第4話 旅立ちの前
ササシュ祭が終わり五日程経ったのだが、まだ街は雑然としていた。
なにぶん、そう娯楽のない街で祭という行事は相当な楽しみであったようだ。
皆、いまだ落ち着かない様子で、祭の余韻に浸りつつ名残惜しいというようにのんびりと後片付けを進めている。
収穫も終わりこれから来る寒い季節までの間、この街の人々はあまり働かないのだと蒼河から聞いてはいたが、ここまでのんびりしている様子を見ると、もう自分たちが旅立ちを迎えることなど忘れられているのではないかと心配になる。
【祭りの後】という言葉があるが、この街の人々は祭りの後もまだ祭りといった感じなのだろうとヒスイは思った。
「ヒスイ、ヒスイー!」
遠くの方から柴が自分の名前を呼びながら走ってくるのが見えた。
「どうしたの? 柴。そんなに慌てて……?」
とぼけた質問だった。理由は分かっているのだが、思わずそんな言葉が飛び出した自分に少し驚く。
街に来た頃は焦っていたヒスイだが、のんびりとした人々に囲まれているうちに、自身の時間の感覚もどんどんのんびりになってきていることに気が付いていなかったのだ。
「どうしたの、はないだろう? あと数日でヒスイの旅は始まるんだぞ!?
準備とか色々あんだろ~?大丈夫かよ、そんなんで……」
柴は呆れた表情でヒスイを見た。あんなにも初めは『早く、早く』と言っていたのに。今のこの落ちつきようは柴には理解が出来なかった。
変わると言っても変わりすぎだよ、と心の中でため息をつく。
「ごめんなさい。実は旅の準備はほとんど終わってるんだ。
私の荷物はほとんどここに来たときと同じ物ですんじゃうし、旅が始まるって分かったときに準備しちゃったから。
あとは新鮮な食べ物と飲み水くらい、かな」
ヒスイは初めに慌てた分、自分の荷物だけはしっかりと用意していたのだ。
長期保存できそうな食べ物はすでに「奇跡の箱」に入れてあるし、着替えも蒼河の家で別の物を準備してくれるため、自分の持ってきたものをそのままそっくりしまってある。
あとは旅立つ日の前日にでも新鮮な食料を用意すれば良いだけであった。
他に用意する物でもあるのかと訪ねると、柴はまじめくさった顔でこう答える。
「そうだな、心の準備!」
そんなものはこの街に来る前から出来ていると、思わず吹き出す。
柴は自分も一緒に行くと言い張った割に、街を離れる心の準備が実は一番出来ていないのだ。自分が覚悟を今ひとつ決められないからヒスイに念を押す。まるで自分に言い聞かせるように。
そんな柴の心を知ってか知らずか、ヒスイは容赦なく核心をつく。
「自分の準備が出来てないからって、私まで一緒にしてるでしょ?
日が近くなってから慌てるからじゃない! 何なら、手伝おうか?」
「ば、馬鹿にするなよ! 俺は今、準備が終わったんだよ。だから手伝ってやろうと……」
柴は口ごもる。心を見透かされたとばかりに虚勢を張る元気を失い、しぼんだ風船のようになる。
本当に?と追い打ちをかけるヒスイに動揺しつつも「じゃあ、また後で確認に行くからな。」と、慌ててその場を立ち去っていった。
何を確認するんだか……と、苦笑しながらヒスイが柴の後を見送っていると、入れ替わるように蒼河が現れた。
「ヒスイ、じ…」
言いかけた蒼河の言葉を遮るようにヒスイは答える。
「準備は万端!今すぐにでも出かけられるわ!」
ガッツポーズをしながら答えるヒスイの姿を見て、蒼河は笑みを浮かべる。
たった数日にもかかわらず、街に来た頃のしおらしいヒスイとは比べものにならないくらい元気で明るい。
子どもは元気なのが一番!と思いながら再度口を開く。
「それは結構じゃないか。あとで私の準備も手伝ってくれないかな?
