第6話 試練

 うすぼんやりと明るい森が広がっている。

 神殿のある森よりも、木々の間隔が広いように思う。

 陽の光がまだ完全に引いていない霧に反射し、幻想的だ。


 少し辺りを散策するものの、周辺で変わったものといえば動かない蒼河と柴の身体以外に見つけることはできない。


──────どうしたものか。


 ヒスイは考え込む。荷物も無く、動かない二人を置いたままここを離れて良いものか。

 試練とは何なのか。

 神官様から聞いた話では、それは魔物との戦闘であったり精神的なものだったりと様々だったようだ。

 ヒスイの状況からして、精神的なもののように思える。今にも魔物が襲ってくるとは思えないからだ。


 戦闘能力がほぼ皆無のヒスイには有難いが、だからと言ってこの状況を打破できるとも思えない。

 十中八九、ここはトークの森なのだろう。

 鳥の声どころか、生き物の気配すら感じられない。昔々、ヒスイが生活していた洞窟もそういえばこんな感じだったような気がする。


「静かすぎる」


 ため息をつきながら、もう一度動かない二人の影が見える程度の距離を保ちつつ、あたりを散策する。

 木々にはツタが絡まっていて、これを繋ぎ合わせればロープになるかと手の届く高さまでツタを取り、繋ぎ合わせていく。

 ある程度の長さになったところで、蒼河と柴の元へ戻り、二人にツタのロープを取り付ける。こうしておけば、二人の影を見失ってもツタのロープを辿って戻ってこられる。

 ツタを繋ぎ合わせながら歩き、やがて二人の影が見えなくなった。同じ景色ばかりが続くので、方角や時間感覚がおかしくなりそうだ。


 どれくらい歩いただろうか。木々が拓けた先に大きな湖が見えた。近付くと湖は鏡のように美しく澄み、少し雲の多い空を写している。

 目を凝らして湖をよく見ると、人影が動いたように見えた。瞬きし再度凝視すると、まだ晴れきっていない靄の向こうにぼんやりと黒い影がゆらめく。


「誰かいるの?」


 ヒスイは問いかけるように声を挙げる。

 刹那。

 目の前の湖面からいきなり水柱が上がり、瞬時に水が人の形を形成する。驚くヒスイの前に、美しい女性が立っていた。

 水で出来た美しい彫刻のようだとヒスイは思った。透き通る身体に陽の光がキラキラと反射し、周囲にはふんわりと虹がかかる。


「お前は何を求めるか」


 美しさに見とれていたヒスイは、その声ではっと我に返る。


「お前は何を求めるか」


 再び声が響く。ヒスイはゴクリと唾をのみ込み、深呼吸をひとつするとゆっくりと問いに答える。


「私は、私のことを知りに来ました。私という存在が何なのかを」


「お前の存在が何かを」


 確かめるように、声が答えを繰り返す。


「はい。私にはまじないがかかっているそうです。その呪いが何なのか、どうして私がそんな呪いを受けることになったのか分かりません。この呪いを解くことが出来るのかを知りたいんです」


「呪い…………」


 声は一瞬トーンが低くなり、考え込んでいるのか次の言葉が出てこない。しばらく次の言葉を待ったが一向に何も聞こえなくなってしまった。

 ヒスイは長く続く沈黙に耐えられず、問う。


「詳しい方に見ていただきましたが、呪いが複雑すぎて分からないとのことでした」


「……確かにそのように見受けられる。この複製体からだではノイズが入ってハッキリと見ることができない。だが……」


 来た!とヒスイは思う。試練。こんなにもホイホイと自分の願いが叶ってはある意味拍子抜けである。考えたら、正直何か月も先を覚悟していたトールの森行きだったのに、実質四日で叶ってしまっている。

