第27話 束の間の幸せ 4 夢に縋り付く

 ——沙生の自宅、純の部屋。


「純……ごめんね、寂しかったよね……」


 そう沙生が話しかけているのは、既に腐敗している亡骸。生前は沙生の弟である純であったものだ。その横には血が付着した包丁が落ちており、腕のあたりには乾いた血溜まりの跡。


「一緒に、居れなくてごめんね……」


 沙生は騒動が起きてからずっと、純を一人にした事に責任を感じていた。その事から何度も家に戻ろうとはしたものの、道中至る所に居るゴブリンによって阻まれ断念せざるを得なかった。


 警察の人達も警察署内の対応に追われており、沙生の要望に応えている余裕などない。また、避難民に協力を頼んでもそれを受ける者などいる訳が無かった。


 家に一人きりで、逃げる事も出来ない状況。それがどれだけ怖くて寂しかったのだろうか。もし、その恐怖で絶望した事で自ら命を絶ったのだとしたら——それは、側にいれなかった自身のせいだと沙生は自分を責める。

 沙生の純への想いは、姉弟として度を超えているものだった。だが幼い頃から体が弱く、病弱な弟を気にかけてしまうのは沙生の優しい性格からだった。




 沙生は思う。


 純が、死んだ。それも、私が側に居れなかった事で。……私はどう純に償えば良い?あの時出掛けていなければ。一番大事な時に側に居れないなんて。



 沙生が後悔に押し潰され、選んだ答えは……純の後を追う、というものだった。それで許されるとは思えない。けれどそれしか沙生には思い浮かばなかった。



 そう覚悟を決めた沙生が、唯一心残りだったもの。それは両親の事では無く、自分の為を思って行動してくれた暁門だった。

 幼い頃は頼りなかった男の子の彼が、警察署で再会した時には頼れる男性になっていた。そして、そんな暁門に接している内に気が付けば沙生は暁門に惹かれていた。


 それでも——。


「私だけ幸せになるなんて出来ない……」

 

 唯一の心残りであった存在を忘れるために、沙生は暁門を誘った。彼女の最期の我儘。そしてその行動の結果、彼女は決意を固めてしまう事となった。暁門の知らない所で。


「純、今からいくね……今度は、離れないから」


 沙生は亡骸を前にそう呟き、ゆっくりと銃を頭へと突き付けた。だが……その手は恐怖で震え、すぐに引き金を引く事が出来ない。


「怖い、けど……純だって……っ!」


 沙生が意を決して引き金に力を込めようとした——その瞬間。彼女に異変が起きる。


 突如、彼女の頭の中に様々な知識が流れ込み始めた事で、動揺した彼女は引き金を引く指の動きを止めた。

 彼女に与えられた知識、情報。それは、それが出来て当然なのだと……そう彼女に理解させていく。


 

 沙生が死を前にした事で得た知識。それは……沙生に与えられた『ホープ』だった。それは沙生の頭に浸透し、不安定だった彼女の意識を簡単に支配してしまう。




 その力の名前は『死者行進デッドマーチ』。死者を支配し、自らの思いのままに操るというもの。




 力に支配され、虚な目をした沙生は願う。


「ねえ……お願い、純を……」


 沙生が呟くことで、まるでそれに応えるかのように純の死体に黒い影が集まりはじめる。次第にその黒い影は死体を包み込み、まるで同化するかのように消えていった。


 ——黒い影が収まり視認できなくなった時。ゆっくりと純の死体が立ち上がり始めた。


 それを見た沙生は虚な目のまま、起き上がった死体を抱きしめ……こう呟いた。


「純、良かった……生き返ったんだね……これからは、ずっと一緒だよ……」

 

 