今、時間は大丈夫?」
蒼河に聞かれ、ヒスイは頷く。
言葉を貰う前に想像で会話をしてしまったことを少し恥ずかしく思いながらも、どうしたのか尋ねてみる。
「実はちょっと、厄介なことがあってね。少し相談。家に戻れるかい?」
厄介なことという言葉の濁し方は少し嫌な予感がする。しかし断る理由もないため、蒼河に従い家に戻るとそこには族長と呼ばれる各種族の長が一堂に会していた。
隣の村々からも集まっていると蒼河が耳打ちをする。
なるほど、見たことのない人が多い。部屋の外から見るだけでもここに入ると厄介に巻き込まれそうな空気感が漂っている。
この集まりに、私呼ばれたの?空気がなんだかすっごく重いんですけど。
ヒスイは一瞬後ずさってしまったのだが、蒼河に促されおどおどしながら部屋の中に入る。
それを見つけた蒼河の父親が口を開いた。
「おお、ヒスイ。よく来た。こちらに来なさい」
「あの、私に何かご用でしょうか?」
少し改まった言い方で質問をしてみる。
蒼河の父親は見た目はいかついがとてもいい人で、自分の手が空くとヒスイの世話を焼こうと声をかけてくる。
世話焼きなのは血筋かな?と思うほどに蒼河の家族はみんな優しい。
少し申し訳ないくらいだ。
「おお、この娘が噂の。なるほど、人間の割には何か秘めたものを感じる」
蒼河の父親の隣には、白いという表現がぴったりの細身で長身の男性が立っていた。ヒスイから見れば、皆背丈が高いのだが……特にこの白い男はとびぬけて背が高い。
何の種族なのだろう?と思いながら男を見上げると、ぐにゃりと姿勢を変えてヒスイに目線を合わせるように二つ折りになる。
人だとしたらありえない形に曲がった身体にぎょっとして思わず悲鳴を上げそうになるが、そこは何とかこらえてヒスイは薄笑いを浮かべた。
「はじめまして。ヒスイと申します。あの……?」
「ああ、私は
少し冷たい雰囲気のある容姿とは裏腹に、フレンドリーに差し出された白露の手をおずおずと握る。
その手は見た目どおりとてもひんやりしている。
握った手を介して、何かを感じたのか白露はまじまじとヒスイの目を覗く。全てを見透かされそうな真っ黒な瞳。目を逸らしたいが黒曜石のように輝く美しい瞳に釘付けになる。
黒い瞳には人の未来や過去を見る何か特別な能力が宿るのかしらとふと思う。
最期の友人「西国の魔女」もこんな瞳だったと思い出す。
白露は見つめたまま、手を握っていないほうの手でヒスイの額を触ろうとした。その瞬間、まるで静電気でも走ったかのような「バチッ」という音が部屋に響き渡った。
驚くヒスイを見ながら、白露は結論を述べるとでも言うように背を正す。
「間違いない、
あまりに複雑で呪いの性質が何なのかは理解できないが、相当な力を感じる。
なるほど特別な娘というには、納得するしかあるまい。ヒトと言うにはあまりにも余る力だ」
「おお…………!」
その声に、その場にいた全員がざわつく。
周りの少し高揚したような雰囲気にとまどったヒスイは、蒼河の衣の袖をギュッと握りしめた。隣にいる蒼河の顔を見ると、緊張しているのか顔がこわばっているように見える。
これは何事だろうか。
自分に呪いをかけた者がそんなに興奮する相手なのか。それとも自分は人間ではない「別の何か」なのだろうか。
急に恐ろしくなり、カタカタと手が震える。
蒼河の父親がその様子を見て優しくヒスイに話しかける。
「脅えずともよい。ヒスイがやはり特別な者だということが分かっただけのことだ。
族長会議中にヒスイの話をしたら、皆が合わせろと言うのでな。
白露は中でも神に近い一族で能力もとびぬけて高い。お前にかかっている呪いを見せろとせがまれてな。
奴は<知りたがりの白露>という異名まで持っているくらい知りたがりなのだ」
すまんな、と言いながらこっそりヒスイにウインクしてくる。
え、この集まりはそんな軽いノリのものだったの?
拍子抜けしたヒスイはもう一度蒼河の顔を見上げる。しかしまだ蒼河は緊張した顔を崩していない。
「どうしたの?」と尋ねようとしたヒスイは続く蒼河の父親の発表により、言いかけた言葉を発せなくなる。
「そんなわけでだ。ヒスイは蒼河の婚約者だからお見知りおきを。
まずは呪いが何かを知るために、三日後にはトークの森へ旅立つこととなっている。
帰ってきたらきちんと披露する席を設けるゆえ、旅の途中でこやつらを見かけたら協力を頼む」
「よろしくお願いします」
緊張したまま頭を下げる蒼河に習い、ヒスイも頭を下げる。
しかし、頭の中は「??????」と疑問符だらけだ。この場でツッコんでいいのかわからない。
さすがのヒスイも、この厳粛な場で勢いに任せて騒げば蒼河の父親に迷惑がかかることは分かる。
「紹介も終わったし、確認も済んだ。族長会議を続けるからもう下がっていいぞ」
蒼河の父親に促されその場を退席し、ヒスイと蒼河は一旦家の外の空気を吸いに出る。
外に出た瞬間、ヒスイは頭の中にグルグル回る疑問を蒼河にぶつける。
「どういうこと?私が蒼河の【婚約者】?何?え?これなんの冗談?」
蒼河は「はああ……」と深いため息をついた。
「ごめんね、ヒスイ。この街では街の外から異性を連れ帰る場合、結婚する相手だけという掟があるんだ」
「!?」
「死にかけている君を見捨てることができなくて助けたんだが……この掟には従わなくてはならない。
保護した日の父上との大ゲンカ、ヒスイも見ただろう?