 どんな難問が出されるのかと、覚悟を決める。


「お前の一番大切なものを示せば、道は開かれる」


 一番大切なもの。正直、ヒスイには大切なものなんて無い。大切なものを作れば孤独をより強く感じることを知っていたから、そういったものを持たないように生きてきた。

 自分の事を育ててくれた木こり夫婦両親も、大切な友人西の魔女も既にこの世を去っている。


「一番大切なもの……。いちばん…………。」


 大切なものをひとつずつ脳内で挙げていくが、これが一番!というものは思い浮ばない。


「なんだ、大切なものがないのか」


「もう少し、考えさせてください」


 こんなにも簡単で難しい問いがあっただろうか。こんなに長く生きてきたのに自分には何もないように思えて情けなくなる。

 あれでもない、これでもないと考えているとまた霧が濃くなってきた。


「すぐに答えを出せないということは、お前には何もないということか」


 ゆらゆらと水の彫刻がゆらめく。形が少し崩れてきたように見える。


「霧が濃くなると私の力は届かなくなる。霧が晴れるまでゆっくり考えて構わん。ただし、納得する答えでない場合は一人を消すが構わんな。元より戻れるのはここに入った人数から一違う数と決まっている」


「えっ!? 消す???」


 消すってどういう意味なのだろうか。この場から退場させるという意味か、または死という意味か。

 ヒスイの質問には答えがなく、バシャンと音を立てて水の彫刻が湖と一体となる。

 いつ霧が晴れるのか分からないが、不安になったヒスイは動かなくなった蒼河と柴の元へ一度戻ることにした。

 持っていたツタの端を近くの木に縛りつけ、またこの場に来れるよう目印にする。


霧が深くならないうちに元の場所に戻ろう!


 ヒスイは繋ぎ合わせたツタのロープを辿りながら、急いで湖を後にした。



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 まだ、消えていないみたい。


 蒼河と柴の影が見えて、とりあえずホッとする。

 とにかく二人の影があることに安心し、駆け寄る。


「え! 何これ!?」


 側に寄ると、蒼河と柴は足から胸の下あたりまで石になっていた。

 そっと触ってみると、明らかに半分は石の彫刻になっている。髪は柔らかく頬はほんのりと暖かいのに、足は硬く体温を感じられない。

 先ほど言われた「どちらかを消す」という言葉が脳裏によみがえる。


消す、というのは彫刻にするということだろうか。


 二人の彫刻なら、飾っておきたくなるくらい美しいだろうなとヒスイは思った。

 パラスの街でも相当イケメンと言って差し支えない青年二人である。トークの森の主が欲しいと思っても仕方ないかもしれない。あの複製体というのが女性だったのでなおさらそうかもと、ちょっと納得する。


だけど、出られるのは二人だけ。


 既に制約を与えられてしまっている。

 ヒスイは自身の一番大切なものを考えながら、石になりかけている二人を何とか元の場所へ返す方法も考えなくてはならない。


二人のうちのどちらか。


 二人に選択を迫ればどちらも「自分が残る」と言いそうだなあと、石になりかけた二人をしげしげと見つめる。

 特に蒼河は責任感の塊みたいなものだから、自分を置いていけと言い張るに違いない。自分の事情に巻き込んでしまった以上、どちらか一人を置いていくなんて絶対に出来ない。何とか二人とも帰れるようにしなければ。

 再度、言われたことを思い出してみる。


『納得する答えでない場合は一人を消すが構わんな』

『戻れるのはここに入った人数から一違う数と決まっている』


 あれ?

 納得する答えでなければ、ということは【答えが納得出来るもの】であればだれも消されないということ?

 しかも、戻れるのは一違う数、ということは三人のうち二人は帰れるということ。


 言葉の思考を解いてしまえば、なんということは無い。

 二人とは短い期間でしか交流はないが、もうヒスイの友人だ。思い返せば、色々なことがあった。たった一カ月ほどだったけど、あたたかい感情を沢山貰ったと思う。


 ヒスイは霧が晴れるのを待ち、うっすらと霞がかった湖に向かって歩き出した。


 つくづく、このツタのロープを作っておいて良かったと思う。

 二人の元に戻った時も思ったが、一度森に入ってしまうと本当にどこに居るのか分からなくなる。ロープを伝わずに湖までたどり着く自信は正直ない。

 蒼河と柴の石化は霧が晴れると更に進んでいて、既に胸まで達していた。


急がないと!