 こうして——夜見川 沙生は最悪な『希望の力ホープ』に目覚めてしまった。


 『死者行進デッドマーチ』には、トリセツのように別な意識が存在していた。その意識は彼女の精神を蝕み、既に精神の限界が来ていた彼女を意のままに操る事に成功した。


「そう……純は東京に行きたいの?なら……お姉ちゃんが連れて行ってあげる」


 沙生は『死者行進デッドマーチ』に誘導されるがまま動き始めた。それが、どのような結果になるとは知らずに。




♦︎




「沙生さん……?」


 俺が起きると、そこに沙生さんの姿は無かった。慌てて家中を捜すも、やはりその姿は見当たらない。まさか外に、そう思った俺が玄関に向かうと、その鍵は開いていた。

 玄関を飛び出せば外は強い雨が降っている。けれど、俺は雨に濡れるのも厭わず沙生さんの家へと向かった。


 沙生さんの家の鍵も開いていた。中に入った俺は何かがあった可能性が高い二階の一室をめざし——部屋に入った俺は唖然とする。


 そこにあったのは……人の形に残った跡と血溜まりが乾いた跡、そして部屋の中に漂う耐えがたい腐敗臭。またその片隅に俺の作り出した銃。


 純君がここで死んだという事は察せた。だが、その死体はどこに消えた?俺の銃があるって事はあの後沙生さんがここに来た事は間違いない筈だ。


 死者と沙生さん——そこで、夢の中の光景が頭を過ぎる。


 俺は慌てて外に飛び出す。けれど、雨の降っている夜は暗く視界が悪い。沙生さんの行き先が分かるようなものは何一つ無い。


「沙生さん!聞こえていたら返事をくれ!!」


 俺の叫びに返事をするものは居らず、その声は雨の音にかき消されていく。


「沙生……さん……」


 そこで俺は理解してしまう。沙生さんは——俺の元からいなくなったんだと。


 その瞬間、俺の目から涙が溢れ、頬を伝って落ちていく。俺はそれを止めようとも思わず、ただ涙が枯れるまで……雨に打たれながら、声を上げて泣きながら立ち尽くしていた。





♦︎





 ——翌朝、俺は自分のベッドで目を覚ます。


 起きた俺には胸の中の一部が無くなったような喪失感が有り、その理由は分かっている。沙生さんが俺の前から居なくなってしまった、という事。

 頭でそう理解した筈なのに……心の中ではそれを認められず、これは夢だと思い込もうとしているようだ。


 意識が朦朧としている中、下のリビングに降りると……部屋中の物が散乱していた。恐らく昨日自暴自棄になり、物に当たり散らしたんだろう。


 俺は無気力なまま、散乱した物を片付け始める。二人で飲んだ缶ビールの空き缶を見て、複雑な気持ちになる。まるで昨日の出来事が遠い過去のようにも感じられた。


 そして片付けている中で、沙生さんの鞄を見つけた。

 その鞄からイニシャルの付いたネックレスが見えているのに気づき、それを取り出して手に握りしめる。


 ネックレスを握りしめた手を額に当て——俺は祈るように呟く。


「……まだ諦めるんじゃ無い。もし……あの夢が未来の事なら、沙生さんは生きている筈だ。絶対にその時は必ず来る、だから……」


 俺がみた夢の光景。

 俺はその夢が実現しないよう願っていたにも関わらず、今ではそれが現実になれと願っていた。


 だが、今は夢でも何でも縋り付く。俺は何としてでももう一度沙生さんに会いたい。

 そして会えた時には、沙生さんに気持ちを伝えないといけない。……伝えなければ絶対に後悔する。何故かそんな気がしていた。




 俺は涙を袖で拭う。


 俺はその時までもう泣かないと決めた。

 どんなに冷酷と言われようが、全てを利用してでも生き抜き、そして……この世界にも人にも左右されない程の強さを手に入れる。


 夢の中のような絶対的な強さ。それをひたすら求め続ける。俺が強くなれなければ、あの夢は現実になり得ないのだから。


 

 ——どれだけ時間が掛かってもいい。だが、必ず再会してみせる。


 俺は決意を胸にネックレスを握りしめた。




♦︎




 ——灰間暁門と夜見川沙生。


 彼らはこうして別々な道へと歩き始めた。暁門は生者を統率し、沙生は死者の兵により強大な勢力を作り上げていく事になる。


 そして、また二人が逢う事になるのは——東京郊外の戦場。その再会は恋人ではなく支配領域を奪い合う敵同士。



 その夢の先の出来事の結果は……誰も知る事が出来ない。

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