大昔に天空族が人間に裏切られて追われた歴史があってね、父上はそれが理由で人間が嫌いなんだ。
実はあの時、そんな大嫌いな人間が私の妻になることが許せないと勘当されるところだったんだよ。
父上、今はすごくヒスイのことを気に入ってくれてる様子だけど。
まだ先のつもりが、急にこんな大事になってしまって申し訳ないとは思うよ」
開いた口がふさがらない。
なるほど。よく思い出すとやたら街の人が詮索するような会話をしてきたのは私が蒼河の婚約者の立場になるからだったのか。
グルグルと今までの日常が脳内にフラッシュバックする。
「あれ? 待って。それって、まさか知らなかったの私だけ?」
「まあ、そうなるかな。掟だから。
知らない人物を連れ帰ったということは、特に何も言わなくても伝わるからね。
やっぱり一方的にこんなのは嫌だよね。もちろん、形だけでいいから」
いつも穏やかでクールなイメージの蒼河だったが、今は捨てられた子犬のような目ですまなそうにヒスイを見る。
それで合点がいった。
祭りの準備の頃から若い娘の視線がやたら痛かった理由が。
そんなこととはつゆ知らず、はしゃぎまくっていた自分が急激に恥ずかしくなってくる。
「こんな大切なこと、なんで教えてくれなかったの?」
ぼそりと小さな声で呟いたその問いに、蒼河は思いのほか冷静に回答をする。
「既に心身共に弱っているヒスイに余計な負担をかけたくなかったからだよ。
数日後には一度この街を離れることも決まっていたし、旅の間でゆっくり話せればと思っていた……んだけど。
本当にこんな形で伝えることになってしまって申し訳ない」
蒼河は本当に申し訳ないと思っているようで、首に手を当てうなだれている。
蒼河の心遣いは嬉しいし、本当に優しい人なんだろうとは思う。人として尊敬できるし、好きか嫌いかで言えば好きである。
恋愛感情とは、違う意味で。
ヒスイは怒りなのか照れなのかわからない、複雑な感情に支配され耳まで真っ赤になっている自分に気づいた。
蒼河から視線を外すようにくるりと後ろをむき、「冷静になれ、冷静になれ」と心で呟きながら大きく深呼吸を3回繰り返した。
頭に上った血が、少し落ち着いたように思う。再度蒼河に向き合うと、
「たくさん気を使ってくれてありがとう、蒼河。
婚約については、今の私には本当に状況が分からない。
けれど私を連れ帰るために大変な決断をさせてしまったことは良く理解できた。
助けてもらっただけでなく、本当に良くしてもらって……申し訳ないのは私の方。
蒼河にそんな覚悟をさせていたなんて、私は何とお詫びしたらいいのか」
拾われた時は知らなかったとはいえ、いつまでも子どもの姿のまま成長しない自分…しかも一族が嫌っている人間の子どもと婚約なんて、どれほどの覚悟が必要だったことだろう。
思いを巡らせると申し訳ない気持ちがどんどん大きく膨らんでくる。
お互いが申し訳ない気持ちでうつむき、しばらく沈黙が流れる。
『あの』
二人は沈黙に耐えられなくなり、ほぼ同時に声をかけた。
どうぞどうぞと譲り合うが、これではらちがあかない。この場は蒼河が口を開く。
「もし、ヒスイが私との婚約についてどうしても嫌だと言うなら、呪いの何たるかを知ったのち、人間の世界まで責任をもって送り届けようと思っている。
だから安心して、まずは呪いを知ることを優先しようと思う。どうかな?」
しっかり自分の事を考えてくれていたことに嬉しいと思う反面、不安が横切る。
「そんなことをしたら、蒼河はどうなっちゃうの?」
さあ、と蒼河は肩をすくめる。
「前例がないわけじゃない。めったにないけど私たちだって離縁することもあるし。
私とヒスイがちょっぴり”いわくつき”になるだけだ。それは嫌かい?」
”いわく”というのは、まあいうなればバツイチということだろう。婚約解消でそこまで大げさなと思うが、文化の違いはあるのだろうからあまり深くツッコめない。
今度はヒスイが口を開く。
「蒼河は、私が婚約者で良いの? その、人間だし。ずっと子どもだし」
「うーん、正直ずっと子どもというのは困るかも。
呪いを解いてどうなるかだけど、ヒスイはきっと美人になるから私としては何の問題もないかな」
思ってもみない解答が飛び出し、ヒスイには照れと呆れの感情が同時にやってくる。
蒼河は隠し事がなくなり、言いたいことを言えたのでスッキリしたのか、涼しい顔をして自分を見ている。
なぜこんなことを真顔で恥ずかしげもなく言えるのか。
蒼河のことは今後「天然タラシ」と呼ぼう!そうしよう!と、心の中で軽く毒づく。
本当に蒼河の事はいまいち掴みきれない。
「わかった。まずは出発までしっかり食べて寝て、英気を養ってそれから考える」
ヒスイは冷静を装いながら、ひとまず今できる最善の着地点に自分の駒をすすめておこうと思った。
蒼河だけが冷静なのはなんだか悔しいし、正直今は呪いを解くことに集中したいのは間違いない。
まずは目の前のことをひとつひとつ、丁寧にクリアしていくことが大事だと自分に言い聞かせる。
言い聞かせたはずだった。
この後出発までの三日間、ヒスイは蒼河の事を強烈に意識せずにはいられなかった。
本当にイケメンってやつは…………!
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