 まだ晴れ切らない霧の中を目印のロープを辿りながら急ぎ足で歩く。

 湖が見えてきた。既に複製体である水の彫刻が湖に立っているのが見える。


「私の一番大切なもの、分かりました」


 軽く上がった息を整えながら、ヒスイは美しい水の彫刻に向かって話しかける。


「ほう、それは何か」


 興味深そうな口ぶりで、複製体が問う。言葉に感情が乗っているように感じるのは、先ほどよりも霧が晴れているせいなのだろうか。確か、霧が濃いと力が発揮できないと言っていた気がする。

 すう、と大きく息を吸ってヒスイは答える。


「私の一番大切なものは、思い出……記憶が一番大切なものです。私の中にある大切な人たちから貰ったこの暖かい感情は、何にも代えがたいものです。失うことなど考えられません」


「なるほど。記憶が一番大切なものか」


 ふむ、と納得をしたように水の彫刻は腕組みをする。

 ヒスイは水が動きを持ったことに少しギョッとした。人を形どっているが、彫刻のように手足が動かないものだと勝手に思っていた。やはり霧が晴れているから動きもダイナミックなのだろうか。


「ご納得いただけたでしょうか」


「ああ、納得はできた。その思い出と言うものを私も見てみたくなった」


「うぇ? み、見るですか?」


 思い出を見ることが出来るなんてトークの森の主は凄いと思う反面、自分の心を覗き見されるのは恥ずかしい。まさかこっちが本命の試練なのだろうか?


「見ても構わぬか?」


「はい。ですがひとつお願いが」


「申してみよ」


「あなた様は、ここに入った人数から一違う数しか元に戻れないとおっしゃいました。石になりかけている私の連れ二人を、元の世界に戻してはいただけないでしょうか」


 ヒスイの提案は、自分がトークの森に残る代わりに二人を解放して欲しいというものだった。

 これならば、蒼河も柴も元の世界に戻れる。元よりヒスイはあの世界に居ないものなのだから、ここで別れてしまっても未練はない。蒼河に至っては、婚約の話も白紙になるだろう。これから先、本気で愛せる女性を見つけてほしい。

 まじないが解けても解けなくても、ヒスイには居場所と呼べるようなところはない。さっぱりしたものだ。ここで生きていく覚悟を言葉に込めた。


「ほう、娘。お前は自分の呪いを解きに来たのに、自身がここに残るというのか」


 水の彫刻の口元がにやりと笑ったように見える。陽の光を反射しているのでそう見えただけかもしれないが。


「はい。私が残るのが一番適切に思えるから」


 ヒスイは素直に自分の考えを伝える。二人とお別れするのは少し寂しいけれど、いつか良い思い出に変わると思う。呪いが解ければ数十年で尽きる命、解けなければこの主と一緒に過ごすのも良いと思う。


「ははは!」


 水の彫刻は愉快そうに大きな声で笑うので、ヒスイは驚いてビクっとする。


「何か面白かったですか?」


「いや、すまん。お前たちは揃いも揃って同じことを。いいだろう、許可する。我が元へと導いてやろう。もちろん、連れの二人も同じくだ」


 何がツボだったのか分からないが、トークの森の主に気に入られたようだ。

 これは試練を突破したということなのだろうか。


 試練を超えたのかどうかと考えを巡らせていると、湖の水が急にヒスイの身体を包み込んだ。あまりにも急にだったので、ヒスイは思わず「息が……!」と目を閉じ身構える。


あれ?苦しくない?


 そっと閉じた目を開けると、白が広がる空間に立っていた。

 とにかく広いその空間には取って付けたような階段と大きな扉があり、入って来いとばかりに少しだけ開いていた。


 ヒスイは恐る恐る扉の中に入っていった。

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