翡翠の境界線~ボーダーライン~

MURASAKI

わたしを知る旅

第1話 プロローグ

暑い…………。


 雲一つない青空の下、乾いた空気の中でヒスイは思った。

 私はここで、ようやく死ねるのか、と。

 人が足を踏み入れてはいけないとされる禁断の地、デクト。永遠に砂漠が続き、コンパスも効かないあの世との境だと言われるこの地へやって来たのには理由があった。

 しかし、どんどん高くなる空を見つめていると、もうそんなことはどうでも良いような気分になってくる。


 ここに入ってから、ひと月半は経っただろうか。食料は三日前に底をつき、水も先ほど最後の一滴を飲んでしまった。


 ヒスイは死ぬつもりはなかったが、死んでも良いとは思っていた。


 自分の身体にかけられた、まじない。


誰がなんのためにかけたのか、せめて原因くらいは突き止めたかったけど・・・。


 遠のく意識の中でぼんやり空を見上げながら思う。空はますます高くなっていき、視界も徐々に白くなっていく。

 このまま目を閉じていれば、夜に吹く砂漠の風は砂を巻き上げ自分を隠してくれるだろう。自分は誰にも悲しまれず孤独に一生を終えるのだ。

 誰にも見つけて貰えず、ここで朽ち果てるのも良いような気がしていた。


 太陽は容赦なく照りつける。


 昼間の砂漠はヒスイの小さな体から、容赦なく体力と意識を奪っていく。

 むしろよくひと月以上も持ったものだと、自分の身体にかかった呪いの強さにため息をついた。


ピィィィィィィィーーーー


 遠くの方で鳥の鳴く声を聞いたように思った。

 こんな所に鳥がいるわけがない。

 噂に聞く、最期の時を知らせる鳥だろうか。

 自分はもう終わるのだろうと、ヒスイは意識を閉じた。


ピィィィィィィィーーーー


 もう一度、遠くの方で鳥が鳴いた気がした。




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 どうしてこうなったのか。

 時はずいぶん昔に遡る。もう、記憶さえ曖昧になってしまった遠い過去。


 ヒスイの最初の記憶は、洞窟から始まる。

 目覚めた時、ひなびた村の誰も立ち入らない山の奥深くにある洞窟に居た。それより前の記憶はない。ただ、美しく光る巨大な翡翠石がそこにあった。

 翡翠石は触れると暖かく自分を包み込み、空腹感を満たしてくれ傷を癒してくれた。更に不思議と頭の中に知識が増え、誰とも話さないのにヒスイは自らが生きるための知識や教養を身に付けることが出来た。翡翠石があることで、洞窟には猛獣が寄り付くこともなかった。それは人も同様で、結界のような働きをしていたようだ。

 翡翠石は年月とともに小さくなり、知識を十分与えた頃には親指ほどの大きさまで縮んでおり、その効果を停止した。

 ヒスイはその頃、若い木こりに発見され保護を受ける。翡翠石の効果が切れたため、その場所に人が入れるようになったからだろう。


 昔の記憶がない幼い少女を可哀そうに思ったのだろう。木こりは保護をしただけではなく「ヒスイ」という名前をつけ、養女として迎え入れてくれた。美しい翡翠色の髪が印象に残るのでヒスイという名をくれたのだそうだ。

 ずいぶんと単純な名付けではあったが、ヒスイはこの名前を気に入っている。


 木こりは村から少し奥に入った場所に夫婦で住んでいたが、子どもに恵まれなかったためヒスイをずいぶんと可愛がってくれた。

 保護したときにヒスイが握っていた、残骸というにはあまりにも美しい翡翠石をペンダントに加工し、身に付けられるようにしてくれたのは木こりの奥さんである。

 保護された頃、父母と呼ぶにはまだ若かった夫婦はあっという間に歳を取りヒスイを置いて天に召されていった。


 ヒスイの身体は、保護された時のまま。

 そう、成長をしないのだ。正しくは「成長が遅い」というべきか。

 異変に気付いたのは木こりに保護されて五年ほど経ったころだ。なかなか成長しない自分に気づいた木こりに、里村に降りないように注意されたことがあった。山で拾った子がずっと同じ姿であることは「人」にとってあまりにも異質だ。さすがの木こり夫婦もその点については気にしている様子であった。

 小さな里村で異質なものがあれば、簡単に今の幸せを失うことになる。ヒスイはそれを理解していたし、木こり夫婦が同じように迫害された人物を知っている様子のため、ヒスイは夫婦の言いつけを守り人と関わらないように過ごした。

 ヒスイ色の髪にルビーのような瞳。薄く透けそうなほど白くなめらかな肌。ただでさえ人目につく容姿だ。何十年も成長せずその姿をとどめていることは、やはり異質だと自分でも思う。そんな自分を受け入れ、娘のように接してくれる木こり夫婦には本当に感謝をしてもし尽くせないほどの恩義を感じていた。


 木こり夫婦がこの世から去ると、ヒスイは村を出てあちこちの街や村を点々とした。ひとつの村に留まることができるのは最低でも三年が限度だ。成長しないことがばれてしまうと、大騒ぎになる。

