とともに、彼女のリクエストした葬儀には合わない、あのポップな曲が流れているカオスな状態だった。


(うっ……。葬儀中だってのに、ピンクの丸いのが食べながら走ってる姿しか、頭に出てこない……)


 この曲を流したいと言った時の、お義母さんの顔は思い出すだけでも怖い。

 お義父さんや兄妹の説得によって、なんとか流せたはいいけど……本当にこれでいいのか?


(もうすぐ燃やされてしまうぞ)



 昨日も通夜の後にログインして、麦と話した。


「もう明日には、火葬されてしまうんだよ?」


「そう……でも戻れたとしても、私の体グシャグシャでしょ?」


 僕は一瞬、思い出してはいけない映像を思い出してしまった。


「…………。いや! ちょっとだけだよ! 解剖後それなりに綺麗に戻してもらえたし! ちょっと防腐処理されてるから、戻った時どうなるか分からないけど……。でも大丈夫だよ! きっと!」


「ぎゃああああああ!! どう考えてもアウトじゃん、それ! そんな体に戻りたくよぉぉぉぉ」


 頭を抱えて嫌がる麦。僕との、やり取りを終えて、麦は宿へと引き返していった。


「今、どの宿屋が一番、人間臭い枕を使ってるか調べてんだ!」


 と、ウキウキしながら闇へ消えてく麦を、心配と呆れる気持ちの複雑な気持ちで見送った。


「…………」



 遂に、その時がやってきてしまった。火葬場への移動だ。


(本当に解決策はないのか……? この際、お兄さんにでも話してしまうか……?)


 しかし楽観的な妻でも、他の人に話すのだけは、強く否定してきた。それを考えると、僕は他の人に話すことが出来なかった。



 結局、何も出来ないまま火葬場へ着いてしまい、お別れの時がきてしまった。

 僕はあれから毎晩、麦と話してるからか、皆ほど悲しみに浸れなかった。


 それでも骨になって出てきた妻を見ると、辛いものがあった。


 こうして妻は現実世界リアルでの体を失い、ゲームの中で生きてくことになったのだ。



 妻の骨壺を抱えながら、僕は考えていた。


(急にいなくなってしまった大事な人。その現実を受け入れる準備が出来ないまま、出会ったゲーム世界の君。本当に君なんだろうか……? 君だとしたら、あの世界に残ってまで、やりたい事でもあるのか? 現実世界に戻ってくるなんて事は、出来ないのだろうか……? 僕は、まだ……少しでも君の側に居たい)




 この時の僕は、死んだはずの妻がゲームの中で生きていた事に「現実にそんな事があるんだろうか」と疑いを抱いた。


 だが、疑ってる自分を認めてしまうと、それは妻が死んだことを受け入れて、肯定しないといけなくなってしまう。


 この時の僕には、それが出来なかった。


 ただ、自分が傷つかないように、疑う気持ちを信じようと思う気持ちで押し潰していた。



──これから先に待つ、悲しくも温かい最後にむけて、僕たちは歩き出したのだった。


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