 細心の注意を払いながらあちこちの国を点々と放浪し、二百年ほどの年月が経っていただろうか。

 ヒスイは「西国の魔女」と名乗る占い師と生活を共にしていた。

 真っ黒な瞳と髪を持つ彼女は、占いで見えた自分に必要なものを探す旅でヒスイと出会う。彼女が必要としていたものは「翡翠色をした力」だったそうだ。

 私たちは出会うべくして出会ったのだと言う彼女は、ヒスイの身体が成長しないことも受け入れてくれ一緒に旅をしようと誘ってくれた。

 とにかくスゴ腕の占い師で、本当に魔女なんじゃないかと思うほど洗練された力を持つ彼女の側にいることは自分の持つ特別感が薄れるようで心地よかったし、彼女に付いてあちこちの村や町を行き来するためヒスイの体質を勘ぐる者が現れなかったこともヒスイが彼女と同行しようと思った要因のひとつだった。

 ヒスイが西国の魔女にどうして自分を拾ったのか聞くと


「あなたを研究すれば、不老不死になれるかもしれないじゃない? それにあなたの美しさは私を更に引き立ててくれるもの。美しいものが揃っていたら人は気になる。気にし始めたら噂が広まり私の占いにも箔がつくということよ。

 実際に、あなたと組んでから私は有名になったし能力も研ぎ澄まされたわ」


などと、本当か嘘か分からない冗談を言いながらも、自分にかけられているまじないを何とか解こうと調べてくれていたことをヒスイは知っている。

 しかし、死は人にとって平等だ。

 力ある占い師だった彼女にも最期の時はやってきた。流行り病だった。亡くなる数日前に彼女がヒスイに伝えた言葉は、ヒスイにとって希望でもあり、同時に絶望でもあった。


 最果ての地、デクトを越えた先にあなたの求めるものがある。


 彼女の占いが示したヒスイの未来。それはあまりにも過酷で死の宣告のようだった。

 デクトは砂漠地帯で、オアシスもなく迷い込んだら「死」しかないと言われるこの世の最果てだ。今まで踏み込んで帰ってきた者はひとりとしていない。その先に何があるかも分かっていない。

 そんな手つかずの乾いた大地、そこに行けと言う。

 死を宣告されたも同然ではあったが、ヒスイはそれに従うことにした。


「実は、出会った頃からずっと信託は降りていたの。ごめんなさい。

 もっと早く教えてあげたかったけれど、だめね。あの地に行けなんて、言えなくて」


 力がもう入らないのに、声を振り絞りごめんといいながらも、ヒスイに可能性を示してくれた西国の魔女の最期の占いを信じてみたいのだ。

 もう自分が大切にしている人の死を見送るのはいやだ。何より、成長しない身体を隠しながら生きることは本当に難しい。木こり夫婦や西国の魔女のような存在は稀だから。

 自分の呪いに嫌気がさしていたことは間違いない。

 ヒスイは西国の魔女の遺品を片付け終えると、最果ての地へ旅立った。


 旅の路銀を稼ぎながら最果ての地にたどり着いた頃には、西国の魔女が亡くなってから一年が経過していた。


 最果ての地は、最初に自分が目覚めた村に近い場所にある。

 自分が一番長く住んだ土地。もはや見知った人など住んではいないが、何となく避けていた場所でもある。

 二百年以上の時を経ても山の様子は変わらず、この先に死の砂漠と呼ばれるデクトがあるとは思えないほど悠々と緑が続く美しい光景が広がっている。


デクトに踏み込むことがバレたら、捕まってしまうかもしれない。


 百年ほど前にデクトは禁足地となった。

 あまりにも入った人間が帰ってこないため、その当時の領主の命令で立ち入ることが禁止となったそうだ。入った人間はすぐに捕縛され処刑されると聞いている。


 デクトに立ち入れば砂漠から抜け出せず死に、立ち入ったことが見つかれば即座に処刑。どちらにしろ死を覚悟しなければ挑めない場所だ。

 だが、ヒスイには少しだけデクトを超えられる可能性があった。

 西国の魔女の遺品から拝借したマジックアイテム「奇跡の箱」に詰められるだけ水や食料を詰め込めばひと月は持つ。

 流石にひと月も歩けばデクトの先にたどり着くのではないかと思う。

 しかも、この「奇跡の箱」は手のひらサイズまで小さく圧縮される。見た目の荷物を大幅に減らせるため旅人に見えないという便利なアイテムだ。

 食料以外にも日よけやテントなど、必要な物をリュックに詰め込み夜の闇に紛れてデクトに挑んだ。朝になるころには、警備が見つけられないくらいには砂漠を進むことが出来た。

 昼間は暑すぎて動けない。日が高くなると休み、日が沈み始めたら進む。


 デクトには本当に何もない。

 植物も無ければ動物もいない。

 本当にこの先に自分の謎を解く鍵があるのだろうか。

 孤独と付き合うことは慣れていたが、流石に空と砂しかないこの空間は気が狂いそうになる。


死ぬ気は無かったけれど、ここで死んでも悔いはない。


 ヒスイは次第にそう思うようになった。

 皆と同じところにいけるなら、それは私が臨んだ未来と言えなくもない。

 テントを張る気力も失い、灼熱の砂漠の上にそのまま倒れ込み、どこまでも青い空を仰ぐ。


 背中が砂に焼かれる感覚と、遠のく意識の中で少しだけ期待する。


 私もようやく向こう側へ行けるのだ、と。

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